少年の話
天国とは随分寒いところなんだと思った。
冷え込んだ空気が肌から体温を奪っていく。寒いのに熱い。変な感覚に鼻がむずむずしてくしゅんとくしゃみが一つ飛び出た。
「ここ、は……」
ぼんやりと戻った意識で最初に目にしたのは見慣れない天井だった。周囲を見回すと、知らない部屋に寝かされているようだった。
あちこち傷んで綻びた壁、歪んだ窓枠は風にがたがたと揺れている。部屋の中にあるのは今いるベッドと小さなサイドボードくらいのもので、お世辞にも裕福とは言い難い。
窓の外は明るく白み始めている。朝方の冷え込みで目が覚めたのだろう。どうやら木々に囲まれた場所らしく、そういえば森の奥まで逃げてきたのだったと段々意識がはっきりとしてきた。
死んだと思った。
暗い森の中、立ち上がる力さえなくて、蹲った木の根が己の墓場なのだと思っていた。
それなのに今こうして生きている。一体、こんな自分の命を誰が救ったのだろうか。救われる価値があったのだろうか。
後継者争いで命を狙われ、聞きたくなかった罵声を浴びせられ、目の前で消えていく命に疲れてしまった。
あのまま死ねたらきっと楽になれたのに。
それでも今、生きていることにほっとしている。
「……んん」
びくり、少年は肩を震わせる。もぞりと足の方で何かが動く気配がして、慌てて壁沿いに体を寄せた。
恐る恐る目だけで足の方へ視線を向けると、誰かがベッドサイドに頭を突っ伏しているようだった。華奢な女性である。椅子に座った状態で器用に眠っているようだ。
朝日に輝くのは美しい銀の髪。どこか冷たそうにも見えるのに、陽の光に透けた色は淡く少年の目に映った。思わず伸ばした指先が触れると、絹糸のようにさらりと心地よい手触りが伝わってくる。
「うっ……」
痛む体を無理やり起こす。上がりそうになる声をぐっと堪えて息を整えると、あちこち包帯が巻かれていることに気付いた。
この人が手当てをしてくれたんだろうか。
突っ伏した腕に埋めていた女性の顔が少し動く。微かに見えた白い肌にどきりと胸が脈打った。
伏せられた瞳を縁どる長い睫毛。
瞼に隠された瞳は一体何色だろうと覗き込んだ瞬間、ぱちりと女性の目が開いた。交差したのは鮮やかな紅の色だ。
「駄目よ、動いちゃあ」
そっと阻まれた細い指。ふふ、と小さな唇が弧を描いて窘める。阻まれなくともそれ以上は痛みで体を動かせそうにもなかった。
「お眠りなさい。大丈夫、きっと元気になりますから」
優しく額を撫でられる。伸びてきた手に体が反射的に竦んでしまった。けれど彼女は決して怒らず、ふわりと微笑むだけだった。
「ここは安全なの。翼竜が守って下さってるからなんの心配もいらないわ」
白い手がすっと瞼を覆うと視界が暗くなる。
闇は恐ろしかった。けれど、今だけは酷く落ち着くことができた。
「おやすみなさい、殿下」
囁くような子守唄が響く。知らない旋律に、意識はだんだん遠のいていった。