奥の手というやつ
古代の生物が化け物と呼ばれる所以は、その桁外れた生命力にある。
たとえ周囲を更地に変えるような猛火をかいくぐり、千の魔導砲を受けても傷一つ付かない守りを乗り越えて、その体に一太刀の傷を付けたとしても──彼らを殺すことはできない。
「ハァッ、……ハァ…………、くっ、そ……」
身体が重い。痛い。くらくらする。
折れた右足から弱々しく蒸気が上がっている。
剣を支えに立ちながら俺は自分の状況を確認して、乾いた笑いを漏らした。
もう魔力が尽きる。そうしたら、紅蓮剣の自動回復効果も切れる。魔力ポーションは残り一本。通常のポーションは飲み切ってしまった。
さっき50回をすぎたから一回リセットはしたが、それからは余裕がなくて今のままだ。
……頭が上手く働かない。血を流しすぎたか。
「……ハァ……くそ、…………ゲホッ」
べちゃ、と血だまりに血痰が落ちる。
職業の権能で滅多に貧血なんてないのに。それだけ無茶なことしたってわけか。
あー、くそ、足動かねぇ。
ふと右側から影が迫るのが見えた。
咄嗟に剣で受ける。瞬間、大岩を受けた衝撃で吹っ飛ばされた。
「ガッ、」
ゴロゴロと地面を転がって樹に叩きつけられる。背骨が嫌な音を立てた。
「いってぇよ……くそが……」
震える手で剣を掴みながら立ち上がる。が、足に力が入らず崩れ落ちた。
最初はまだよかった。
攻撃も土魔法の単調な乱射だけだったし、装甲もやたらめったら硬いだけの鱗があるだけだ。避けるも傷つけるも難しいことではない。
だが段々と、直情的な動きは変わっていった。
本気を出した、というよりは、力の使い方を理解していったというような動き。
岩の弾幕は動きが精緻に、足場を崩すような大地の変動と共に動くようになり、素のままだった装甲は、今なお彼を囲む赤茶色の透明な障壁が担っている。その頑強さは、赤毛の騎士のものを彷彿とさせた。
「……」
……アイツなら、もっとうまくやったんだろう。
あの男の後ろ姿がよぎる。赤い髪をしたいけ好かない騎士。
いつだってあいつは上手くやった。地竜だって抑え込めただろう。俺にできなくても、あいつなら。
『……解散しよう、ユリウス』
「────ッ!」
ガッ、と剣を地面に突き立てた。歯が軋むほど噛みしめて、震える足を叱咤する。
睨みつけた先の化け物は、悠然とそこに立っている。
何が「アイツなら」だ。馬鹿か俺は。あんな奴いてもいなくても変わらねぇ。あんな野郎に頼らなくても、俺は強い……!
ああ、そうだ。だって俺は、俺の職業は最上位職だ。Sランクの、人をやめた化け物の証を俺は持ってるんだ。
今さら誰がいようが、俺の強さは変わらねぇ。俺は強い。アルバンテインなんかより、よほど。
それに俺なら、アイツにできないことだって……コイツを倒すことだってできる。できるに、決まってる。
そこにあったのは意地だった。
もはや自分に課せられた「応援が来るまで抑える」という役目はなく、身を焦がしつくしてでも敵を討つという、子供じみた意地だけがそこにあった。
収納袋から魔力ポーションを取り出す。最後の一本。
それを一気に飲み干すと、貧血でふらつく頭を足の甲をぶっ刺すことで叩き起こした。
「いいさ、やってやる……やってやんよォ!」
勝ち目は薄い。今まで戦ってきてこの状況なのだから、当たり前だ。
けど勝算はある。きっといけるだろうという方法がある。正真正銘の最後の手段が、まだ残っている。
できればもう二度と使いたくなかった。一生使わなければいいと思ってた。だけどこれがなくては勝てない。
それに幸い、ここには俺とトカゲ野郎しかいない。
「今ので87……あと13回だ」
言うと同時に剣の柄で腹を殴る。腸に重く響く。かはっ、と嗚咽が喉を過ぎる。
ダメージ判定が入るのは最大体力値の一%以上が削れた時だけだ。生半可な力ではダメージも入らない。
ともかく、これであと12回──
だがそう簡単にはいかない。雰囲気の変化を感じ取ったらしい地竜の土魔法が飛んできた。
幾百の散弾を避けつつ左手を傷つける。後ろで瓦礫の嵐に見舞われた木々が消し飛んだ。左肩を外す勢いで柄を振りかざす。
鈍い痛み。顔をしかめる、がすぐに襲ってきた魔法の気配に何も考えずその場を脱する。
直後、さっきまでいた地面から幾本もの土の槍が宙を貫いた。そして絨毯が広がるように次々せまるのを木の上へ退避。指の骨を折る。まだ追撃が来ないから、もう一本折っておく。
