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アルフェリアの嫁入り  作者: 吉野吉乃
第一章 白銀の乙女
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第6話

 ところでカロスは一体何者なんだろうと今更ながらに疑問が頭をよぎる。

 預けられた財布の中でずしりと掌に重みを感じていたとはいえ、流石に金貨ばかりあんなに沢山入っているとは予想もしてなかった。普通、金貨五枚もあればそこそこ良い服は買えるし食事をすることも十分なのだ。だからお使いともなれば銀貨程度で事足りるはずなのは流石のフィーリでも知っている、否、『ミーティア』で働くようになって学んだのだ。


(間違えて売り上げ渡しちゃったんですね、マスター)


 自分の中でそう結論付けてフィーリは深く考えることを止めた。一人で酒場を切り盛りしてきたカロスはしっかりしているようで、結構うっかりしていることも多い。

 思えばカロスとの出会いも、城下町を一人で歩いていたフィーリに働かないかとたまたま声をかけてきてくれたのが始まりだった。本当は断るつもりだったのに、通り過ぎる人々にぶつかってしまったり何もないところで躓いているのを見てしまっては放っておけなかった。

 だからカロスのことは『ミーティア』での顔と、時々料理が壊滅的になってしまうことしか知らない。

 そういえば先日の苺ポトフは久しぶりの大物だった。賄いとして一口頂いたが、ロイが完食したのが信じられないくらいだ。


(おなか、大丈夫だったのかな)


 隣を歩くロイを見上げる。やはりソルアレスの衣服では寒かったのだろう。口元をストールの中に埋めて機嫌よさそうに目を細める姿は猫のようで少し可愛い。

 あの時に渡した胃薬は、カロスの旧友であるノヴァから貰ったものだった。『ミーティア』で働くようになってすぐ訪ねてきてくれて、やけに神妙な顔をしながら辛いことがあったらこれを飲めと、カロスから見えないところでそっと渡されたのだ。最初こそ意味が分からなかったものの、数日後に手土産をもってノヴァにお礼を言いに行く羽目になったことは今でもはっきり覚えている。


「いい匂いだな」


 『ミーティア』への帰り道、鼻先を漂う香ばしい匂いにロイは露店に視線を向けた。その先では頭に手拭いを巻いたガタイのいい男性が鉄板の上で何かを懸命に焼いていた。

 じゅうじゅうと耳に届く心地よい音にフィーリもつられると、そこでは一口サイズに切られた鶏肉の塊を串に刺したものを売っているらしい。焦げ付かないようくるくると手際よくひっくり返しているその動きをロイはじっと見つめている。

 興味をひかれているのが一目で分かるくらい空色の瞳がきらきらしていて、子供っぽいその表情にフィーリはくすりと笑みを零した。


「すみません、三つ下さい」

「あいよ! デートかい?」

「あはは違います」


 威勢の良い問いかけにフィーリはばっさり否定した。隣でロイが乾いた笑いを浮かべているのを、店主が何を察したのか哀れんだ目になったような気がする。


「観光で来たんですって」

「そうかそうか! じゃあこれ食べて元気だしな!」


 がははと豪快に笑って店主は焼き立ての肉串を袋に入れた。ロイが懐から財布を取り出そうとしたのを手で制して、フィーリは代金を先に支払って袋を受け取る。慌てたのはロイだった。


「フィーリ、俺が」

「いいんです。これはマスターからなので気にしないで下さい」

「しかしさっきこのストールも買ってもらったのに」

「はいはい、これお願いしますね」


 尚も食い下がろうとするロイに袋を押し付けてフィーリは先に歩き出した。カロスからお金を預かってるのはロイも知っているはずなのに、それでも自分で払おうとするのを強引に押し留めたのだ。

 まだ納得する様子のないロイの鼻先に指を突き付けてフィーリはきっと眉を吊り上げた。


「折角ルクセリアに来てくれたんだもの。おもてなしくらいさせて下さい」

「……ありがとう」


 くすぐったそうに笑ったロイにフィーリも笑顔で頷いた。そもそも自分のお金でないのだからお礼を言われるのは違うかもしれないが、カロスからの心遣いを受け取ってもらえて嬉しかった。

 そんなフィーリの顔をどう思ったのか、ロイがじっと見つめてくる。


「なんです?」

「いや、こんなに親切にしてもらえると思ってなくて」

「だってマスターがそう言うのに、あの顔を前にして嫌って言える?」

「それはまあ、確かに」


 のほほんとしているのにどこか首を横に振るのが躊躇われてしまう。にこにことしたカロスの顔を思い出したのかロイは苦笑した。

 納得してくれたロイの腕の中から串を一本取り出してフィーリはぱくりと齧りつく。『アルフェリア』としてであればエレナに泣いて止められそうなものだが、今は『フィーリ』であるのだから、ちょっと良心は咎めるが気にしないことにしている。それに、こういうのは食べ歩きが美味しいのだ。


