レイクリット王国スタンピード騒動─顛末─
ガン、と拳を叩きつける音が部屋に響いた。
「そんなはずがないだろう。ふざけるのも大概にしろ」
テーブルを叩いたまま低い声で唸るのは、赤い髪に金の目をした騎士の恰好をした青年。無事スタンピードを治めたローレンスだ。
彼の威圧を真正面から受けた兵士は冷や汗をかいている。
「で、ですから、現場には地竜の死体しか残っていなくて、〈紅蓮鬼〉の姿はどこにも──」
「だからそれが何で、アイツが死んだってことになるんだ!」
再び机を殴るローレンスに兵士が縮み上がる。
いつになく冷静さをかいた彼の姿に部屋にいた人間はみな固唾を飲んだ。
「現場の近くに、血のついたナイフが落ちていまして……」
「それがなんの証拠になる! 襲撃者を追って行方を眩ました可能性だってあるだろう! ちゃんと探したのか!?」
「ですがあの出血量だと、いくら〈紅蓮鬼〉でも」
しどろもどろになって説明する兵士にローレンスは今にも掴みかからんばかりの形相で詰め寄っている。
それを隣で見ていたオーバンはさすがにと思ったのか、前のめりになるローレンスの背に手を乗せた。
「一旦落ち着けェ。お前がそんなんだと話が進まねェだろ」
ローレンスとて自分が余計なことをしている自覚はある。ここで喚いたところで事実は変わらない。これは正しいことではない。
だが聖なる剣としての彼ではなく、ローレンス・アルバンテインとしての彼がユリウスの死を認められなかった。
「そこまでにしていただきたいですな。あなたに暴れられると収拾がつかないので」
そこへ扉が開いて人が入ってきた。官僚の制服を着たその男は、鷲のような鋭い目つきで立っているローレンスに声をかける。
その顔はローレンスも知っていた。レイクリット王国の防衛大臣だ。何度か会ったことがあるが、国の中枢を担うだけあって裏を見せないやりにくさを感じたのを覚えている。
ともかくそんな大物が来ては騒いでいるわけにもいかず、ローレンスは渋々と席に着いた。
大臣はそんなローレンスの様子は歯牙にもかけず二人の前に座る。そして目配せで兵士たちに外へ出るように伝えた。
「んでェ、なんで俺たちを呼んだんです? コイツに事情説明する義務もないでしょうし」
ドアが閉まったのを皮切りに大臣に尋ねる。
いつになく真面目な顔をしたオーバンだが一国の大臣相手にしては砕けた敬語だ。彼自身もこの国のギルドマスターではあるのだが社交はあまり得意でないらしい。
ただ大臣は気にした風もなくローレンスを指すオーバンに頷く。
「実は、話の裏を合わせていただきたく」
「……話?」
いぶかし気なオーバン。ローレンスは黙ったまま話の成り行きを聞いていた。
「王都に古代地竜が現れスタンピードが起きたことは、国民の誰もが知っています。そしてそれを討伐したことも」
「お国の一大事ですからねェ」
「ええ。そして活躍した英傑たちを、神か英雄かのように持ち上げるでしょう。そして今回は、古代地竜をたった一人で倒した本物の英雄が生まれた」
言わずもがなユリウスのことだ。確かにそう言えばユリウスも一国の英雄としてふさわしい存在のように聞こえて来ることだろう。
事実、スタンピードを乗り越えて冒険者や騎士を中心にお祭り騒ぎをしている国民たちは、地竜を一人で倒したという英傑の話題で盛り上がっている。
「英雄の誕生というのは本来喜ばしいことなのですよ。名前が売れれば彼に憧れて戦闘系の職業を発現する子供も増えるでしょうし、小国の我が国としては戦える人材が増えるのは素直に歓迎するべきことです。今回に限っては別の要因でも英雄が生まれることは都合がいいのですが……」
一旦言葉を切る大臣。
そこによくないものを感じてローレンスは眉を寄せた。
「──はっきり言いまして、独断行動の末に勝手に戦い勝手に死んだ男が我が国の英雄になっては困るんですよ。レイクリットにも見栄や威信ってものがありますから」
「っ、ファーナムは死んでいません!!」
考える前に立ち上がって反論するローレンス。
どんな時でも冷静沈着であった青年の平素でない、あまりに必死な様子に、大臣は軽く目を瞠った。同時に、まだ二十代の若者なのだと妙に感慨深い気持ちになる。
常に正しさを求め時には冷徹な判断を下す様は大国の指揮官であっても足りる器だと考えていただけに、彼の年相応な反応に安堵すら感じさせた。
しかしその「できた男」がなぜあの、人としても冒険者としても間違いなく「問題児」である件の男を気に掛けるのか、それはほとほと疑問だったが。
「……アルバンテイン殿がなぜあの男にそこまで執着するのかは知りませんが、あの場には彼がどこかへ向かったという跡すら残っていなかった。例え死んでいなかったとしても、ならば彼はどうして消えたというのですか」
「いや、僕には……」
「襲撃者が死体を回収したと考えるのが自然でしょうな。問題はその襲撃者が誰なのかということですが、先刻フォルミオから魔水晶で人間国家に向けて通達がありまして」
