第413話 “ウソ”の破滅と崩壊
「ぅ……皆さん、それにクレイスさん」
ようやくと肉の再生を終えたフロンスが、仲間達の無惨な姿に振り返りながら愕然とする。
続け様にフロンスは、クリッソンによってシャルルに施されていく『修繕』を目撃する――
「クリッソン……」
全身を粉々に砕き割られたシャルル。彼の砕けた全身が――その砕けた心でさえもが、『修繕』によって元の形へと修復されていった。
「クリッソンさんが……シャルルさんへの『修繕』を拒んだのはこの為かっ」
息を呑んだフロンスは、明らかに違う雰囲気を纏いあげた“狂気王”――否、ズタズタにされたその心さえをも取り戻し、狂気の全てを取り払ってしまった“親愛王”の完全復活に目を剥くしか無かった。
「彼によって狂気に落とされる前の……壊される前の――シャルル6世」
“親愛王”に名を呼ばれたクリッソンは、彼の前でかしずく様にして膝を折って、その胸に手を添えた。
「私の質問に答えろ」
「はい、シャルル王」
冷酷にも思えるシャルルの鋭い視線。深く刻み込まれた額のシワを僅かにも動かす事も無く、クリッソンへと向けられ続ける恐ろしい熱。
その心に深く刻まれた“狂気”を克服したシャルルからは『硝子世界』の能力が消え失せていた。乱心していた僅かな騎士やロチアートは、二人のやり取りを呆気にとられたまま傍観する。
「私に刺客を送り込み、ありとあらゆる謀略によって疑心暗鬼の底に沈めたのはお前か?」
「いいえ」
未だ『嘘つき』の能力で半透明になっているクリッソン。その結果、彼はあらゆる危害の干渉を受けない。
「狂気に囚われた私に、体がガラスで出来ている等と嘯き続けたのは、私の人格を崩壊させ、思いのままにする為か?」
「いいえ」
クリッソンの『嘘つき』の能力の真実は――
憎悪を抱いた対象が彼に対して決定付けた最も強い“思念”の現実化である。
「側近達を謀り首を総入れ替えした後、私に変わって政治の実権を握り続けたのもお前の目論みか?」
「いいえ」
緊迫した問答の最中――
シャルルはクリッソンへと憎悪を抱いた。
「狂気に没した私を利用し、影の支配者へと成り代わろうというのがお前の目的か?」
「いいえ」
淡々と続けられる質疑応答。その手にゆるり金色の杖を握り込んだシャルルは、顎を上げてクリッソンへとその切っ先を向ける。
「……」
「……」
瞬きも忘れる緊迫の最中――大王としてのケジメは執行される……
「…………残念だ」
「――――ぅうッッ!」
次の瞬間――半透明であった筈のクリッソンの体が生身へと戻り、その胸に金色の杖を刺し込まれていた。
思わず驚いたフロンスは肩を飛び上がらせて眉根をしかめたが、そのトリックの真実が未だ判然としなかった。
「どうやってクリッソンさんの体に干渉を?」
胸に鉄棒を刺し込まれたクリッソンであったが、彼は未だ面を上げる事も無く、胸に当てた掌をブルブルと震わせ続けていた。
「……っ…………」
その姿はまるで、主への忠誠を尽くそうとする健気な家臣にしか見えなかった。
「私が憤慨しているのは、お前が私を利用した事にでは無い……」
「……っ」
「お前が私の手で、大切な臣下をこの手に掛けさせたからだ」
「……ぃ……ぅっ」
「大王とは、民や臣下を守る為に存在する……お前が私にさせた事は、私にとって最大限の屈辱と後悔、そして誇りの失落を刻み込ませた」
「……」
「たとえそれが……祖国を守るとうい大義名分の元でも」
肉を貫かれる痛みに蒼白となっていったクリッソンは、大王の足下を見つめたまま不敵に笑い始めた。そして同時に、フロンスの抱いていた疑念の回答が彼等の交わした次の会話で明らかとなる。
「ぐふ、ふ……嬉しいやら、悲しいやらで御座いますよ“親愛王”……」
「……」
「貴方は、私の謀略を確信していながら……未だ私が嘘をついていないと真に思ってくれている」
シャルルはクリッソンに憎悪を抱きながらも、同時に彼が自らに嘘をついていないという事を確信していた。
それはシャルルが並々ならぬ信念でクリッソンを信頼し続けている事を意味している。
「…………」
「……」
誰が見ても嫌悪感を抱く立ち振る舞い、息をするように捲し立てる“嘘”――そんなクリッソンが嘘をついていないなどと確信出来る奇妙な存在など現れる筈が無かった。
「最後に問う……お前は私の友か?」
相反する筈の奇妙な二つの“思考”。それを同時に満たせる存在はただ一人だけ――
クリッソンの、誰よりも近い側に居続けていたのだ。
「そこまで分かっていながら、どうしてクリッソンさんはシャルルさんに『修繕』を……? 彼はあんなにも自分の身を最優先に考えていたのに」
理解に苦しみながら揺れるフロンスの視線が、大王の前にかしずいた参謀へと再び注がれたその瞬間――彼は全てを理解する。
「あぁ……そうか……」
主の前に膝を着いた一人の臣下は、その胸を刺し貫かれる激痛に耐え忍びながら――その口元を何処か清々しそうに微笑ませていた。
「貴方は“嘘つき”でしたね、クリッソンさん」
『嘘つき』の能力は数多の“思考”の数だけ増幅し、そのどれもが“真実”となる。
『嘘つき』の能力は、彼の吐く“ウソ”を前提として無作為に現実とする。
――そこに、彼の“ウソ”を否定するただ一つの結論が落ちて来た。
数多の疑念、その膨大なる可能性の海原に落ちた一雫が、完全無欠と思われたその術を――
――根底より崩壊させる。。
それまで伏せていた瞼をゆっくりと上げていったクリッソンは、自らの死を確信したまま、揺るぎない眼でもって敬愛する主へと静かに答えていった――
「――――はい」
それからシャルルはクリッソンの胸より鉄棒を引き抜くと、彼をその腕に抱きかかえながら、天井を見上げてゆっくりと瞑られていく友の瞼をジッと見届けていった。
「さぁ……」
しばらくの静寂の後、喋り出すのはやはりシャルルであった。
彼は見惚れる程にしなやかに歩み出すと、教会の壁に金色の杖を打ち付けて破壊した。
外へと通じた光明に放心した騎士達は混乱するまま、突如すくい上げられた命に涙を流していく。
「すまなかった」
「ぇ……」
深々と下げられた高貴なる王の頭に、人間達はたじたじとして、“親愛王”としての彼の器を実感していく事になる。
「君達の命を、これ程多く弄んでしまった罪が償い切れるとは思っていない」
「シャルル……様」
「ここに謝罪させてくれ……そして、僅かであろうと贖罪の機会を」
そこらに転がっていた短剣の一つを拾い上げたシャルルは、長く伸びっ放しになった巻き毛とヒゲを短く切断した。
そして大王は、精悍なる正義の眼光を赤目へと向ける――
ロチアート達が、そこに輝く“光”の眩さにただ身震いしていった。
「全て私が引き受ける……残された尊き命達は、我が身を盾に外へと脱せよ」
シャルル6世本来の、圧巻するしか無いカリスマに、先程まで絶望の淵に追いやられていた騎士達が今度は、彼へと心酔していくのをフロンスは悟った。
「心と体を完全に併せ持った……今の彼はおそらく、先程までよりもずっと――」
死人となった時点で感情が欠落したと思われていたフロンスの肩が、目前で完全に目覚めた光明に震え始めるのを感じた。




