嫌われ者の最期
三度目の火炎巻く竜の牙を受けた地竜は頭蓋を粉々に砕かれて、今度こそ沈黙した。
呆気のない幕切れ。だが王都の危機は去ったのも事実。
ユリウスが望んでいた報酬も恐らくは独り占めできることだろう。
……実際のところ、普通に参加していたとしても白金貨の一枚や二枚くらいはもらえていただろう。国家の危機に金を出し惜しむようでは国が存続することなどできない。
結局倒せたのだから「終わり良ければ総て良し」となるけれども。
しかしそのユリウスは戦闘が終わったと言うのに、手に持った剣を手放そうとしない。赤黒い剣と同様に紅蓮に染めた身体をのそりと動かす身体は、まさしく鬼のよう──
「──……ろす」
ぽつりと。露が水たまりへ小さく波紋を広げるように、静かな声音で彼は呟く。
平時とかけ離れたその呟き。ふらり一歩動かした彼は顔を上げ。
ギラギラと喜悦に淀んだ瞳孔が、獲物を見つけた獣のように開かれた。
「ははっ、ころす、コロスコロスコロスッ!」
地面が抉れるような跳躍で彼は獲物に迫った。それはただどこにでも生えている樹で、ユリウスに危害を加える素振りなど見せない。ただの樹なのだから、当然だ。
しかし。
「あはは! しねしねしね! みんなしねェ!! ハハハハハッ!!」
相手が生きていようがいまいが、ユリウスにはもはやどうでもよかった。なんの変哲もない樹が倒れる様を心底おかしそうに見るその瞳には、もはや理性の色はない。
彼は自分の獲物が倒れきるのを見届ける前に次の獲物へと襲い掛かった。
ユリウスが使用したスキルは、諸刃の剣ともいえるものだった。
ダメージ回数が100回に達した時強制的に発動するこのスキルは、全能力値が飛躍的に上昇する代わりに理性を失う。戦闘が終わっても一定時間が経つまでは元に戻らず、解除するためには意識を失うか魔力が切れるのを待つしかない。
「こわす、ころす、こわす! 全部ぶっ壊してやるゥ!!」
ケタケタ笑いながらユリウスは剣を振るう。黒い炎を纏った剣は木々を燃やし、消し炭に変えていく。
なんの益もない破壊行為。もう敵は死んでいるのに、ユリウスが止まることはない。
そこに意味なんてない。ただ楽しいから。枷もなく暴れまわるのが楽しいからそうしているだけ。余計なものを取っ払って内の衝動に身を任せるのは、あまりに心地いい快感だった。
ユリウスは暴れることが好きだった。血と暴力をこよなく愛していた。それが他者に厭われるものだと知っていても、自分に残る人間性はそれを肯定しているから。
暴力による刹那的快感。他者を屈服させる優越感。誰よりも強くあることこそが彼の存在理由で、戦うことこそが生きるすべて。目的があってするのではなく、それをしたいから戦うだけ。
理性が消えて顕わになった人間性は、破綻していた。
「ハハハハハ!!」
壊す、殺す。剣を振る。
血色の剣が舞う度に起こる爆発が、森を破壊していく。
壊して、壊して、燃やしていく。
楽しい。楽しくてたまらない。
お気に入りのおもちゃで遊ぶ子供のような無邪気さでユリウスは剣を振るう。炎と破壊を撒き散らして高笑いする。
けれどそれは、
「あはははは────あ?」
──左胸を貫くナイフによって終わりを告げた。
◇◇
「あ──? なん……っ、」
唐突にやってきた理解不能の出来事に疑問を吐き出そうとした口からは、代わりにせり上がってきた血塊を吐くことになった。
それと同時に狂化状態が解除される。
生命の危機に瀕したことによる自己防衛意識によるものだった。
頭を支配していた感情の嵐が消え去ったユリウスは剣に凭れて膝をつく。押さえた左胸からはとめどなく血が滴り、もはや権能による造血促進を考慮しても致命傷だ。
背から貫く投げナイフは正確に心臓を潰していた。
「──ふむ、まだ生きていますか。普通なら即死なのですが、化け物はこれだから嫌ですね」
