第412話 透き通って、繊細で、純粋で
シャルルの『硝子世界』が終わり、教会を満たす迄に拡大していた“球”が収縮を始める。徐々にと小さくなっていく術の範囲より脱したガラス片は、見るも無惨な臓物と戻って足元を血で満たし始めた。
「クレイス!!」
朱槍消え去った後――彼の名を呼び、ポックが顔を上げる頃にはもう、クレイスは蒼白い顔となって残る右腕さえも崩壊させていた。
「良くやったぞポックよ……それでこそ、グラディエーターだ」
シャルルの“球”より脱したクレイスの身は、その両腕を欠損し、脚は原型が無いほどに切り裂かれていた。肉の断面より溢れ出した血液が、彼の全身を血に沈めていく。
「死なせないッス!! 絶対死なせないッスからねクレイス!!」
荒い吐息を繰り返し、地に膝立ちを続けるクレイスにポックは走り寄った。その目は人間達への復讐を果たし切った彼への羨望と称賛で潤んでいる。
「絶対見届けて貰うっすよ! 俺達の、鴉紋様の野望が成就するその時を、クレイスには絶対!」
「――――ガ!!!」
「……――――ぇ」
その時ポックが目にしたのは、幾本もの銀の切っ先が、クレイスの背中から刺し貫かれる光景であった――
「このロチアートが!! 汚らわしい家畜野郎が!」
「お前達に殺される位なら、俺は騎士として反逆者を断罪する!!」
「ぁ……クレイ……っ」
「……ごフ……ぉ、のれニンゲ……」
それは僅かに残された騎士による、ロチアートへの報復であった――
放心したポックは一度視線を竦ませたが、すぐに我へと立ち返ると、激怒したまま騎士達を切り殺した。
「う、うぁぁぁぁあックレイス……クレイ…………っ!!」
「…………っ……!」
その最期を、最も憎んだ人間に飾られる皮肉過ぎる結末に、ポックはただ怒りに任せて空へと吠える事しか出来なかった。
「クリッ…………ソ――」
「……っシャルル!」
崩壊したガラスの体に沈み、僅かに顔を覗かせたシャルルはクリッソンを見上げていた。
「奴等が……何を言おうと〜……私、はお前を〜」
「……っ」
「私は信じている〜……お前のその言葉に嘘など無いと〜……私を思い、尽くしてくれた……事を〜」
シャルルを中心として『硝子世界』の“球”が縮まっていく。やがてその効力を失えばシャルルは肉の体を取り戻し、クリッソンの『修繕』でさえも彼の体を直す事は叶わない。
「直してくれクリッソン〜……私とお前の夢は〜まだ半ばだ〜……お前と共に〜争いの無い世界で私は〜」
「……悪いがシャルル、そこまで壊れてしまったお前の体に、私は『修繕』を施さん」
「……ぇ」
「何故ならばそれは、私にとっての破滅と直結しているからだ……まぁ、お前に言っても訳の分からん話だろうがな」
今持って尚、一人この場からの保身に尽くそうとするクリッソンは、何やら何度も何度も瞬きをしながら、気まずそうにしてシャルルを見下ろしていた。
「最後だから私の心を偽りなく話そうシャルル……私は、お前よりも何よりも……自分の身の安全だけを最優先に考えている」
「クリッソン……」
「それは全て我等が祖国の為である」
「祖国……?」
「そうだ、お前に国は直せない……だから私がやるのだ、お前を狂わせ、お前を死なせてでも……!」
「……ぁ」
「最後に、信じていた私の悪魔の様な本性を垣間見て驚愕としただろう」
「……」
「今こうして真実を打ち明けている事も、お前の心情など考慮もせずに、今後私自らが余生で感じる罪悪感を和らげるだけの、手前勝手な懺悔に過ぎないのだ」
「そうか〜……」
「私を蔑み、心の底から恨み、そして消えてくれシャルル……私はそれでも、自分さえ無事であれば良いと思っている」
真っ直ぐとクリッソンを見上げたシャルルの面相。そこには不思議と何の敵意さえも見えず、それが余計にクリッソンの心をズキズキと痛めているのだった。
「悪かったなシャルル……だが、死んでくれ」
彼に死ねと言いながら、“嘘つき”の鼻は真っ赤になっていった……
片眼鏡を輝かせながら表情を影へと隠していったクリッソン。後ろ手を組んだまま悪びれる事もしない、そんな参謀を優しく包む眼差しに彼はふと……
“親愛王”としての彼に拾われ、心より感謝と尊敬の念を抱きながら、共鳴する野心を燃やしたあの頃を思い起こす。
――そしてシャルルは、遂にとその口元を押し開いていった。
「ありがとうクリッソン」
「は…………?」
「私に代わり、私の国を守ってくれて」
――その一言に血相を変えたクリッソンは、強く動揺しながら大王の顔を凝視していった。
「ッな……なぜお前がそれを……何時から気付いて?」
「いいのだ〜……それに私も、お前に死んで欲しくは無いから〜」
「……っシャル、ル……?」
そこにあった大王の笑顔は、紛れも無いまでに狂う前の彼のものであった。
「どうか健やかに、お前が生きてさえいてくれれば〜……私はもうそれで〜」
「……っ!」
シャルルを見下ろし絶句したクリッソン。
――照り輝いた参謀のレンズより、何か煌めくものが微かに垂れた様な気がした。
「シャルルよ……お前はいつまで……っ」
「ありがとう〜我が友でいてくれて」
「……硝子のように透き通り、繊細で、純粋なままの心で居続けるのだ……っ」
鼻頭を真っ赤にしながら鼻汁を垂らしたクリッソンは、自らで狂わせた筈の大王の中に、あの頃救われ、そして同時に自らの私欲の毒牙にかけてしまった……そんな美しき心が未だある事に膝を落としていった。
「そんなに透き通っているから……私の様なゲスに利用されるのだぞ」
「……?」
「お前は変わってなどいなかった……」
「クリッソン〜……?」
「変わってしまったのは……私の方だ」
クリッソンはしわがれた自らの手を見下ろし、次にジャンヌの亡骸の側に転がった折れた光の御旗を眺めていった。そこに倒れた旗印は彼等が祖国のものでは無かったが、参謀の霞んだ目にはそれが、あの頃共に情熱を注ぎ込んだ祖国のものと映っていた。
「道化の喜劇もここまでか……今の戦乱の世に必要なのは、知ではなく、力の方だ」
クリッソンが前へと突き出した両手――そこに発光し始めた黄色の魔力が放散され、シャルルの全身を包み込んでいった――
「『修繕』――」
みるみると再生していったシャルルの全身を見下ろし、赤ら顔となった参謀はこう呟き落とした。
「いまこの国の為に生きるべきは、小賢しい私などでは無く……お前の方だな、偉大なるシャルル6世よ」
人の変わってしまった柔和な眼差しの先で、友の姿をしかと見つめながら――
「貴方に代わり、貴方の国の存続に費やした道化の生涯……私は今こそ舞台を降りて、このバトンを主へと返還する」
あの頃燃やし、何時しか忘れ掛けていた野心を取り戻して。




