第15話
火照った頬が熱くて仕方がない。
机を挟んだこの距離で隠れるところもなくて、フィーリはごほんと無理矢理咳払いをするとロイがふっと笑った。
「そうそう、用件だったな」
にか、といつも通りの顔になったロイに少し安心する。ソルアレス国の王子としてではなく、ロイ個人として来てくれたからフィーリも打ち明けることが出来た。もし昨日の夜会の時みたいに他人行儀でこられていたら、ずっとぎこちないままだった気がする。
「これから顔を合わせる機会も多くなるだろうから、俺の側近を紹介しておいた方がいいと思ったんだ」
ロイが廊下の方へ視線を向けると、コンコンと扉をノックする音が響いた。
「お入り下さい」
「失礼致します」
あら、と聞き覚えのある声にフィーリは目を瞬く。
「ハル!」
部屋に入ってきたのは二人。『ミーティア』でも顔を合わせたことのあるハルと、ブロンドの長髪を緩く三つ編みで結わえた美人だ。どちらも昨日の夜会に参加していたのを覚えている。
「貴方だったのね」
「覚えていて下さって光栄です、アルフェリア様」
フィーリがぱあっと顔を輝かせると、魔法使いらしい紺色のローブを纏ったハルが胸に手を当てて一礼する。
多く言葉を交わした訳ではないが、見知った顔があるというのは酷く安心する。それにハルとは色々と分かち合えそうな気がしていたのだ。主にロイのことで。
「改めましてハル・ヴィンターと申します。ロイ様付きの魔法使いにございます」
手にした錫杖がしゃらりと綺麗な音を奏でた。
「先日はご挨拶が出来ず大変申し訳御座いませんでした」
「いいえ、事情がおありだったのでしょう」
律儀に謝罪するハルにフィーリも首を横に振った。どういう理由であれ、主人がお忍びで出歩いてる中で臣下が正体を明かす訳にもいかないだろう。
「お隣の方は?」
ちらりとハルの隣に視線を向ければ、ブロンドの美人がにこりと微笑んだ。
(わ……)
たったそれだけで場が華やいだ気がした。新緑のような緑の瞳は吸い込まれそうなくらい透き通っている。すっと通った鼻筋に、長い睫毛が目元に影を落としていた。すらっと背が高いが、忠誠的な魅力を持った人だった。
「クリスティナ・グレイスと申します」
綺麗なテノールだった。
その可憐な唇から出てきた低い声に思わずフィーリがぱちりと瞬きをすると、クリスティナと名乗ったその人は悪戯っぽくにんまりと笑う。
「お聞きの通り、俺は男です」
フィーリが何を思ったかなんてバレバレだったのだろう。見透かされて頬が熱くなる。
「ご、ごめんなさい。あまりにも綺麗だったから」
「いいえ、よく言われますので」
「こら、クリス」
横でロイが窘めるも、事実クリスティナは美しい。長い髪もあいまって女性かとも思うが、聖職者が纏うローブ越しにもその体格がしっかりしていることは見てとれた。
不思議な魅力に思わずほうと見惚れていると、ごほんとわざとらしくロイが咳払いをした。
「どちらも俺の信頼する臣下だ。何かあれば遠慮なく使ってほしい」
「至らないところもあるけれど、よろしくお願いします」
フィーリは頭を下げて、それから机の上に置いていた小さなベルを鳴らす。すると隣の部屋からすっとエレナが姿を現した。
「私の側仕えをしてくれてるエレナです。その、『フィーリ』のことも知ってるわ」
ロイの臣下であればもう知っているだろう。けれど改めて言うのは少し気恥ずかしい気がした。
そういえば、ロイは『フィーリ』について何も聞かない。理由とか、きっかけとか。もし本当にからかうつもりで近付いたのなら、今頃笑われていてもおかしくないはずだ。
馬鹿な娘と思わないんだろうか。王女の単なる気紛れだと軽んじないのだろうか。
「エレナと申します。姫様のお輿入れの際も付き添わせて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します」
深々と頭を下げたエレナに、物思いに耽っていたフィーリはぎょっとした。
「待って、まだエレナだと決まっていないのよ」
「姫様はエレナではご不満ですか?」
「いいえ、そんなことはないわ!」
捨てられた子犬のようにうるうるとした目で見つめられて、フィーリはうっと怯んだ。どうにもエレナのこの瞳に弱い。
王女が他国へ嫁ぐ時には、大抵が付き人を連れていくことが多い。それは慣れぬ異国の地では同郷の者がいた方が心強いし、何より身の回りの世話は見知ったものに頼んだ方が良いからだ。
だが、それは付き人の一生を左右することにもなる。
「不満じゃないけれど、エレナもルクセリアを離れることになるのよ」
もちろん付き人となった者へはそれ相応の生活が保障される。給金だって王城で働いている時よりも高くなるし、衣食住に困ることはなくなるだろう。
しかし、故郷には帰れなくなる。余程の理由がない限りは王女の側で働き続けなければならない。
だというのにエレナはむしろ嬉しそうにしていた。
「構いません。姫様に仕えられるのならどこへだってお供致します!」
「だけれど……」
それでもフィーリは頷けなかった。
だって、エレナはまだ成人すらしていない。気立てが良くて、可愛くて。このままルクセリアで働き続けていればきっと相応しい伴侶を見つけることが出来るはずだ。結婚して、子供を産んで、家庭を築いて。
そんな不変の幸せがあるのにわざわざフィーリと一緒に国を捨てることはない。
「アルフェリア様」
エレナがフィーリの足元でそっと跪く。
「一生のお願いです」
くうん、とどこからか雨に濡れた子犬の鳴き声が聞こえてくるようだった。フィーリはうう、と唸る。エレナの涙には一等弱いのだ。
「ふ、ふふっ」
ふと、横から笑い声が漏れ聞こえた。
「……ちょっと、何笑ってるんですか」
「ごめんごめん」
口元に手を当てて笑いを収めようとしているロイをぎろりと睨みつける。こっちは本気でエレナのことを考えているというのに不謹慎ではないか。視線で抗議するとロイは目を細めた。
「いい主といい従者だと思ってな」
「やっぱり馬鹿にしているでしょう」
「とんでもない! なあ、ハル、クリス」
助けを求めてロイが後ろを振り返るも、彼の頼れる臣下二人はそっぽを向いて決して目を合わせない。おい!とロイの慌てた声にフィーリは全くと溜息をついた。
これから、彼の国でロイと暮らしていくのだ。
手元の歴史書も、イグニスから教わったことも、思い返してもまだ実感が湧かなくてフィーリはぼんやりと窓の外に視線をむけた。