「あつっ」


 焼き立ての鶏肉は未だ熱を持っていて、齧った瞬間に中から溢れてきた肉汁にフィーリははふはふと息をもらす。それを見たロイも習って肉串を頬張った。


「ん、旨いな」

「ね! あ、ほら油垂れちゃいますよ」


 串を伝って鶏肉の油がロイの手首を伝っていく。このままだと汚れてしまいかねないと、慌ててフィーリはハンカチで拭ってやった。じわりと白のハンカチの色が変わっていくのを見てほっとする。買ったばかりのストールにも服にも染みはついていないようだ。


「フィーリって面倒見がいいよなあ」

「人のことを何だと」


 む、と頬を膨らませるとロイはそうじゃなくて、慌ててと訂正する。


「あのマスターの手前とはいえ、嫌だったら嫌って言っていいんだよ。俺としては一緒の方が楽しいし嬉しいけど、不愉快な思いさせてまで強制したくはない」


 困ったような顔に、フィーリはぱちりと目を瞬いた。


「どうしてですか? 嫌じゃないのに」


 フィーリがそういうと、今度はロイの方がきょとんとした。


「俺のこと嫌いじゃないのか? 昨日とかちょっと浮かれて迷惑かけてしまったし、その……」


 叱られる前の子供のようにおずおずと尋ねたロイがなんだか可笑しくて、フィーリはふふ、と口元に手を当てた。


「その人が答えにくいところをストレートに聞いてくるところは凄いと思いますけど、だからといってそれだけで嫌いにはなりませんよ。それに――――」


 くるりとフィーリは振り返る。


「私の機嫌だけでルクセリアのイメージを決められるのは勿体ないもの」


 夕陽が差し込む。その光を受けながら微笑んでフィーリはスカートの裾を翻した。ふわりと空気を纏って広がった柔らかな裾の下、踊るようにブーツの踵が高らかに鳴る。


「ここはね、いい国なんです」


 亜麻色の髪が揺れる。人工で作られたものではあるが精密に出来ていて、ちょっと触ったくらいではウィッグとは分からないだろう。それだってルクセリアの職人が手掛けたものだ。自然な色合いと柔らかな手触りは他国では真似できない。

 たくさんの人がいて、集まって、商売が成り立って、平和で。笑顔にあふれたこの国がフィーリは大好きだった。誇りだった。


「訪れた人にはそう思ってほしいじゃないですか」


 風に靡いた髪を耳にかけて微笑む。

 ルクセリアの王女としてではない。フィーリとして、この街で生きるものとして、良いところだと思ってほしかった。

 こんなことを言うと恩着せがましくなってしまうかもしれないが、紛れもないフィーリの本心である。そしてそれはちゃんとロイにも伝わったらしい。


「大丈夫」


 夕陽を背負ったせいでその顔は少し薄暗かったけれど、先程までの心配そうな顔が和らいでいる。


「少なくとも一人はそう思ってるよ」

「それなら大成功ですね」


 にんまりと悪戯っぽく笑ってフィーリは再び『ミーティア』に向かって歩き出す。そろそろ開店時間だ。お遣いは果たしたし、早く戻って手伝わないと。


「そんなにこの国が好きなんだな」


 軽やかな靴の音に重なるように、背中からロイの声が投げかけられる。


「ええ、もちろんです」

「どうしてだ?」


 ひたりと足が止まる。問われて、フィーリはその意味をすぐには飲み込めなかった。


「どうして、って……」


 振り返った先、その青い瞳は決してからかっている訳ではない。純粋にフィーリがこの国を好きだという理由を知りたいのだと真っ直ぐ伝えていた。


「今日は質問ばかりですね」

「気になることはその場で聞いておく主義なんだ。後で後悔したくないからさ」

「なるほど」


 なんと伝えようか。ううんと迷って、フィーリは静かに口を開いた。


「母がね、この国を好きだったんです」


 ぽつり、語り出した声は小さい。雑踏から逃れるように道の端に寄ると、通路側にロイが並んでくれる。すれ違う人とぶつからないようにしてくれるのが分かって、フィーリは言葉を続ける。


