第5話
少し日差しが陰る頃合いだった。
それでもまだルクセリアの大通りは人で賑わっていて、フィーリはその合間を縫いながら頭の中でいくつか店の候補をあげていた。
時々エレナへのお土産としてよく行くマダムの店はあるが、あそこは女性用のドレスがメインであまり男性物は置いてなかったような気がする。カロスが勧めていた店ならもちろん間違いはないのだろうが、いかんせんあそこの男主人はどうにも噂話が好きすぎるのだ。ロイと一緒に連れ立っていけば、その日の夜にはもうあれこれとありもしない話が広まっているに違いなかった。
悪い人ではない。悪い人ではないのだが、誤解をといて回らなければいけない苦労を思うとあまり気が進まなかった。
(……別に、誤解されるほどの仲でもないんだけど)
フィーリはちらりと隣を見上げる。何がそんなに楽しいのか、機嫌よく鼻歌を歌いながらすぐ傍を歩くロイは興味深そうに露店を眺めていた。その端正な横顔を、すれ違う女性がうっとりとしながら目で追っているのを見かけたのは一度や二度ではない。
人目を惹くその華やかな容姿は、ちゃんとしたものを着ていれば貴族と言っても通るだろう。鮮やかな金髪に晴れた空のような水色の瞳。すっと通った鼻筋も、優しくはあるが意志の強い眼差しも、きっとソルアレスのような輝く陽の下で笑っているのが似合っていた。
(黙っていれば格好いいのに)
ぼんやりとそんなことを考えていると、不意にロイの視線がフィーリに降りてくる。ぱちりと目を瞬いて、それからロイはふっと口元を和らげた。
「どうした?」
「なんでもないです」
覗き込むように近付けられた顔を掌でぐっと押し返す。そんな粗雑な扱いにも怒ることなくロイはえー、なんて笑っている。
きっとフィーリが見つめていたことなんてバレているのだろう。増々笑みを深めたロイにじとりと冷たい視線を返す。
「あなた、自分の顔がいいこと分かってやってるでしょう」
「俺の顔が好きって言ってる?」
「呆れた。驚くほどポジティブね」
ばちんと音がしそうなウィンクを送られてフィーリは溜息をついた。冗談か本気か分からない態度に頭を悩ませても仕方がない。
「ポジティブにもなるさ。可愛い子と一緒にいて浮かれない男なんていないよ」
「はいはい。お店閉まっちゃうから急ぎますよ」
「うーん、これも流されちゃうかあ」
残念そうにするロイの手を引いてフィーリは先を急いだ。この男のペースに合わせていたらいつまで経っても帰れない。彼が望むような可愛い女の子じゃなくて大変恐縮だが、早く帰ってカロスの手伝いをしなければならないのだ。
「ほら、あそこの露店とかどう?」
フィーリの指差した先をロイの目が追いかける。立ち並んだ店の一角で色とりどりの衣類を置いてある店があった。観光客向けなのか、ルクセリア特有の紋様が編み込まれたものを取り揃えているようだった。
「ああ、見てみようか」
頷いたロイと二人で近付けば、店主が顔を上げてにこりと笑う。初老の男は少し太めの体ではあったが、それが逆に穏やかそうな雰囲気を醸し出していた。
「いらっしゃい、何かお探しかね」
「ええ。この人にルクセリアの冬を耐えられそうな暖かいものを」
話しかけられてにこりとフィーリはロイの服の裾を摘まんだ。たったそれだけの動作でその布の薄さを察したらしい。店主は顎を撫でながらほっほと笑った。
「ソルアレスじゃちょうど良いかもしれんが、ここじゃあ寒かったろう」
「分かるのかい」
出身国をあてられてロイが目を丸くすると、店主は楽し気に頷いた。
「分かるとも。その服の紋様は――――」
「じいさん」
言葉を遮ってロイは唇に人差し指をあてた。言葉では語らず、真っ直ぐ見つめたロイの視線に店主はぱちりと瞬きをするも、再びにんまりと目を細める。しい、と静かに吐かれた息の意味が分からず、フィーリは首を傾げた。
「ほ、これは失敬」
「どういうこと?」
「男同士の秘密ってやつだよ」
