第521話 【新生の翼】
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空に消え去る、邪悪の残滓……
「………………」
それは、誰でもない“魔王”の覇気の消失を意味していた……
夜が終わり、光が満ちる。新生を祝福するかのような朝日が、鴉紋の全身を照らしていく――
地平に満ちる神秘の“光”――新たなる生命が芽吹き、緑が生い茂っていく。
「…………」
黒の稲光消え去り、消失していく“天魔”の力……
全身を覆う黒く強靭なる肌が、彼本来の色味を映し出し、徐々にと消失を始めていく。
「なぁ……ダルフ…………」
右の灼眼が色を失い、視力も失せる。そこには虚空を向いた黒い瞳だけが残った……
「なんだ……」
柔和な声が、鴉紋にすぐに言葉を返していた。
「お前は……どんな、王になるんだ」
割れた額より血を垂れ流し、もう立ち上がる事さえ出来なくなった魔王――否、“人間”を、ダルフは側で見下ろした。
「王……帝王、俺が……?」
「言葉を選べよ……腑抜けた返答だったら、俺が許さねぇ」
鴉紋の視界には、もう闇が差し始めていた。その全身は目もあてられぬ姿へと変わり果て、曲がった左足が草原に残される……
「俺は……俺はっ」
厳しい顔付きでダルフを見上げる黒の視線……しばし逡巡した後、ダルフは鴉紋の真っ直ぐな視線を見つめ返し、今心にある純粋なる気持ちを、何も飾り立てる事もなく口にする事にした。
「誰かの幸福に、共に喜び……誰かの悲劇に、共に涙を流せる」
「……」
「そんな“帝王”に……俺は……なりたい」
何処か、幼稚で、拙い言葉……最期の時に、自らにバトンを渡した盟友への……
――おそらく、厳しく破天荒なこの男に対して、まるで意にそぐえないとも思われる弱々しい言葉を、ダルフは吐露してしまった。
「…………」
「……っ」
「………………そうか」
「――!」
思わぬ微笑に、ダルフは目を丸くして鴉紋の側に座り込んだ。
無表情ではあるが、とても自分を嘲笑する様な態度は窺われない……宿敵であり好敵手であったこの友が、何を思っているのか考え知れない。
「…………」
「鴉紋……」
――だがしかし、何か晴れやかな気持ちがダルフを満たし、気付けば仰向けに倒れ伏せた鴉紋と共に、何処までも深い蒼穹を眺めていた。
光降り注ぎ、風に草木が揺れる。花の香りが何処より、二人の鼻腔を甘く掠めていった。
「…………」
「…………」
流れる雲は細く、緩やかで。うららかな“世界”が、二人を包み込み続けた……
「ダルフ……結末を付けろ……」
「…………っ」
何時しか二人を遠巻きに眺める様に、固唾を呑んで周囲に寄り集まった人間達。彼等は皆恐恐としながら、もう何の抵抗の手立てもない鴉紋を見詰めていた。
「…………」
「この……イカれた世界に……終止符を……」
深淵のような瞳でしばし足元を見下ろしたダルフは、側に突き立てていたフランベルジュを掴んで立ち上がると、鴉紋の頭上で剣を構えた……
「うっ……うう…………っ」
しかし、宿敵を見下ろしたダルフの視界が、止め処もなく溢れ始めた涙に、かすみ始める。
「……っ……ぁ…………」
それは何故なのか……
あれ程憎んだ怨敵の最期を前にしながら、ダルフが落涙を続けるのは――
「ぅっ……ぅ……あもんっ」
「…………やれ」
「ぜんぶ…………ぅ……おまえは……っ」
「やれ、ダルフ……統制を失った世界を再び束ね上げるは……巨悪を討つ、絶対的力……それ以外に……無い」
フランベルジュの切っ先を、しかと鴉紋の心臓へ向け……
――ダルフは誓う。高尚なる、騎士の名にかけて。
「人……と、ロチアート……いや、赤目達との共生は……」
「……」
「俺が必ず叶える」
涙を振り払い、ダルフがそう言ってのけると、鴉紋は虚空を仰いで鼻で笑った。
「叶うわけねぇだろ……」
「…………っ!」
「……だが…………――」
“新生”を遂げていく世界が、歓びの声を上げているかの様に、ざわわと緑を風に撫でた――
