第16話
国民へ向けた成人の儀は昼過ぎから行われる。
パレード用の馬車に乗って城下町をぐるりと一周するだけのお披露目だ。大勢の人の目があるということに変わりはないが、昨晩の夜会のようにユグレシドがいる訳ではない。その分いくらか気が楽だった。
「それでもやっぱり緊張するわね」
「姫様は今日もお美しいので大丈夫ですよ」
王城の正門へ向かう道の途中、馬車へと距離が近付くにつれフィーリは気が重くなってきた。その背後からくすくすとエレナの笑う声がして、フィーリはこのままパレードまでついてきてくれればいいのにと、柄にもなくそう思ってしまう。
白を基調としたドレスに深紅のマントをまとった肩が重い。よくもまあユグレシドはこんなものを常に身に着けていられるものだ。思えば王にしては存外体格が良いことを思い出す。若かりし頃の逸話も嘘ばかりではないのかもしれない。
「あら、姫様耳飾りはどうなさいました?」
「え?」
エレナにそう言われてフィーリは耳元に手を当てる。そこにつけるはずだった金の耳飾りの不在にあっと声をあげた。
「いけない、置いてきちゃったわ」
被り慣れないティアラが頭から落ちてしまわないか心配で、少し外していたのをすっかり忘れていた。部屋を出る直前にまたつければいいかと、離れの鏡台の前に置いたままだったのだ。
「……でも髪に隠れて見えないだろうし」
この動きづらい服装で離れに戻るのが億劫だった。それに間もなくパレードが開始される。初めてのお披露目で遅れていく訳にもいくまい。
幸い今日の髪型は髪を下ろしているから耳元は目立たないはずだ。まあいっかとそのまま進もうとしたフィーリの後ろからエレナが前に回り込んだ。
「いけません、折角の晴れ舞台なのですから!」
少し怒ったようなエレナにフィーリはう、とたじろぐ。
「で、でも……」
「五分で戻りますから! お願いします!」
「少しくらいは問題ないんじゃないのかしら」
「フィーリ様をお飾りすることが私の楽しみなんです!」
そこまで言いきられては否とは言えなかった。そもそも忘れてきたフィーリが悪いのだ。折れて頷いたフィーリにエレナはぱっと顔を輝かせる。
「それでは申し訳ありませんがこちらのお部屋でお待ち下さいね」
「手間をかけてごめんなさい」
「いいえ、大丈夫です!」
手近にあった部屋の中にフィーリを案内すると、エレナは笑ってぱたぱたと小走りで来た道を戻っていった。本当に優しい子だ。『フィーリ』として生きてきて、エレナと出会えた以上の幸運はないだろう。
あの雨の中、ボロボロの服で路地裏に蹲っていたあどけない子供だったエレナを思い出す。ろくな食事ができていなくてがりがりに痩せ細った手足、落ち窪んだ目には光が灯っていなくていつ死んでもおかしくなかった。
手を差し伸べずにはいられなかった。
『ミーティア』でカロスに助けてもらいながらエレナの看護をした。ルクセリアから少し離れた小さな町が夜盗に襲われたらしい。家を焼かれ、親を殺され、さ迷い歩いて路地裏に辿りついたという。
暫くは塞ぎ込んでいたものの、やがて元気を取り戻して独り立ちしていった姿を見送った時は寂しくなったものだ。それも束の間、一か月後、王城が新たに雇ったメイド達の中に混じってエレナがフィーリの元へ帰ってきたのだが、それはまた別の話になる。
「いい天気ね」
そこは談話室の一つだった。南向きに窓があって差し込む日差しは明るく室内を照らす。清らかなその光につられるように窓際に近寄って、眩しさにフィーリは目を閉じた。
***
ぱたぱたと向かいの廊下から走ってくる姿を見つけてロイは目を瞬いた。足元まである丈の長いメイド服のスカートを翻すのは、先程見たばかりの少女だった。
「エレナか?」
「ロイ様!」
慌てて急ブレーキを踏んだエレナは深々と頭を下げる。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ございません」
「あー、いいって。俺にはそういうの気を遣わなくて平気だから」
「しかし……」
「それよりフィーリはどうしたんだ? 間もなくパレードの時間だろう」
きょろりとロイは廊下の奥に視線を巡らせる。出発にはまだ少し時間があるはずだ。エレナの性格からしてみれば片時も離れずフィーリの傍についていそうなものだと思ったのだ。