「っ、まさか……」
「そいつァ……」
ローレンスとオーバンが同時に身を固くする。
フォルミオ皇国といえば大陸の中心に位置する大国だ。レイクリットの五倍近い領土を有する、政治的な権力でいえば大陸一の覇権国家。数年に一度の各国首脳陣が一堂に会する会議で毎度開催国となっていることから、人間間の裁定を担うような立場にある中心的国家だ。
そのフォルミオからの全世界への通達。人間国家を攻撃してきた魔物の集団が現れたこのタイミングで、ということは。
「恐らくご想像の通りです。テミールで魔族の姿が確認された、と」
息を飲む音。二人ともが目を見開いた。
考えうる限りで最悪の事態だ。
魔族。人ならざる異形。生きとし生けるすべての者の敵。神がこの世に産み落とした人の子と敵対することを宿命づけられた生き物たち。
普段は力が強くとも数が少なく魔族領で隠れ住むように暮らしているのだが、数百年周期で現れる「魔王」という職業を持つ魔族が現れることでその数が爆発的に増え人間への侵略を開始する。
……人間国家で魔族を見たということは、十中八九魔王が生まれたということだ。
ローレンスは口を押える。
それは、つまり今回の襲撃は魔族の手引きがあったという裏付けだ。地竜と戦ったあとにユリウスが魔族と相対しただろうという状況をたやすく想像できるほどに。
もしそうなら。ローレンスは血の気が引いていくのを感じながらソファーに座り込んだ。
もしもそうなのだとしたら、ユリウスが負けて殺されてしまったのだということも……──
(──っ、そんなわけないだろう! あいつが死ぬなんて、そんなこと……あるはずがない)
そう思いながらもローレンスは自分の考えを否定しきれなかった。血を流して倒れるユリウスの姿が、瞼の裏にこびりつく。
大臣は項垂れたまま震えるローレンスを見たまま話を続けた。
「そういうわけで、各国は軍備が整うまでこの情報を秘匿する方向に決まりました。そのために今回の騒動は『新たな英雄の誕生』という話題で塗り替えてしまう必要があるのです」
魔王が誕生したと発表した後全世界に不安が蔓延ることは予想できる。不安定な情勢というのは暴動やら恐慌やらがつきものだ。
そうならない為に、発表と同時に出兵することで魔族、つまり魔王軍との戦いへのパフォーマンスをしようという腹なのだろう。
しかし今回の騒動には不自然な手が多い。国民たちは分からなくとも実際に戦場に立っていた者たちはその背後にある何者かの気配を感じ取っていただろう。
それを覆い隠すためにセンセーショナルな話題を投じる。それが新たな英雄の誕生だと。
「その役目はあなたにお願いしたかったのですが、〈天翼の騎士〉殿は元々我が国の英雄として有名でしたからな。話題性ということでは『一人で地竜を倒し、そして死んだ男』の方が高いのですよ」
つまりこの国は「国のために散った英雄」としてユリウスを祭り上げると言いたいのだ。
それはあまりに、彼という男を侮辱する行為だ。
「ちょっ、待てェ、落ち着け!」
掴みかかろうとするローレンスをオーバンが横から慌てて止めた。
大臣はそれを片眉を上げて見やる。
「お前の気持ちも分かるけどなァ! 今は大人しくしてろ!」
荒く息を吐いて見開いた目で大臣を睨みつけるローレンスもここで感情のままに動いてはいけないことも分かってはいる。
殴ってしまっても三人だけなのだから問題にはならないだろうが、職業の代償が発動することは確実だ。彼はまだ死にたいとは思っていない。少なくとも、ユリウスの安否がはっきりするまでは。
ローレンスが唇を噛んで黙ったところでオーバンが冷や汗をかきながら大臣に振り返った。
精神の不安定な彼をいつまでも話し合いの席に置いておくわけにはいかない。さっさと終わらせてしまおうと彼は白い髪を掻いた。
「あー、とりあえず俺たちは、アイツが独断行動したことを黙っていればいいってェわけですかい?」
「ええ。英雄には必要のないエピソードです」
ぐっと拳を握りしめるローレンス。
「……おい」
「分かってます」
しかし未だ大臣を睨み続けるローレンスに本当かよ、とオーバンはぼやいた。
目を離した瞬間噛みつきそうだなんて感想を、まさか彼相手に思う事になるとはオーバンも思っていなかった。ユリウスならともかく。
とにもかくにも、オーバンが同意したことで話は終わりだと大臣は席を立つ。
頼みましたと扉に向かう後ろ姿を穴が開くほど睨む青年には気づいているだろうに、微塵も気にした素振りをしないのはさすがというべきか。
だが扉に手をかけたところで止まると、ローレンスへと振り向く。
「しかし、彼の性格ではとても英雄などは務まらないですからな。死んでくれたのは僥倖でした」
「────ッ!」
見え透いた挑発だった。どう考えてもローレンスを激高させるための言葉だ。
しかしローレンスは深く考えず──考えることすらできないほどの情動に任せて、今度こそ拳を振るった。