第511話 優しき魔王よ
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――彼等の精神内部にて、鴉紋は足元より燃え上がっていく“獄魔”を見詰めていた。
「死ぬな……死ぬなよルシル……!」
「…………っ」
愕然としながら、決死の形相で燃え盛るルシルの炎を払い始める。
「精神に掛かる負担を一人で肩代わりして……あの時俺が、俺がお前を止められていたら!」
「……」
「俺があの時、お前の代わりに――!」
「寝ぼけてんのかテメェ……」
「……っ」
立ち尽くしたまま焼かれ、優しく彼を見下ろす悪魔の視線。両の眼球は赤く、炎の様に揺らめいていた。
「これからは、お前達の時代だ」
「――――っ」
……そして、ルシルを灼き尽くす炎が、激しさを増して彼の全身を包んだ。
業火の勢いに弾かれた鴉紋であったが、すぐに立ち上がって必死に訴え始める。
「ふざけんなルシル!!」
「……」
「まだお前との勝負も……俺との勝負が終わっていない!」
「ケッ……」
「勝ち逃げする気かよ……っ、ズリぃんだよお前!」
「……」
「死ぬなよ、死ぬな!! だから死ぬなルシル! お前の力が、俺には必要なんだ!!」
「……」
「俺はお前より、弱いから!」
炎の渦に巻かれ、不鮮明となっていったルシルの影は、その時――僅かに微笑んだかの様に見えた。
「死にゆく奴をいたぶるんじゃねぇよ」
「え……」
「お前はもう、俺を超えている」
「そんな訳……そんな訳無いだろう!」
「お前も理解している筈だ……」
「そんな……訳っ」
「ミハイルとの戦闘の最中、お前は俺を喰らった。その瞬間に分かった……あの時お前は、俺の全存在を喰い尽くす事だって出来た筈だ」
「……違う。違う違う! お前は誰よりも強くて、何でも叶えて、どんな存在にも負けない最強の男で……だから、お前が居なくちゃ――」
「気色わりぃ。慰めてんじゃねぇよ……それに、いいんだ」
何時しか涙を振り撒いていた鴉紋は、安らかになっていくルシルの声を聞き届ける。
「誰よりも強くあらんと、それだけを考えて生きてきた。神にさえ譲らず、傲慢の限りを尽くして」
「……っ」
「それが、大切な者達を守る唯一の手段だった。だから誰よりも、強くあり続けようとした……」
「ああ……っ」
「そんな生涯を生き続けた俺だが……この世で唯一、敗北してもいいと思う存在がいる」
「敗北してもいい……お前が? 誰に!?」
それは、暴虐の限りを尽くし、あらゆる権威や力にも決して屈する事の無かった魔王の言葉として――余りに重厚な一言であった。
「お前と、多くの赤目達」
「――――っ!」
しかと指し示された指先を見詰め、鴉紋は落涙する……
「俺の野望に突き合わせて悪かったな……」
「そんな……ことっ」
「お前なら、俺に見えていない世界も掴み取れる……ここからは、お前の好きにしろ」
「……っルシル」
「……ただし、一つ。……心に秘めろ」
激しき焔に消えゆくルシルは、火炎の中より灼眼を燃え立たせ、息子へと、生命のバトンを渡す。
「“全力で生きろ”」
「――――――っ!」
「どんな生き方…………だって……いい……」
「――ああっ!! ああ、分かっている!!」
鴉紋が強く頷くと、ルシルはその身を灰燼と変えながら、ボンヤリと空を仰いだ。
「これで、良かったん……だよなぁ……グザファン」
ルシルが仰ぎ見る天空より、炎の翼を携えた美しき“天魔”が、彼へと降下しながら手を伸ばしていた。
ルシルにしか見えていないその幻影は、彼へと可憐に微笑み掛けていた。
「あとは……託そう――俺達、の…………息子……達……に…………」
その最期の瞬間まで、力強く立ち尽くしたまま……
ルシルは嬉しそうにはにかんで、永き復讐の人生に、幕を下ろした。