「離れに忘れ物をしてしまいまして、姫様には今奥の部屋でお待ち頂いております」
「ああ、なるほどね」
通りで急いでいた訳だと納得して頷いた。振り返ったエレナの眼差しが心配そうな色を宿しているのを見て、ロイはその小さな頭をぽんと叩く。
「それなら俺がついているから早く行ってくるといい」
「よろしいんですか?」
「よろしいとも」
ぱっとエレナの表情が明るくなる。ソルアレス国の王子に遠慮するよりも、フィーリの安全の方が大事らしい。人によっては問題視されるかもしれないが、ロイにとっては好ましいことだ。
「角を右に曲がったすぐのお部屋におられますので、申し訳ございませんがよろしくお願い致します!」
再び深く頭を下げてエレナはまた小走りにその場から去っていく。
「あいつらにも爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだな」
ハルとクリスティナの雑な扱いを思い出してロイはフィーリが羨ましくなった。あいつらときたら主君を主君とも思わず、なんでもずけずけと物を言ってくるし平気で頭を叩いてくるとんでもない臣下だ。しかし、だからこそロイは二人を傍に置いている。
「さて、お姫様のご機嫌はいかがかね」
エレナに言われた通り角を曲がって、間もなく見えてきた扉をノックする。午前中に会ったばかりだが、式典用のドレスに着替えると聞いて楽しみにしていたのだ。王女を慕う国民達には申し訳ないが、一足先にお目にかかれるのは役得だった。
こほんと咳払いをしてロイは外行き用の声を出す。どこで誰が聞いているか分からぬのだ、念には念を入れておくに越したことはない。
「アルフェリア王女、入ってよろしいですか」
「……ロイ、王子?」
中からフィーリの声が聞こえてロイは扉を開ける。部屋に入って正面の窓の前、フィーリが目を丸くしていた。窓から差し込んだ陽の光に白いドレスが透けて雪のようで、白い肌と溶け合ってそのまま消えてしまいそうな錯覚に陥る。
「さっきエレナと会いましてね、こちらに王女がいらっしゃると――――」
向かい合ったロイの視線の先、フィーリの後ろにある窓の外に黒い影がふっと差し込んだ。人の形をしている。その影の中で一瞬きらめいた銀の刃が見えてロイは駆け出した。
「フィーリ!」
「きゃあっ!」
ロイが手を伸ばしてフィーリを胸に抱きこむのと、背後の窓ガラスが割れるのはほとんど同時だった。がしゃんといっそ綺麗な程に砕けたガラスの破片がロイに降りかかる。その中に紛れて黒ずくめの襲撃者がフィーリ目掛けて刃を振り下ろしたのを、ロイは片手で引き抜いた短剣で受け止める。
「はああっ!」
そのまま力任せに押し返すと襲撃者は後ろに飛びのいて距離を取った。狭い部屋の中であるにもくるりと器用に一回転した襲撃者は、そのまま迷うことなく窓の外へ飛び出していく。
訓練されたものの身のこなしだった。襲撃が失敗したと知るや否や捕縛される前に撤退する。顔も性別も察知させないくらいの刹那的な犯行だ。
一太刀も浴びせることが出来なかったロイはちっと舌打ちをする。
「大丈夫か、フィーリ」
抱きこんだ胸の中で固まったままフィーリは動かない。ガラスは全てロイが被ったから怪我をしてはいないはずだが、呆然としたその体はへたりと力が抜けている。腰に手を添えて支えると、その感覚でようやくフィーリはハっと我に返った。
「だ、大丈夫です。ありがとう」
ロイの胸に手をついて一人で立ち上がろうとするも、その指先がカタカタと震えている。無理もない。命を狙われたのだ。恐怖は後から湧いて出てくる。
「……今って、暗殺、よね」
「心当たりあるのか」
「ないです!」
蒼白な顔面でフィーリは叫ぶ。そう、ある訳がない。ずっと王城の離れで暮らしてきたのだ。恨みを買う相手もいなければ、自分を殺して得をする人間がいるとも思えない。
あるとすれば、ソルアレス国との婚姻で不都合が生じる者だが、生憎とフィーリに心当たりはない。
「……もう、何よ。みんな」
好き勝手なことばかり言って。いつだって人生は不条理だった。勝手に憎まれて、疎まれる。そこに自分の意志など介入できない。
割れた窓から冷たい風が入り込む。足元では砕けたガラスの混ざってティアラが逆さまに転がっていた。