遠く、崩壊した修道院で、陽光に照らされた二人の少女が起き上がった――
――思わぬ彼をその目に見下ろし、ダルフの口が半開きとなる……
「ぁ………………っ」
神秘の朝日に身を照らされ、その黒き肌を消し去っていく鴉紋は……
赤き瞳も消え去って、今生のあらゆるしがらみから解き放たれていった鴉紋は……
まさしく“人間”として――――
「叶えばいいなと……そう思う」
【画:久賀フーナ様 Twitter:@hu_na_ 】
笑った。
刃物を刺し込む鈍い音が、静まり返った世界に響いた。
******
夏の草原を駆け抜けていく二人の少年が居る。
並走する彼等は、何やら競い合うかの様にして、この先の丘の向こうに見える、剥き出しの断崖を目指している様だ。
「へっへ〜んっ! 俺のが足が速いぞアバル!」
「待ってよダリオ、一体何処まで競争するの〜っ」
ダリオと呼ばれた活発そうな少年は、短い金色の髪を揺らして、力一杯に夏の日差しの中を走り抜けていった。
「また転んで服を汚したら、お母さんに怒られちゃうよーっ、ねぇ聞いてるダリオ〜?」
「な〜にがお母さんだ! 甘えん坊め!」
アバルというらしい気弱な少年は、耳が隠れる程の黒い髪を汗に濡らしながら、必至に腕を振るっていた。
元気に野を駆け抜けるダリオの方が少し早い。丘を越えて大きな岩を飛び越えていく。しかし僅かに背後、額の上で濡れた前髪を躍らせるアバルは、赤い視線で前を覗き、何やら前を行くダリオの歩幅に合わせ、わざと出遅れる様にしている気がしてならない。
「いっくぞーー!!」
「またやるの〜っ、ヤダよ〜」
そんな事など露知らず、元気な少年の金色の瞳が、積乱雲のそびえた蒼天へと向かう――
「行くぞアバル! 先に大きい鳥を捕まえた方が勝ちだ!」
「食べられない鳥を持って帰ったら、僕またお父さんにゲンコツされちゃうよ〜っ」
「メソメソしてんじゃねぇよ! 今夜は鳥のステーキだぞ! お前の母さん好きだったろう?」
「僕の方がもう食べ飽きたんだよ〜っ」
断崖を目指す少年達は、高き丘を駆け登りながら、まるで失速する事もない。このままいけば、大地の果てる絶壁の先端で、目も当てられぬ悲劇が巻き起こるであろう……
「うるさいなぁ、うちの父さんと母さんは鳥肉が大好物なんだ! 今日も獲って帰って、喜ばせてやるんだよ!」
「うちのお父さんとお母さんは、お魚の方が好きだよ〜っ、も〜っ」
ダリオを左に、アバルを右にして足並みを揃えた二人の少年は、肩を並べて視線を突き合わせる――
「せーので行くぞ!」
「あぁも〜っ」
「せ〜のっっ――――!!」
崖を越え、空へと飛び出した二人の少年――……
大きく笑って歯抜けを見せたダリオ。
その右翼からは氷の翼が、その左翼より、白き雷の翼が揃う――
今に泣き出しそうな顔で、眉をしょぼつかせたアバルの左翼からは炎の翼が、そして右翼より、黒き雷電の翼が開いていった――
空を飛翔する二人の少年。
快活な笑い声が、二つの太陽が照らす、光に満ちた世界を飛び上がっていった――
ジリジリと虫が鳴いて、遠くの草原から動物の声がした……
*
新生した世界は、“帝王”ダルフ・ロードシャインの手に収められた。
彼の統べる世界は平等を謳い、永く泰平を守り続ける。
自然を大切にし、生物と共存し、人々は安寧に腰を下ろす。
世界に一つ残された奇跡の大陸は、国として、こう呼ばれる事となった。
――マルクト王国と。
2019年の初投稿より、約135万文字ともなった私の魂に終止符が打たれた。
“ダークファンタジー”に大火を!
この魂は全て吐き尽くした。
数多ある伏線も全てすくい上げた。
私の魂の120%を吐き出せたと胸を張って言える。
もう何の悔いも無い。
あとは一人でも多くの読者へ届け…
*尚、この世界観を引き継いだ中編作品は自作リストにある【被虐の翼】です。
短いですのでそちらも是非ご覧ください。
ここまで、私のダークファンタジーに付き合ってくれた同志は、全員立派な“ダークファミリア”だ。
私の魂に付き合ってくれて、本当にありがとう。




