第512話 光へ向かい、虫ケラは翔ぶ
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「鴉紋っ!」
奇怪な空が噴き上げた暗黒に瓦解すると、ダルフはその瞳を開いて鴉紋の元にまで飛来していった。
「何を悠長にやっている。あの程度の敵に手こずっている位ならば、俺が…………」
憎まれ口を叩きながらも、内心彼の勝利に安堵しながら様子を窺いに来たダルフは、言葉を続けるのを止めた。
「…………」
「お前……っ」
“無限”が霧散し空へと溶けていくその下で、鴉紋は足下を見下ろしたままピクリとも動かず、冷たい風に髪をそよがせているばかりであった。
「ルシルは……?」
「……」
「死んだのかっ?!」
鴉紋の内より消失している“獄魔”の気配に、ダルフは驚きを隠せない様子で項垂れた男を見守る様にする。
「……」
「……っ」
ダルフは沈痛な装いの鴉紋を気遣おうとも考えたが、やはり止めた。この男が潰れるのならば、あとは一人でやるだけの事だ。頭上に待ち受ける強敵を打ち払った後、この男にもまた結末を着けなければならない。
鴉紋は敵なのだ。世界を奪い合う宿敵であるのだ。
その事を今一度思い起こしながら、ダルフは自らの胸に起きた些細な老婆心を切り捨てた。
「鴉紋……お前はそこで指でも咥えて――」
「――ダルフ……」
「ん……っ」
言い掛けたダルフに被さる様に、鴉紋は暗い装いのまま口を開いていた。
「アイツを倒す」
「……!」
ギリギリと握り込まれていった黒き拳にダルフが気付いた時、彼は自分が思い違いをしていた事に気が付いた。
――こいつは、悲しみに暮れていたのでは無い……
「叩きのめすぞ……!!」
「ふん……」
炸裂した暗黒が空へと花開く。そうしてゆったりと天上に向けられていった鴉紋の面相は――
「最後の神を――ッッ!!」
留めようの無い、怒りに塗れていた――!
奮起する男の灼眼を認め、ダルフの心情にもまた、熱き血潮が駆け巡り始める――
「……望むところだ!」
空を貫いた暗黒に対抗する様に、光の翼もまた空へと伸びた。曇天を埋め尽くすだけの光と闇の煌めきに、天上の灰の液がボコボコと反応を示し始めた。
そこより這い出そうとしていく巨大な何かを待ち望み、鴉紋は拳を固く構え、ダルフはフランベルジュを高々と振り上げた――
「ついて来れんのかよ、甘ちゃん野郎が……」
「さっきコルカノに苦戦していた奴には言われたく無いな」
「チッ……あんだテメェ、喧嘩売ってんのか」
「事実を言ったまでだ。俺はお前よりも遥かに早く神聖を退け、ここで待ちぼうけてたんだ」
「アアッ!? そっちの奴がクソ雑魚だったってだけだろうが、調子こいてんじゃねぇぞダルフ!」
まるで犬猿の仲……この様な人類の最終局面に置いても、二人は互いの胸ぐらを掴みあって激しく罵り合い始めてしまった。
『ああ…………あぁあぁぁぁあ――――』
「――――!」
「……お出ましか」
空に揺蕩う灰の液は、空一面へと水面を広げ――やがて世界を覆い尽くした。
『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――』
「うるせぇ奴だ」
「まるで断末魔の様だな……」
世界が轟き悲鳴を上げる様は、まさしく天地鳴動の一言。空を埋め尽くした灰の湖面より、ソレは顔を覗かせる。
「これが――ッ」
「ヤハウェ、真なる神の姿か!」
そこより顔を突き出したのは――光。
太陽の様に茫漠なるサイズの光の頭が、余りに眩いが故にシルエットのみとして観測されながら、エデンを見下ろした。
「…………っ」
――この圧で分かる。
「――――く」
――この存在こそが、神であると。
二人の“天魔”を貫いた衝撃。そのとてつもなさと、比較しようのない全能の覇気は、全生命、万物を平伏させるだけの――“神聖”その源流であった。
「おいおい、ここまでなのかよ……っ!」
「なんてサイズ、なんて迫力なんだっ……おそらくこのまま、惑星毎押し潰す事も――!」
……突き出してきた莫大なる光の腕が、大地に手を着き世界を揺るがした。凄まじいまでの風圧とプレッシャーはもはや嵐ともなり、二人の体を呑み込み、髪をかき混ぜていく。
「――っうおおおおあっっ!!」
「これが――神だというのか!」
なんとか踏み堪えた鴉紋とダルフは、天空の灰より、頭から這い出して来た光の巨人に刮目している事しか出来なかった。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――』
やがてソレは天上を抜け出し、“神”自らで下界に足を着くと、とても直視していられぬ程の光明の全身を、ぬらりと立ち上がらせていった。
「馬鹿げてるぜ……もう笑うしかねぇな!」
「こんな存在に、本当に俺達は……いや――だが!!」
空を突き抜け雲を晴れ渡らし、昼も夜も無くなって後光が空から降り注ぐ。神の足の指先程のサイズも無い二人は、まるでちっぽけな塵でしか無かった。主の前に、いかなる存在も矮小であり、些細でしか無い。
真なる創造主。全知全能の概念を見上げ、圧倒的なる存在の違いを知らしめられた彼等は、何を思うだろう……
「やっと会えたなクソヤロー」
蟻は――――
「お前が神だろうが関係無い。この剣で貴様を切り払い、世界に結末を付ける」
羽虫は――――
「テメェで終いだクソ神がァァあぁああッ!!!」
「降りてくるなら早くしろ、楽に死にたいなら首を垂れろ!!」
まるでソレと、対等であるかの様に胸を張って怒号を上げた――
『傲慢、大罪……貪欲なる……亡者よ』
――だが確かに、この虫ケラ達に、ヤハウェは下界に引きずり降ろされたのだ。




