俺に任せて
地竜が出た。
その報せを持ってきたのは、北側の守備をしているはずである、第二騎士団の騎士だった。
そいつは通信用魔道具を片手に息せき切ってこちらに向かってきている。
「地竜……? そんなはずはない。奴は今あの群れの向こうにいるはずだ。斥候からの連絡で確認も取れている」
報告の体をした悲鳴を聞いたアルバンテインは冷静に言った。
確かにさっきも問題ないと連絡を受けたばかりだ。一瞬で北の外壁近くまで移動できるとは思えない。
だがあの様子は嘘じゃないだろう。
だとしたら幻術か。偽物が現れたと考えれば辻褄は合うが、それをする意味がない。隊を混乱させるにしても、わざわざすぐに嘘だと分かる地竜を使う意味が分からない。それだったら適当な魔物でも放って攪乱する方が楽だ。
……いや、もしそっちが本物だとしたら、この上ない攪乱になっているんじゃないか? まさに今、この瞬間も。
その嫌な予感を肯定するように、アルバンテインの持つ通信用魔道具が音を立てた。
ここにかけるのはギルドマスターのオーバンか地竜を監視している斥候だけだ。
しかも定時連絡はさっきしたばかりで、今かけてくるとしたらそれは、緊急事態に他ならない。
アルバンテインもその通知によくないものを感じたようだ。珍しく険しい顔でそれを起動した。
相手は、監視役の斥候だ。慌てた声がすぐさま聞こえてくる。
「どうした」
『地竜が消えました』
「消えた、か」
『土魔法で作った偽物でした。……一瞬で崩れ去ったため術者へ逆探知を仕掛ける暇もなく、本物がどこにいるかも分かりません』
「いや、いいよ。報告ありがとう」
半ば予想していたとはいえ、実際に聞くと嫌な実感が湧いてくる。喉に苦いものがこみあげて来るのを感じた。
まんまと踊らされた。本物の地竜は今、北の外壁で暴れていることだろう。
「やられたな」
魔道具を握りしめたまま俯くアルバンテインに声を投げかける。
アルバンテインはそれには答えず、悔し気に唇を噛んでいた。今頭の中で解決策を模索していることだろう。
状況は完全に予想外の方向へ崩された。
俺たちは想像もしていなかったAランク以上の魔物が率いるスタンピードを止めねばならず、しかしそれでは地竜を止めることができない。
戦力は限られている。
小国レイクリットに第二上位職にまで上り詰めた騎士なんてものはいない。だから今この場での最大戦力は、ここにいる二人だけだ。
アルバンテインか、俺か。どちらかがここで魔物を押しとどめ、どちらかが地竜の元へ向かわねば王都は陥落する。今は、そういう状況だった。
そしてそんな状況で俺は、ぴん、と一つの事に思い当たった。
──もしかしてこれ、チャンスなんじゃないか?
アルバンテインか俺、どちらかが地竜を止めなければならない状況。つまり俺が地竜の元へ向かっても全く問題ない。
そしてそこで俺が地竜を倒してしまえば、討伐メンバーを出し抜かなくても報酬の独り占めができる。
まさに天啓のごとく浮かんできた名案。
しかもおあつらえ向きにアルバンテインは一人での戦闘に向かない。集団を強化することで真価を発揮するのが聖なる剣だからだ。
さらに俺の職業は周りに人がいると力を出し切れない。多くの冒険者や騎士がいるこの場所に俺を残すのは完全なる悪手。
だからこの場面でなら、俺が言い出すまでもなく奴から俺に行けと言ってくるはず──
「僕が行こう」
──だったのだが。
イケメン騎士野郎はきっぱりと、俺の想定していた正反対の言葉を言った。
「……は?」
意味が分からなくて聞き返す。
ついでに普段なら十秒だって合わせたくない真っ赤な切れ長の目を凝視した。
「なにいってんのお前」
「僕が地竜のところへ行くから、君はここに残れ」
「聞こえなかったわけじゃねぇよ。アホかお前はって言ったんだよ馬鹿」
「僕は騎士としての一般的な教養を身に着けているから、平均的に見れば馬鹿でもなければ阿呆でもないぞ」
「そういうとこだろ。本気で言ってんのか?」
昔っから頭のビョウキなんじゃないかと思う程ニブいというか、アホなことがあったけど、輪にかけて酷いな。
