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アルフェリアの嫁入り  作者: 吉野吉乃
第一章 白銀の乙女
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第1話

 銀色の髪が陽に輝く。

 ステンドグラス越しに降り注いだ光は七色に彩られ、少女の真っ直ぐな髪を鮮やかに照らしていた。

 そこは教会だった。否、そう呼ぶにはあまりにも小さすぎる祈りの場だ。丸く囲われた冷たいコンクリートの壁の中、入口から真っ直ぐ伸びた赤いカーペットの先で少女は跪いていた。

 色素の薄い肌をより際立たせるような白いローブの裾が床に広がる。その繊細な刺繍は一目で上質なものだと分かるだろう。額には翡翠の宝石がついたサークレットをつけ、耳元では揃いのイヤリングが静かに揺れていた。

 その華奢な指を合わせた先、閉じた瞳を縁取る睫毛が顔に影を落とす。祈りを捧げるその前には雄々しい翼竜の石像が鎮座していて、少女を射抜くかのように見下ろしていた。


「殊勝なことだな」


 皺がれた声が反響する。ぎい、と開かれた背後の扉はこの部屋にある唯一の出入り口だ。軋んだ音を立てたその隙間から姿を見せた男は、顎に生えた白い髭をゆっくりと撫でる。


「翼竜に連れ出してもらえるよう祈っていたのか?」


 年老いた男だった。顔に深く刻まれた皺と白くくすんだ髪にもう還暦はとっくに過ぎているように見えたが、それでも尚若々しく感じるのはその眼光の鋭さ故だろうか。


「言ったはずだ、そんな無駄なことは考えるなと」


 こつ、こつと男は足音を響かせる。肩にかけた深紅のマントが翻り、頭上の王冠がステンドグラスの光に照らされた。


「お前はこの国の為に生き、この国の為に死ぬのだ」


 少女の背後で立ち止まると男は石像を見上げた。大きく広がった翼、力強く大地を踏み締める爪。ただの石像と分かっているのに酷く威圧感がある。この国のどこかに住まうという翼竜の石像だ。ルクセリアに加護を与えていると信仰されているが、その姿を見たものはいない。


「――――お父様」


 少女が顔を上げる。その可憐な唇から放たれる声は鈴のようで、しかし感情の籠らない静かな音だった。


「分かっております」


 従順な声に男は満足そうに頷いた。ゆるりと振り返った少女の滑らかな頬に、皺がれた手を差し込んで指先に力を込める。


「それでいい」


 柔らかい肌に指先が食い込む。それでも少女の表情は揺るがない。ただただ男の望むように在り続けていた。


「良い子だ、アルフェリア」


 顔にかかった前髪を払われる。さらりと流れた銀糸のその奥で、紅玉の瞳が静かに伏せられた。



***



 ルクセリア国の春はまだ遠い。

 空は灰色の雲に覆われ、一番寒い時期を超えたにも関わらず今にも雪が降り出してきそうだ。少女が見上げたその寒そうな色に、ほうと吐き出された空気が白く広がっては消えていく。

 それでも市場はいつも賑わっていた。街の中心に位置する王城に続くように大通りがあり、石畳で整備されたそこには露店が立ち並んでいる。果物や野菜といった食料だけではなく、衣服や雑貨、果ては武器までもが手に入るのだ。店先を冷やかす者、客を呼び込む声、冷たい風が吹いても賑やかさで溢れている。


「よう、フィーリちゃん」


 人の流れに乗って歩いていた少女に露店商の一人が声をかけた。通り過ぎようとしていた少女は深い青色のスカートを翻して振り返る。肩にかけたチェックのストールの上で亜麻色の髪が柔らかに揺れると、赤い瞳がぱちりと瞬いた。雪のように白い肌は寒さのせいか頬がほんのり色付いて、相手が顔見知りだと分かると柔らかく微笑んだ。


「買い物かい?」

「ええ、お店の買い出しなの」

「偉いねえ。それじゃ、こいつはご褒美だ」


 店先に並んでいたドーナッツをぽいぽいと袋に詰め込むと、露店商はそれをフィーリに差し出した。袋の口が閉じられないほど沢山いれられて苦笑する。


「私もうすぐ十八よ」

「まだ十七だろう。今甘えなくてどうするんだ」

「子供じゃないのに」

「俺からしたら赤ん坊みたいなもんだよ」


 白髪が目立ってきた露店商の瞳に慈しみの色が見えて、フィーリはそれ以上何も言わず素直にその袋を受け取る。すると、彼は満足そうに頷いて目を細めた。出稼ぎにきていて故郷にいる娘と中々会えないんだと、いつか寂しそうに話していたことがあったのを思い出す。その子の代わりになんてなれないが、彼が喜ぶならそれで良いとも思えた。