その時、荒く息を吐くユリウスの背後から男の声がした。破壊されつくした森林の現状には似つかわしくない冷静な声だ。
咳き込みながら振り向くと背の高い一人の男が立っている。
不気味な印象を与えるその男は、頭に二本の角が生えていた。
「て、めぇ……それ……まぞ、く……」
「ええ、そうですよ。喋る元気があるとは、本当に驚きです」
人ならざる異形は魔族の証だ。人の姿を借りた悪魔とも呼ばれる、人類共通の敵。
朦朧とした意識と霞んだ視界では男の姿を正確に捉えることはできないが、それだけ分かれば今回の一件が全て彼らによって企てられたことだということは理解できる。
ギリギリと睨みつける死にかけの獣に、男は鉄仮面を崩すことなく遠くに転がっている地竜の死体を横目に見た。
「しかし、あの魔物は駄目でした。せっかくグスタフが強化を施したのに人間一匹にやられるとは。所詮は数十年しか生きていない子供ですかね」
数十年、という言葉に、古代地竜ではなかったのかとユリウスはぼんやりとした頭で思った。
(戦闘中に違和感は感じてたけど、あの図体で子供……いや、強化って言ったか。ああ、違う、それよりも魔族、魔族がいるってことは、つまり……)
思考がまとまらない。肝心なことを忘れているような気がするのに、それを考えることができない。
重たい瞼を必死に開けて、傷口から蒸気を吐き出す様を男はじっと見降ろしている。
「……一応邪魔になりそうなので始末しておきたかったのですが、その様子だともう持たないでしょうね」
「ま……て…………ぐぅ、」
踵を返して歩き出そうとした男の背を追いかけようとしたユリウスだが、突然に剣が消えたことで地面に倒れこんだ。地面に顔を強打したが、今更痛みも感じない。
剣が消えたということは魔力が尽きたということ。紅蓮剣の自動回復効果も無くなれば、もはやユリウスに回復手段はない。
「…………ぁ、……く、そ……ぉ」
明確に見え始めた死のビジョン。それを意識したユリウスは、悔し気に前方を睨みつける。そこにいた男はすでに跡形もなく消えていた。
避けられなかった。気付くことすらできなかった。
狂化状態の彼の意識を潜り抜けて投げたナイフを心臓へ突き刺すことは常人には不可能のはず。それなのに、あの魔族の男は涼しい顔でやってのけた。
……あの男は、ユリウスよりも遥かに強かった。
「……ッ、……、……」
弱々しい手で地面を掻く。混濁とした視界を赤く滲ませながらユリウスは唸った。
悔しくて仕方がなかった。
(こんなところで、俺は死ぬのか。まだ暴れたりないのに。やりたいことが、アイツとだって拗れたままなのに……まだ、もっと俺は──)
意識が薄れていく。死が直前にまで迫っている。
嫌だ、まだ死にたくないと縋りつく彼を連れて闇が視界を覆っていく──その中で、目の前に誰かが立ったのを感じた。
(……?)
閉じかけた目をのろのろと動かす。
もしやまたあの魔族が、と思ったユリウスだったが、そこにいたのは人ではなかった。
一匹の狼だ。
白銀の毛と金の瞳。美しい色彩を持つ小さな狼が、じっと彼を見下ろしているのだ。
なぜ、と思う。どうしてこんなところにと。そして何をしているのか、と。
ただ声を出すことができない彼は、金の目と黒の目をただ交差させる。
『条件を達しました。第二職業英雄を獲得します』
(は────?)
突然のことだった。
暗くなりかけた頭の中で、声が響く。それは十年近く前、彼が職業を授かった時と同じ声だ。
その声はありえないことを彼に告げている。
どういうことだと思ったがそれを訪ねる気力はない。耳を傾けるにも、もう意識を保つのは限界だった。
『職業の権能を得たことで代償が生じます。英雄の権能は────』
(まて、いま、なんて……)
次々と告げられる言葉。それを最後まで聞くこともできずにユリウスは意識を失った。