第14話
「それで、何か御用ですか」
つんと冷たく言い放ってフィーリはまた手元の本に視線を落とす。
ロイとは昨日ダンスを踊って以降、顔を合わせていなかった。何か話してたそうにしてたのは知っていたが、落ち着いて会話できる気がしなかったのだ。
そんなフィーリの態度にもロイは『ミーティア』と同じように笑いかけくる。
「ここ座ってもいいかい?」
「どうぞ」
頁を捲りながら短く答えると、ロイはさっきまでイグニスが座っていた椅子に腰かける。視界の端にそれが見えて、けれどフィーリは顔を上げない。最早ちょっとした意地だった。向かいの席で苦笑する気配がした。
「何話してたんだ」
「ソルアレス国の歴史についてですよ」
「興味持ってくれたんだ」
「嫁ぎにいくのに何も知らないままって訳にもいかないでしょう」
「あ、じゃあ俺が教えてあげようか」
「結構です」
断ってまた頁を捲る。ぺら、と乾いた音がやけに響いた気がした。
「真面目だな」
別に深い意味はなかったのだと思う。
けれど、呟かれた声にとうとうフィーリは顔を上げてロイをぎろりと睨み付ける。
そりゃあ真面目にもならざるを得ない。ある程度の知識はあれど、婚姻にあたっては相手の風習に乗っ取って行うのだ。粗相があってはルクセリアの恥になる。
しかしロイは悪びれもなくへらっと笑った。
「怒ってる?」
「いいえ」
「怒ってるじゃないか」
「気のせいです」
「なあ、フィーリ」
「アルフェリアとお呼び下さい」
被さる様に低い声で告げれば、困った風にロイは頬をかいた。『フィーリ』だなんて呼ばないでほしい。それはアルフェリアの姿の時に言われたくなかった。
だって、ロイがロイだったからありのままでいられたのだ。一人だけ何も知らずはしゃいでいた自分はさぞ滑稽だっただろう。
取り付く島もない様子にロイは笑みを引っ込めた。
「悪かった」
存外、素直に謝ってくる。それでもまだ胸のもやもやが晴れない。
「私をからかっていたことですか」
「違う。決してそんなつもりはなかったんだ」
「言い訳は結構です」
「フィーリ」
もう一度名前を呼ばれる。いつになく真面目な声色にフィーリは口を噤んだ。
空色の瞳が真っ直ぐ見つめてくる。どうにもこの目に見つめられると弱かった。こんな風に正面から対等にいてくれる人なんて他にいなかったから、どんな風にしたらいいか分からなくなる。
「最初になんの肩書もない状態で会ってみたかったんだ。ルクセリア国の第一王女でもなく、アルフェリアでもなく、ただのお前と会っておきたかった」
きっとその言葉に偽りはない。
もしロイが最初にソルアレス国の王子だと名乗っていたら、フィーリは『フィーリ』としては絶対に接しなかった。一生を『アルフェリア』として壁を作ったまま過ごしていくことになったと自分でも思う。
「不快な思いをさせて申し訳なかった」
「ちょ、ちょっと!」
机に鼻の先がつくくらい頭を下げられてフィーリは慌てる。こんな風に謝られてまで臍を曲げるつもりなんてなかった。
「頭を上げて下さい!」
「……許してくれるのか?」
「許すも何も!」
ぐ、とフィーリは言葉に詰まる。
本当はそんなに怒っている訳ではなかった。隠し事をされたのが悔しくて、寂しくて、拗ねていただけだ。
「……本当に、怒っていた訳ではないんです」
長く、息を吐く。
呟いた声にロイが頭を上げた。
男の人はこんな風に謝ったりしないと思っていた。ユグレシドの横暴さばかり見ていたから変な感じがする。
「あなたが私のことを『アルフェリア』としてしか見てないのかと思ったら、その……」
恥ずかしい気持ちが競りあがってくる。けれどロイは静かに聞いてくれていた。
面と向き合うのが居たたまれなくて、フィーリはとうとう目を反らしてしまった。
「少し、寂しくて」
言った瞬間、耳が熱くなる。頬が火照って、きっと真っ赤になってるだろう。
こんな風に胸の内を伝えるのが恥ずかしいなんて思ってなかった。子供みたいな感情をロイは笑うだろうか。
ちらりと横目で窺った先、ロイの表情を見てフィーリは言葉を失った。
「――――そうか」
蕩けそうなほど和らいだ目元。穏やかに弧を描く唇から安堵の息が聞こえる。
窓から差し込んだ陽の光に金色の髪がきらきら輝いて、フィーリはまだ遠い春が無性に恋しくなった。