「んー、いい匂い」


 ドーナッツの匂いを胸いっぱいに吸い込んでフィーリは目を細める。抱えた袋がほのかに温かくて、きっと揚げたてを持ってきていたのだろう。今すぐ食べたい気持ちをぐっと我慢したけれど、無情にもくう、と切ない音が腹の底から響き渡った。

 ぴた、と笑んだままフィーリの表情が固まる。大丈夫、このざわめきの中でちょっとした腹の虫なんて聞こえやしないはず。素知らぬ振りをしようと思ったフィーリに露店商はまた一つドーナッツを差し出した。


「ここで食べていくかい?」


 生暖かい視線を向けられてフィーリは顔を覆った。ばっちり聞こえていたらしい。


「…………マスターと食べるから我慢します」

「はは、偉い偉い」


 恥ずかしさを誤魔化すようにこほんと咳払いを一つして、フィーリはそれにしてもと市場を見渡した。


「今日は随分と賑やかね」

「そりゃそうさ。直にアルフェリア様の成人の儀があるからなあ」


 アルフェリアと、この国の王女の名が出てフィーリはぎくりと体を強張らせる。露店商にその動揺が伝わらないよう貼り付けた笑顔は上手く出来ているだろうか。


「ご生誕から十八年、漸く俺達もお姿を拝見できるんだ」


 いっそ誇らしげに露天商は瞳を輝かせる。フィーリが生まれる前からルクセリアへ行商にきている彼からすれば、自分の子供も同然かもしれない。

 アルフェリア・リラ・ルクセリア。

 それはこのルクセリア国の第一王女である。ユグレシド王とキリエ王妃の間に生まれたが、生まれつき病弱であることから今まで一度も国民の前に姿を現したことがない幻の王女だ。王城内では騒がしいからと離れの部屋でずっと静養していたのだが、成人となる十八の誕生日にその姿をお披露目すると公表されたのはつい先日のことだった。


「――――そんなに、めでたいことかな」


 ぽつりと呟いた声は、けれど背後からの悲鳴にかき消される。同時に店主の顔が驚愕の色に染まった。


「うわ、馬が!」


 露店商が指差した先を追ってフィーリも大通りを振り返って、絶句した。

 親とはぐれたのだろうか、通路の真ん中で転んだまま泣いているの小さな男の子の姿と、その更に後ろからめがけて走ってくる馬の姿が見えた。


「フィ、フィーリちゃん!」


 袋を押し付けられた店主の驚いた声がフィーリの背中から聞こえてきたが、今度は立ち止まることなどできなかった。危ないと頭で思う前にもう走り出してしまっていたのだ。

 馬の勢いは凄まじい。慌てて避難した人達の隙間を縫って男の子の前に踊り出ると、フィーリは小さな体を抱えてすぐにその場から離れようとする。


「くっ」


 しかし、男の子の体が意外と重い。フィーリの細腕にずしりとかかった負荷にたたらを踏んでしまった。


「危ない!」


 周囲から悲鳴が上がる。興奮した馬の蹄がすぐそこまで迫っていた。間に合わない。咄嗟に男の子の頭を胸に抱きこんで体を丸めたフィーリは来るべき衝撃に備えようとして、ぎゅっと瞼を閉じた。

 その頭上を、ひらりと影が覆った。

 ひひん、と馬が啼く。けれど、鋼鉄の蹄が襲い掛かることはなかった。


「――――え……?」


 人々が安堵の歓声を上げる。恐る恐る目を開けたフィーリの前で、前足を大きく浮かせた馬の体がぐるんと向きを変えていた。その場で足踏みをしてはいるものの、先程のような暴れ方ではない。


「大丈夫か?」


 頭上から声が投げかけられる。地面に座り込んだままだったフィーリが見上げると、きらりと眩しい光が目に差し込んできた。ちかちかと陽の光に反射するようなそれが金に輝く髪だと分かったのは、馬に跨った男がその背から顔を覗かせてからだった。


「え、ええ。大きな怪我はないみたい」


 抱きこんだ胸の中の男の子から体を離してフィーリはほっと息をついた。転んだ拍子に出来たものなのか、膝を少し擦り剝いているが大きな怪我はなさそうだ。


「すみません!」


 男の子を立ち上がらせて服の埃を払ってやっていると、馬の背後から小太りの男が慌てて駆け寄ってくる。その身形からしてどこぞの商人だろうか。


「に、荷馬車を取り付けてる間に逃げ出してしまって」


 余程急いで走ってきたのだろう、ひいひいと息を切らしながら青白い顔で周囲を確認している。大きな被害がないことを確認して安堵したのか、商人は深く息をついた。


「人が多くてびっくりしたんだよ、なあ」


 ひらりと馬の背から降りた男がその鼻先を撫でる。ぶるん、と興奮気味だった鼻息が段々を落ち着いていき、その鬣が撫でられると気持ちよさそうに尻尾を揺らした。

 太陽のような金髪だった。少し長めに残った襟足が、それこそ馬の尻尾のように首筋を彩っている。その瞳は澄んだ湖の様な鮮やかな水色だ。すっと通った鼻筋に、けれど弱々しい印象は受けない。まるで物語の王子様そのものだ。