そこからは似たようなことの繰り返しだ。
絶え間なく続く当たれば終わりの攻撃を避け続けながら、戦闘に支障がない程度に、しかし容赦はなく自分の身体を傷つける。
変動する地面を裂け、飛んで来る瓦礫を砕き、ブレスから逃げて。ついには薙ぎ払う尻尾から逃れた先で大岩を受けてしまったが。
──これで、100回。
脳漿を揺らす被弾の衝撃と発動したスキルの影響で薄れゆく意識の中、俺は祈るように目を閉じた。
「……上手くやれよ、俺」
◇◇
〝彼〟は自分の攻撃が直撃したのを見て、今度こそやったかと吹き飛んで行った人間を目で追った。
この人間はいくら押しつぶそうとしてもちょこまかと逃げ回る上に、攻撃を受けてもすぐに回復してしまう。彼は人間一匹仕留められない事に苛々していた。
けれど彼が与えられた力を使いこなせるようになってからは魔法も当たるようになってきたし、避ける動きも鈍くなってきていた。だから今度こそ終わったのでは、と思ったのだが。
平然と立ち上がる人間の様子を見て体がこわばった。
なんてしぶとい人間だろう。
さっき殺した狼共もなかなかだったが、個の人間はずば抜けている。どうせこの障壁は壊せないのだからさっさとくたばってしまえばいいのに。
自分本位な憤り。しかし彼はもう数時間もあの人間に足止めされて本当に苛ついていた。早く人間たちの巣を壊しに行かなくてはいけないのに。
……いや、別にそおんなことをする必要はない。なんでそんなことを思ったんだろう。自分はただ穏やかに眠っていられればそれで。
けれど正常に戻りかけた彼の施行にノイズが走る。平穏を望む心を凶暴性が蹂躙していく。
──そうだ、この人間を、殺さなくては。
さっきから邪魔をするこの人間。生かしておいては面倒だ。あの方の邪魔になりえる存在は消しておかなければならない。
ああでも、あの方って誰だっけ。
彼は相反した思考の中でただ対象を殺すために魔法で岩を作り出す。
今度こそ、あの子煩い人間を黙らせるために。轢き潰して粉々にして、二度と立ち上がれないように。
自分の平穏の為に相手を殺す。しかしそれは成されなかった。
初撃で潰せたかと思った。あの人間が立っていた場所へ寸分違わず着弾した。寸前まで動かなかったからもう限界だったんだろうと、これで終わりだと。
なのにその人間は、ユリウス・ファーナムは今、彼の目の前にいた。
数百メートルの後方から一瞬で距離を詰め、跳躍し、燃える剣を振りかざして、彼へとその凶刃を振るおうとしている。幾度も彼の鱗を砕いたあの剣を。
彼は慌てて障壁を目の前に移動させた。
あの人間は障壁を砕けない。この壁さえあれば──
「おゥらァぁあアアアア!!」
獣のような雄たけびとガラスが割れる音が鳴ったのは同時だった。
たったの一振り。あの熱くて痛い剣を一振りさせただけで障壁は砕け散る。
驚愕する彼。恐怖とで目を見開くその鼻先で、ユリウスはその不気味な炎をボロボロになった額へと、裁断を下すように振り下ろす。
灼熱の痛みは一瞬。まずい、と彼が思う間もなく、爆発した炎によって体が吹き飛ばされた。
最初の狙撃とは比べ物にならない威力。あまりに破壊的な一撃。脳天が抉れたのではないかと錯覚するほどのそれに悲鳴すら上がらない。
わけが分からなかった。なぜ壁が破れたのか、彼は不可解にすぎる現状にただ狼狽える。
だってさっきまであの人間は壁を壊せなかった。ひびすら入らなかったのに。なぜ急に、こんな。
その時走った悪寒は、彼の意思に反して全身の鱗を総毛立たせた。
それは、恐怖だ。
彼は今、粉塵の向こうでゆらりと立つあの人間に恐怖している。恐れている。竜であるはずの彼が、人間などに──!
カァッ、と血が上る。
そんなはずはない。そんなことが、あるはずがない!
彼の怒りは魔力として、数千の瓦礫を周囲に作り出す。今度こそユリウスを消し去ろうと、一斉に飛ばし、地を揺るがす咆哮を上げる。
だが当たらない。ユリウスが岩を避ける度に躍起になって飛ばしているのに、当たらない。ユリウスは障害物なんて意にも介さず彼へと迫っている。
彼は焦った。焦ってさらに岩を飛ばして、ユリウスが進む先の地面を隆起させようとするが、彼の阻害は全く間に合わなかった。
早すぎる。あまりにも。
彼の魔法発動速度では、ユリウスを止めることは不可能だった。
「ラァァアアア!!」
気が付けばユリウスは目の前にいて、彼は迫りくるその炎を呆気にとられたまま受け入れた。
今度こそ、脳みそが抉れる音がした。