意味ありげに視線を交わす二人を見比べて、その真意を問い質すことは早々に諦めた。この様子ではどうせ聞いたところで教えてくれないだろう。
「殿方同士の語らいもいいけど、店仕舞いの迷惑になっちゃうから本題も忘れないでね」
「お、そうだったそうだった」
肩を竦めたフィーリにロイはぽんと手を打って店の前にしゃがみこんだ。それからふうむと真剣な顔で品定めを始めたその横に、同じように腰をかがめる。
「どれもいい品だから迷うな」
「嬉しいこと言ってくれるねえ」
マフラーを持ったロイはその手触りを確かめるように表面を撫でた。顔を綻ばせた店主の表情から察するに、この人はきっと利益よりも純粋に商品を愛してるんだろうなあとフィーリの心がほっこりする。
正直、最初はあんまり気が乗らなかった。けれど今はそんなに悪くない。
「ロイは好きな色とかある?」
同じ形でも色違いが幾つかあって、フィーリはその内の一つを手に取った。それは深い艶やかな赤い色で夕陽の差し込みかける今ですら鮮やかだ。
他にもロイが手にしている薄い柔らかな青やシックな黒もあって、彼のように端正な顔立ちならばなんでも似合いそうだった。
「そうだな」
ロイはじ、と考えこんで、フィーリの顔を真っ直ぐ見た。好きな色なんて考えなくても浮かぶだろうに。
たっぷり考え込んで、それから漸くロイは口を開いた。
「――――紅、かな」
視線が交わる。何か言いたげなその瞳に、けれどフィーリはへえ、とただ相槌を打った。
「意外。青とかの方が似合いそうなのに」
それこそ今ロイの手にあるような色の方がフィーリから見ればしっくりくる。紅だと金髪と相まって結構派手になるんじゃないかな、なんて考えていると店主が柔和な表情を悲し気に歪めていた。
「旦那……」
「いや、いいさ。似合う色と好きな色って大抵違うもんだからな」
いっそ哀れみすら浮かんでいる店主の視線に、ロイはふっと何か諦観したような顔で小さく息をつく。またフィーリだけ分からない話題に入ったようで、でもどうせ教えてくれないのだろうと気にしないことにした。その横でロイが店主に何やら慰められている。
「あ、これはどう?」
フィーリが手に取ったのは紅色のシンプルなストールだ。手触りもよくこれならばルクレシアの寒い冬も乗り切れそうである。今しがたロイに聞いたばかりの色でもあるし、これだけ落ち着いた色合いなら派手にもなりすぎずきっとちょうど良いだろう。
色味を確認しようとストールをロイの体にあてると、それまで漂っていた哀愁をぱっと霧散させて、どれどれと自分の体を見下ろした。
「ああ、いい色だな」
その一言にフィーリはほっと息をつく。エレナ以外にこうして何かを選ぶなんて初めてだから、実はちょっと緊張していたのだ。
そんなフィーリの心境を知ってか知らずか、店主はにこやかにうんうんと頷いている。
「流石お目が高い。これはうちで取り扱っている中で一番いい商品だよ」
店主は懐からそろばんを取り出して玉をいくつか弾く。そして提示された金額はさぞ高いのだろうと覚悟して盤面を覗きこみ、フィーリは目を丸くした。
「……これ、安すぎません?」
フィーリだって曲がりなりにも王族だ。例え引き籠りだろうが与えられるものは一般家庭ではお目にかかれないほど高価なものだと理解しているし、目もそれなりに肥えていることは一応自覚している。
だからこのストールを勧めたのだし、折角ルクセリアのものをロイに身に着けてもらうのだから多少値が張るとしても良いものを選んであげたかった。
ある程度の金額は覚悟していたが、これはどう見ても計算間違いをしたのではないだろうか。少なく見積もってもゼロが一つ足りない気がする。
「なに、ワシからの選別だよ」
「じいさん……」
ぱちんと可愛らしくウインクをした店主の気遣いにロイは何やら感極まっているようだった。この短時間で随分仲良くなったものだと、ロイの社交性に感心しながらフィーリはカロスから預かった財布を開いた。