冗談も通じなくなったらいよいよ人としての感性が疑われるぞ。大丈夫かコイツ。
半眼で昔馴染みの冒険者を見つめる。じぃっと見られる方はその原因が分からないようでキョトンとしていた。
でも確かに、コイツは間違ったことは言わない。言えないといった方が正しいけど、コイツの意見はいつだって最善だった。
「……理由きいていいか、一応」
渋々と、一応、聞いておく。あくまでも一応だ。
俺だって正しいし、コイツに行かれると普通に困るからできれば穴だらけの案であればいい。
そんな期待を込めてアルバンテインを見る。
「君が行くよりも僕が行った方が生存率が高い。それに君がいればあの魔物たちもすぐに片が付く。君たちがスタンピードを鎮める間くらい、僕一人でも地竜を抑え込むことは可能だ」
「俺が戦ったら他の冒険者に被害が出るっつったのお前だろ」
「状況に応じて作戦を切り替えることは必要だ。犠牲者を気にするなら騎士や冒険者は避難させればいい。君が取りこぼした魔物だけでも相当な数になるだろうから、報酬で揉めることもない」
ふむ。俺は頷いた。
確かに一理くらいはある。プライドの高い騎士様が簡単に納得するとは思えないが、人命を第一に考えるコイツらしい案だ。俺の戦闘のデメリットもきちんとカバーできるし、コイツが一人で戦うんでなく持ちこたえることにするのならばそこも問題ない。
というか守りに入れば地竜ともどっこいどっかいのコイツだ。鎮圧に一日かかっても抑え込むくらい難ないだろう。
……どうしよう。普通に名案だった。
ぐぅ、と喉奥で唸る。反論できない。でも俺がここで残ってしまえば絶対報酬コイツより少なくなる。
はっ、もしかしてそれが目的か?
一見正しい事言っておいて、その実地竜を一人で足止めという名誉と上乗せの褒賞を得ようと……いや、このクソ真面目野郎に限ってそれはないか。
「ねぇ、いつまでそうしてるつもり? もうそこまで来てるよ」
頭を抱える俺とそれを見つめるアルバンテインに〈天翔ける騎士団〉の魔導士の女が呆れた様子で話しかけてきた。
「ウチらだけじゃあの数は厳しいんだから、アンタらがいないと困るんだけど?」
「いや、僕は地竜を抑えに行くから、ここに残るのはファーナムだけだよ」
「え? 今から一緒に地竜討伐するんでしょ? そのために群れを割っていくって言ってなかったっけ?」
「事情が変わったんだ。悪いけど他の討伐メンバーと、あと騎士団長を呼んでもらってもいいかい?」
「いいけど……」
女は渋々といった様子で踵を返した。スタンピードとぶつかるまであと三分もない。急がなければならないだろうから速足で駆けていく女。あいつ名前なんだっけ。
俺はなんとなくその後ろ姿を目で追って、そして閃いた。
そうじゃん、別に俺がこの場において最善を取る必要はないんだ。そもそも俺とコイツの案で違うのは冒険者たちの死亡率ではなくて、俺とコイツの死亡率だけだ。
つまり俺が勝手な行動をしたって迷惑がかかるのは俺だけ。そして今飛び出していけば。
思い立ったら即実行。
そういうことだから、と背を向けていたアルバンテインの横を通りすぎて助走をつけると、騒がしい冒険者共の上を飛び越えた。
「っ、ファーナム、待て!!」
後ろからいつになく焦った声が聞こえる。
俺は振り向かずに背後へ向かって中指を立てると、陣の後方へ着地した。ゴミみたいに群がってる冒険者共は、自分達の頭上を通り越した俺を見て驚いたりなんだりと忙しない。
そしてさっさと障壁を抜け、追いつかれる前に外壁の上に飛び乗る。走りながら見下ろすと、黒い波はほとんどすぐそこまで来ていた。
どちらか一方が残らないといけない状況で、アルバンテインは追ってこれない。俺が向かってしまえばそれまでだ。あいつは仕方なくここの防衛に専念するだろう。
これで、地竜討伐の褒賞は俺のものだ!
脳内で副隊長が「申し訳ありませんでした~」と平伏して土下座しているのを想像しながら外壁を駆ける。
北の方向には確かに、外壁よりも大きな影が見えていた。