第406話 狂愛撃天
当初3000とひしめいていた兵は何処へやら消え去り、血と臓物の積み上がった厳粛なる教会には、もう数百ともない命しか残されてはいない。
「放てお前達――!!」
クレイスの号令の元、闇の鎧を纏い上げたグラディエーター達による暗黒の槍の投擲がシャルルを襲う――
「ふぅああぁあ〜!! 割れろ〜〜! 雑多な塵と化せ〜愚民共〜〜ッ!!」
降り注ぐ槍の雨を、袖より落とした両手の鉄棒で華麗なまでに撃ち落としたシャルル。そして巨大な眼球がジロリとグラディエーター達を見据えると、鋭利なガラスの風に続けてクリスタルの槍が放たれて来た――
「『密集方陣』!!」
丸形の盾を構えてドーム状になった奴隷戦士達――絶対防御の陣が辛うじて大王の脅威を防ぎ切った。
「この拮抗を続けても、追い込まれているのは我等の方だな」
ますますと拡大していく“球”と激しくなっていく銀の風に迫られたクレイスは、仲間達の『密集方陣』より踏み出して頭上にグラディウスを掲げる――
「もう一度この大地を震撼させる、備えろお前達!」
「「応――!!」」
クレイスの力強い腕に振り上げられる剣闘士の刃――歴戦を物語る血と汗の滲んだ得物に纏う朱槍が、グラディエーター達の咆哮と共に超大なるサイズへと変貌する。
「『激震』――ッ!!!」
地に深く突き立てられた朱槍――割れた大地が瓦礫を舞い上げながら広大なる大地の全てを揺さぶる――
「貴様の体はガラスだ人の大王よ!! この技はやはり、貴様にとっての致命打となろう――ッ!!」
「あぁあ〜〜、ぁぁ、あぁわわわファァァァ〜〜ッッ!!!」
「――――ッハ!?」
激震して天井の崩れ落ち始めた教会。鈍い曇天の陽光が射し込んだ暗所にて、クレイスは眩い光の反射を目撃する――
「『硝子細工』……」
「ガラスの破片を凝縮し……足場を形成しただと!?」
ガラスの密集して出来た透明の足場が、シャルルを乗せて宙に浮かんでいる。かつて生命であった同志達の亡骸を足蹴にする“狂気王”へと、クレイスは怒りを刻み込んだ眉根を上げた。
「おのれ貴様ぁッ!!」
「これでもう地震は怖くない〜貴様達の様な下賤はやはり〜足下より私を見上げていろ〜」
敵へと踏み出そうとしたクレイスであったがその時、巨大なる肉の化身が自らを追い越していったのに気付く――
「フロンスさん――!!」
「浮かび上がったのなら引きずり下ろすまでです」
肉の張り裂ける程に膨張したフロンスの全身――目にも留まらぬ疾風となった男が、シャルルと激突した際の衝撃波を残す――
「この〜〜! 狂った化物め〜ッ!!」
「一度接近しただけで左腕を持っていかれた……全くどういう反射神経をしているのですか?」
金色の杖より衝突を物語る煙を上げながら、シャルルはガラスの足場より叩き落されてガラスの体に亀裂を走らせる。
左腕をもがれながら即座と“球”より後退しようと飛び上がったフロンス――しかしその時、激しき老王の咆哮が巻き起こっていた。
「次は逃がさんッッ!!」
フロンスの進行を妨げる様にして、シャルルの『硝子細工』によって形成された極厚の壁が周囲に満ちた。
「同じ手は食いませんよ」
「ン……っ!?」
くるりと宙で反転していたフロンスは、自らの額が激しく砕け散るのも構わぬ猛烈なる頭突きで壁を打ち破っていた――
“球”より這い出した、額と腕の破損した肉の化物。彼は僅かに残る騎士を頭より喰らい、即座に欠損した肉を再生した。
「ふぁぁあ〜!! 醜い〜〜家畜めが〜〜ッッ!!」