「元々体が弱くってこの国で暮らすのは大変で、本当はどこか遠くで静養しなければいけなかったんです」


 王宮にいたとしても、王妃という肩書きではゆっくり心休めることは出来なかっただろう。周囲に何度も何度も説得されても、それでも母はこのルクセリアで生きることを選んだ。


「それでも最後までこの大好きな国にいたいって、それで……」


 優しい母だった。山の綺麗な空気の中でならもう少し生き永らえることができたのに。この国を、父を愛していたばかりに若くして死んでしまった。

 最後の時、痩せ細った手でフィーリの頭を撫でてくれた母の微笑みを思い出す。息も絶え絶えで苦しかったろうに、それでも恨み言一つ言わなかった。


「だから私自身が好きかって聞かれたら、それはまた違うかもしれません。でも、好きな人が好きなものは私にとっても大切なんです」


 上手く言葉に出来ない。こうして改めて問われると、今はもう記憶の中でしかいない母の顔だけが浮かんでくるのだ。

 もう成人を迎えるというのに子供みたいな理由に、呆れられるだろうか。ちらりとロイの顔を伺うと優しく見つめられていたことに気付く。


「そうか」


 納得したように頷かれてフィーリはぱちりと目を瞬く。


「笑わないんですか?」

「笑うもんか。それだけ素晴らしい母上だったんだろう」

「そうだけど……」

「それに理由はどうあれ国を愛する心は大切だ。民なくして国はありえないからな」


 そういうロイの瞳は慈愛に満ちていて、フィーリはなんだか気恥ずかしくなる。

 だって、笑われると思った。いい年をして母親の影を追いかけているだなんて、甘えるなと父には厳しく叱られていたから、そんな風にいってもらえるなんて思ってもみなかった。


「――――あなたが王だったら、きっといい国になるでしょうね」


 ふっと心が軽くなったような気がする。それはともすれば泣きたくなるような安堵感で、くしゃりと少し顔を歪ませたフィーリの頭をロイの手が優しく撫ぜた。


「俺の魅力にようやく気付いてくれた?」

「ばか」


 ぱしんと頭上の手を叩いてフィーリは笑う。ちょっとだけしんみりしてしまった空気を誤魔化すように、歩く足を速めた。


「そういえばロイは本当に王女を見るためだけにきたの?」

「いや、実はもっと重要な案件があってだな」


 ただ話題を変えたかっただけなのだが、思いの外ロイはやけに真剣な表情になってフィーリを手招きする。何か重要な案件でもあるのだろうかと喉をごくりと鳴らしたフィーリの耳に手をあてて、ロイはひっそり囁く。


「嫁さんを探しにきたんだ」


 思考が停止する。言われた意味が理解できず、まじまじとロイの顔を見つめると彼は至って真剣な表情だった。

 見つめあうこと数秒。フィーリはふっと微笑んだ。


「それじゃあ私はそろそろお店に戻らないと」

「待て待て待て待て」


 速やかにその場を立ち去ろうとするフィーリの手をロイは引き止める。手首を掴まれてフィーリはじとりとロイを睨みつけた。


「友達は紹介しませんからね」


 とは言ってもフィーリに友と呼べるのはエレナしかいない。いつも優しく可愛いエレナ。こんな自分でも姫様とずっと慕ってくれる気立ての良い子だ。あんないたいけな少女をどこの馬の骨とも知れぬ男に渡す気は毛頭ない。


「そんな紹介いらないよ」

「じゃあどういうことなんですか」


 掴まれた腕が痛い。振り解こうとする動きを逆手に取って、ロイはそのままフィーリの手を顔の前まで持ち上げた。


「だって目の前にいるからな」


 ちゅ、とリップ音が鳴る。水仕事で荒れた手に触れた柔らかいそれがロイの唇だと頭が認識した瞬間、フィーリはばっと手を胸の中に抱きこんだ。


「な、な、な――――っ!」


 わなわなと体が震える。かあっと顔に血が上って耳まで熱い。

 今、一体、なんて言ったのだ。

 嫁を探しにきたって、目の前にいるって、まだ会って数日の自分にそれを告げる理由なんて一つしかない。

 からかわれた。その結論に辿り着いたフィーリの体は頭で考える前に勝手に動いていた。キスされた手を振り上げて、そのまま勢いよくロイの頬に叩きつけた。


「ばか!」


 ばちんと派手な音が鳴る。周囲にいた人々が何事かと振り返るが、気にしてなんかいられなかった。

 ばか、ばか、信じられない。叩いた手がじんじん痛くて、ロイの顔もまともに見れなくて、じわりと目尻に滲んだ熱いものを振り払うようにフィーリはそのまま『ミーティア』への道を走り抜けた。

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