第408話 死人の抱く“生への渇望”
「い、粋がるな賤しき剣闘士め〜! ガラスに変わる私の領域で〜貴様に何が出来る〜ッ」
クレイスの激しい眼光を見返す様にしたシャルルであったが、すぐに恐ろしくなったのか、視線を足元へと下げながら無惨な姿のフロンスを小突く。
「獣の様な目で〜〜私を見るな家畜〜!」
「ぐ……無茶……ですクレイスさ……」
更にと細かく砕かれてしまったフロンスに、クレイスは強い歯噛みをしながら前へと踏み出した。
「我が同胞へと振り上げたその右手ェッ根本から食い千切ってくれるわァッ!!」
地鳴りのする強烈な踏み込みで、クレイスは筋肉を盛り上げながら大股でシャルルへと迫り来る。
「なぜ〜、お前の体は割れないのだ〜……」
厳密には、クレイスの強過ぎる踏み込みに足元には僅かな綻びが生じていたのだが、それを感じさせない彼のその気迫に、シャルルはただ恐々として背を丸め込んでいた。
「そんな事も分からんのか、やはり人間とは浅はかな奴等だ!」
「ぅうう〜何故だ〜……」
「気合と!!!」
「……!」
「根性だ!!!」
「……何を言っているのだお前は〜、まるで分からない〜……ぁぅぁう〜、それとも私の知らぬ境地にこの奴隷は居るのか〜分からない〜分からない事が怖い〜」
フシュルと口元より白煙を上げたクレイスは、紅き血の鎧を照り輝かながら、その手元の朱槍を強烈に突き出す――
「怒突きィイィイッッ――!!」
「ぁぁあ、アアァ〜〜っっ!!」
銀風押し退ける赤の軌道が、退避行動を起こしたシャルルの肩に亀裂を走らせていた。
「ぃぃええエ〜〜ッ!! 危うい〜ッ!!」
予想外の破壊力を誇るクレイスの攻撃に、シャルルは慌てふためいて後退り始めた。
「フロンスさん」
「クレイスさん……貴方、随分ハチャメチャです……ね」
取り残された上体だけのフロンスの手を握ったクレイス。すると同時に、フロンスは驚愕として彼を見上げる様にした。
「クレイスさ……ん、貴方……っ」
「大丈夫だ、気合と根性……そしてこの気骨があれば!」
手を握られた瞬間、ガラスと変じているクレイスの肘に亀裂が走ったのに気が付いたのだ。先程放った朱槍の一撃。その反動によって彼の繊細な体は確実に崩壊を始めている事をフロンスは悟る。
「ガラスの体というのは難儀なものだ、この様な軟弱な体、俺の性分には合わん」
「駄目ですクレイスさん、いくら強がってみせても、貴方の体は攻撃を繰り出すだけでダメージを受けていく」
「分かっている、だが俺のやり方は変えられんし、変える気も無い」
「駄目ですクレイスさん、他にきっと方法が……」
ニカリと笑ったクレイスは、フロンスの手を握る力を強くしていった。
「クレイスさ――――」
やがて自らの体が浮き上がり、宙に投げ放たれた事を理解するフロンス。何も言えずに“球”の外へと押し出されていく最中、彼は勇敢なる戦士の声を聞き届ける。
「他の方法は無い、状況は急を要している」
「…………っ」
友を救済し、一人シャルルの土俵に立った赤き鎧の勇猛。彼は崩れ落ちていく自らを僅かにも省みる事無く、爛々とした邪悪の赤目をシャルルへと差し向ける――
「貴様の術が全てをガラスへ変えようと、決して変わらぬ不変の情熱がここにある」
「強がるな〜、脆弱なる貴様の体〜今ここで叩き割ってくれる〜」
クレイスは自らの胸を力強く打ち、割れたガラスの胸を堂々張り出した。
「我等が野望と剣闘士の気骨! そしてこの人間への憎悪だけはぁ……ッッ!!」
シャルルの“球”より投げ出されたフロンスは、上体と右腕だけになった肉の体で地を蠢いた。
「早くクレイスさんへの助力に向かわなければ……彼は死ぬ気だ」
苦悶したフロンスは残された右腕で地を這いずっていったが、肉と骨の裂けた右腕が断裂して地に転がった。
「全快は出来ない……ぅっ……もう、魔力が……ッ」
魔力を失い崩壊を始めたフロンスの体、残された騎士も残り少なく、赤目達も自らの体を守る事で精一杯である。
「ここまで…………か……?」
勝負の時を見誤り……否、彼の仕掛けた必殺の一撃は、ここ以外無いと言える絶妙なタイミングで決断された筈であった。
「情け、ない……クリッソンさんの知略に丸め込まれ、サハトと同化したこの拳も……正面から振り落とされた……」
――見誤ってなどいない。彼は最善の決断を最良のタイミングで決断した。
だがその全てが、常軌を逸した大王の実力に凌駕された。
「すみません皆さん、ごめんなさい鴉紋さん。共に消え去る事を許してください、サハト……」
天井を仰いだフロンスの眼球が朽ちていった。彼の無惨なる体が、腐敗していく臭気を残して溶けていく……
「死にたく……無い」
もう何も見えなくなった暗黒の意識にて、フロンスは始めて“生への渇望”を感じていた。
「自分の為では無い、サハトの為でも……ただ、ただ私は――」
――その時、フロンスが懐に仕舞い込んでいた何かが、その胸より鈍い赤の発光を始める。
「友の為に……私達の野望の為に……」
死に絶えた筈のフロンスの“感情”。そこに激しく巻き上がり始めた“生者”の灯火に呼応する様に、いつか友より受け取った魔石から溢れ出し始めた微かな魔力が、フロンスの身を少しずつ再生させていく。
「……っ魔力が、少しずつ……一体何処から?」
やがて胸より起こった発光に気が付いたフロンスは、朽ちた眼球を取り戻して目尻より細い雫を垂らしていた。
「嘘でしょう……貴方、ずっとそこに……私を、見守っていてくれたのですか」
――止まっている筈の心臓より、得も言えぬ熱き拍動を確かに感じながら、フロンスは無二の友へと思いを馳せた。
「数奇なものです……よもや貴方の様な立場の御人が……ふふ」
微かに口角を上げ始めたフロンスは、来たるべく再生の時をジッと待つ――
「この身の再生には時間が掛かる……ですが、もう一度だけチャンスがあるのなら」
仲間達の無事を願い、フロンスは誰ともなくこう言い残す。
「貴方と革命を」