憤激するシャルルを眺めたフロンスは、自らの胸へと囁き掛けながらそっと掌を添えていった……
「力を貸して下さい……」
「ン〜〜……っ?!」
――そこに現れた並々ならぬ邪悪の気配に、シャルルは瞬間的に表情を凍り付かせる。
「サハト、あぁサハト……いま一つとなりて――『狂愛撃天』」
赤目を滾らせたフロンスがそう告げた瞬間、肉の膨張した彼の全身が更にと増幅を繰り返し、巨大なる異形の姿となる。
衝撃を受けるシャルルを差し置きながら、クリッソンは下卑た声でフロンスを笑った――
「短期決戦を仕掛けるか! ぐっふぁふぁふぁ、もはやそれは、人の枠を越えておるだろうが化物めっ」
逆巻く紫色の邪悪を上らせながらフロンスは今、自身がサハトと呼称する、かつてその身に取り込んだ“破壊の天使”と同化する――
「ララ『ラララ』……ぁあ、サハトが歌っている……」
人が変わったかの様な低いフレーズを一度口ずさみ、愉悦に歪んだフロンスの背に、増殖を繰り返し続ける“肉の翼”が開く――
「さぁ、行『きまし』ょう……サハト――」
「ふぅァ――――ッ!!」
フロンスより立ち上がる妖気は、溢れ出す魔力の煙霧である。つまりそれが意味する所は、膨大なる魔力を絞り尽くすその瞬間にのみフロンスが“破壊の天使”の力を行使出来得るという事――
超瞬間的なる魔力の爆発――だがそこに顕現した天魔の御力は、紛れも無いまでに人を超越する。
「ぅぅううあアア〜〜ッッくるなぁぁあ〜〜ッ?!!」
怖気付いた“狂気王”が自らの正面に何層にも連なるガラスの壁を形成していった。
だが獣の眼光を携えたフロンスは、裂けた口元を限界いっぱいまで剥き出したまま、シャルル最硬度の盾へと肉の翼で突っ込んでいった――!
「ううわぁああぁあ〜〜ッッ!!」
「フヒ、フヒッヒ……ララァ『ララララ』――」
悍しいまでの悪魔の破顔が、肉の翼で推進したままシャルルのガラスを何層も砕き割っていく。ガラス舞い散る銀風を抜けて、フロンスの飛び膝が最後のガラスを砕き割った――!
「いただきます」
「ぁウあ――――?!!」
想像を越えていたフロンスの膂力に面食らうクリッソン。しかし脅威目前にしたシャルルには何時までも驚いている暇など存在しなかった――
大きく裂けた悪魔の大口を頭上に、シャルルは絶句しながら目を剥いていく。
「終わりです」
確信する勝利の予感。誰も彼もが認識を遅らせたまま、一瞬に切り込まれた勝利の一手……
鼻の穴を大きく広げたクレイスが息を吐き出し、シャルルの意表を突いた確信のあるフロンスが、その肉欲に瞳を歪ませた――
――だがその時、シャルルが窮地に陥るとやはり……真なる王がそこに吐息を始める。
「晴心の棍――」
「……ぁ……」
「『水の鼓動』――!!!」
――それは一度瞬きをする程の一瞬の出来事であった。
項垂れた毛髪よりギョロリと覗いた眼光が、かつての輝きを拡散しながら流麗に金色の杖を構え、まるで無駄の無いと分かる美しいまでの動作で鉄棒を打ち出していた――!
「み、…………」
「朽ちろ……大悪よ」
カン、と甲高い物音が――高速度で迫るフロンスの膝頭をピタリと捉えていた。
――渾身の気を込めた金色の杖がフロンスの肉を打つと同時に、シャルルの打った打撃が標的の内部を、水面を伝う波紋の様に広がっていった――
そうして思わずフロンスは、目前の“親愛王”へと称賛の声を漏らす。
「見事……で、す……」
大王へと到る直前、勝敗の決するその刹那的な間隔にて、フロンスの巨大なる体躯は爆破する様にして粉々に砕かれた。