「坊主、立てるか」

「……うん」


 ぐしぐしと泣いていた子供が立ち上がり、袖で目元を乱暴に拭った。転んだショックで泣いてしまっていたせいか、しゃくりあげている様子に男はポケットから小さな包みを取り出してみせた。


「そんじゃ、口開けてみろ」

「くち?」


 首を傾げた子供に向かってあ、と手本みたいに口を開いて見せると、子供も同じように口を開く。男はその中に包み紙から取り出したころんと丸い飴を放り込んでやった。


「甘いだろ」


 に、と男が笑うと、子供は頬を飴玉で膨らませながらこっくりと頷いた。


「よしよし、一人で帰れるか?」

「うん」


 甘いもので幾分か落ち着いたのか、男の問いに答えて子供がたっと駆け出した。その先で女性が子供を抱き留めたのを見届けてフィーリも立ち上がろうとする。


「君も大丈夫かい」


 すっと差し出された手にフィーリはぱちりと瞬いた。己のより大きな手だ。なんだか気恥ずかしくて迷ったものの、折角の好意を無下にする訳にもいかない。おずおずと重ねるとしっかり握られて、そのままぐいと立ち上がるのを手伝ってくれた。


「あ、ありがとうございます」

「しかし無茶するなあ」


 窘める訳ではない。どこか困ったように笑う男に、フィーリもつい反論した。


「あなたこそ興奮した馬の背に乗るなんて!」

「おっと。じゃあお互い様だ」


 男はにかりと笑う。見た目もそうだが、性格も太陽のような男だ。何度も頭を下げた商人に宥められながらゆっくり馬が去っていくと、それまでの騒ぎが嘘のように市場は元の姿を取り戻していった。

 残されたのは男とフィーリの二人きり。


「さて、私もそろそろ行くね」


 予想外のトラブルがあったが、フィーリもこの後仕事が待っている。それじゃあと手を振って立ち去ろうとすると、がしりとその腕を掴まれた。


「……まだ何か?」


 首を傾げると、男は困ったように笑った。


「次は君の番だろう」

「え、あ、ちょっと!」


 戸惑うフィーリの腕をぐい、と引っ張って男は人混みから少し外れた路地に連れていく。大通りから一本外れるだけで人の通りは少なくなった。


「そこの樽に座って」


 男は指示しながら肩にかけた鞄から水筒を取り出した。一体なんだというのか。未だ頭に疑問符が浮かんでいるフィーリは、それでも大人しく言う通り樽の上に腰かけた。


「水で洗うな」


 そっと手を取られて初めて気付いた。掌から赤い筋が伝って地面にぽたりと血の雫が落ちる。さっき子供を助けた時のものだろう。アドレナリンが出ていたせいか痛みを全く感じていなかった。


「気付かなかった……」

「人助けは美徳だが、自分の安全も考えた方がいいぞ」

「う、ごめんなさい……」


 しゅんと項垂れる。咄嗟のことだったし、何よりもう子供を助けることしか頭になかったのだ。だけど確かに自分は向こう見ずなところもあるのは自覚していたから、その指摘には言い返せない。


「でも、それが君の良いところなんだな」


 ふっと男は柔らかく笑う。惜しげもなくフィーリの掌に水をかけて血と砂利を洗い流すと、懐から白いハンカチを取り出してそのまま傷口に巻いていった。されるがままだったフィーリだが、肌に触れる意外と上質な手触り気付いてぎょっとした。


「汚れちゃいます!」

「やるよ」

「でも!」


 なんてことはないように言われて尚も食い下がるフィーリに、男はごそごそと何か手元を弄っていた。


「俺にもいい恰好させてくれよ」

「なんの――――っ」


 ころんと何かを口に放り込まれる。反射的に閉じてしまった口の中で仄かな甘みが広がった。飴玉だと気付いた時にはもう男は立ち上がって歩き出していた。引き留めようとしたが男は背中越しに手をひらひらと振っていて、そうなると流石に追うことはもう出来なかった。


「変な人」


 だけど、悪い気はしない。ころころと口の中で飴玉を転がしながら触れられた掌をしげしげと眺める。シンプルな白いハンカチかとも思ったが、その端には繊細な刺繍が施されていて、高級そうなそれにフィーリはひえっと小さく悲鳴をあげた

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