第379話 人でなしの見る“最期の悪夢”*挿絵あり
「なんだ!? 確かに奴の生命活動は止まって――!!」
突如として現れた暗黒の大門を見上げながら、ジル・ド・レは訳が分からないといった風に目を瞬いた。
――不可思議なる事に、奇怪なその門から受ける印象は虚無に等しい。
「だが、奴の口は確かに開いて言語を――っ」
冷や汗を垂らしたジル・ド・レが、暗黒の門に対して過剰なまでの警戒を示している。
そこより立ち上るオーラや気は、先程述べた様に何も、僅かにも感じられず、ただそこに無機物が立ち現れたかの如き印象を残す。
「ハッ……ハッ……は――!」
しかし異形となった捻れの怪物は、ソコに全身全霊の注意を払っていた。周りの一切合切が気にも止まらない程に、百戦錬磨の名将の前に今――“最悪”といって差し支えない程の予感が巻き起こっているのだ。
「ふざけるな……死んだ虫ケラが、何故現世に飛翔する!」
臓物冷え渡る確かな予感に気圧されながら、ジル・ド・レは残る魔力の全てが枯渇するまで“捻れ”の波動を練り上げていた――
――――ギィ
そう音を立てて門は静かに開いた。ボタボタと垂れる汗がジル・ド・レの視界を遮ろうとするが、彼は瞬きを忘れたまま血走った視線をそこに注ぎ続けていた。
『あーぁ……死んじまった』
「おま――オマエ!?」
――そこより歩み出て来た“黒きもや”に囲まれたシクス。彼は貫いた左の眼窩を空洞にしたまま、ただ灯る右の目でジル・ド・レを見下ろした――
「なんで……ナニっっ……が!?」
『テメェがあざ笑った……人でなしの底力だよ、オカッパ』
シクスは不鮮明なる黒に纏われながら、その口元も動かさずに言葉を放つ。奇怪な事に、そこに開いた冥府への門より、彼の言葉が這い出してくるかの様であった。
「キサ……きさ、キサキサキサっ……キサマ!!」
ジル・ド・レは目前に現れた男よりまだ何の感覚も受け取れずにいる。まるで無限に続く虚空を認めているかの様でさえあって、底の知れぬ未知に酷く動揺を示す他が無い。
「生きて……イルのか? 貴様はまだ、そこで――!?」
妙な表現ではあるが、それがジル・ド・レに得たいの知れぬ恐怖を与えていた。
――その男より感じる気が何も無い。空っぽの抜け殻を見つめている様で、強いて言うなら――“何も感じない”という事を感じる。
『死んでるよ……自分の頭にズップリとダガーを刺し込んだ……お前も見てただろ?』
「ぁ……ぅっ……ぁぅ――ウウッ『捻れ』!!」
――冷え切った怖気に支配されかけたジル・ド・レが、シクスの存在を大気毎に捻じ曲げていった。涙を溜めたセイルがシクスの名を叫ぶ――
「シクス!」
『テメェにも曲げられねぇモノが一つある……』
「ハ……何故、確かに私の“捻れ”に――ぁ、ぁぁあ!!」
事も無げに、沈んだ目をして歪みより歩み出て来たシクス。練り上げた魔力に血を噴き上げたジル・ド・レが、全開の魔力をそこに流し込んでいった――
「『渦巻き』――!!!」
ジル・ド・レを中心に再びに大気の渦が発生する。周囲の全てを飲み込んだまま景観も音も歪んで風が吸い込まれる――
「ぁ――――?」
ジル・ド・レ渾身の大技であったが、彼は逆巻いた渦巻きより這い出て来た、黒いもやの姿を目撃した。
「な…………ん……??」
『もう関係ねぇんだよ、俺には何も……』
まるで存在する次元が違うとでもいった具合に、『死門』より現れたシクスにはもう、現世の全ての現象は無関係だった。続けて放たれた斬撃も、彼の体をすり抜けていく。
「ぁ…………ヒ、ぃいい!!?」
『俺は今、絶対不可侵の概念と同化している』
「概…………念? どういう――?!」
腰を抜かしたジル・ド・レが、何の抑揚も無い目をしたシクスを目前に見上げる――
――冷たい目をしたシクスは語る。徐々に徐々にと、積年した怨恨をその顔に剥き出していきながら!
『冥府に触れた俺は今……“死”という概念と同義なんだからよ』
「死……っがいね――?? ハ……」
『ミハイルに使うつもりのとっておきだったが……こうなっちゃ仕方がねぇ』
“死”をも取り込み、“死”と同化した悪夢が、居るべきで無い次元に……ほんの一時のみ滞在していた。
シクスより垂れ流れた暗黒が、眼下で泣き喚く捻れの異形を包み込む――
『死の夢――――』
――ジル・ド・レは“死の夢”を見る……そこでの己はひたすらに無力で、ただ自らの産み出した怪物が自己を蹂躪していく悪夢だけが、延々、延々と何時までも続いて――
「ヒ……ひぁぁあっ……ヒァ!! ヒァァァァアア!!! ワァァァアア!!」
――――醒めない……。
「ヒぃギャァァア――っぅあぁ……アアァアアァアア!!! アアァァアアアァァア!! ッいァァいああ、……嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ァあぁああ――――!!」
音の歪む渦の中でも、門より上がってくるシクスの声は明瞭にジル・ド・レの耳に響き込んだ。
『俺も成れたかなぁ……一人のロチアートに』
清々しい面相となって、天を仰いだシクス――
『兄貴……』
そして次に、涙ながらに拳を握りしめたセイルへと彼は視界を下ろし――
『嬢ちゃん……』
――――笑った……
『ダイスキだぜ……みんな』
声も無くシクスへと手を伸ばしたセイル――
だがそこで、全身を強く捻じり上げた男が、悪夢を振り払って立ち上がった――
「こんな夢!! コんナ幻想にッワタシの決意がッ!! ジャンヌへの忠誠がぁあ――!!」
また乱心し始めた怪物に、シクスは冷ややかな視線を送った――
「ぅ……!! ひ…………ぃ!」
その恐ろしい赤目の眼光に竦まされたジル・ド・レが、音を立てて強く開け放たれた暗黒の大門に気付いた――
『燐火葬送』
胸の前にパンと手を合わせ、嬉しそうに舌を突き出したシクスが、カタカタと声も無く――嗤っていた。
「ハァァ――っ!! ナン、ナンダコレは!!!?」
ジル・ド・レを掴んだのは、暗黒の門より伸びて来た子ども達の手であった――
「冷た――離せ……ハナッッ!! ヤメ!!」
『お前にいたぶられた怨霊達が、コッチに来いって言ってるぜ?』
「子どもっ……ぁ! 手!? なにゆえワタしを、ドウして――!!?」
すぐにはシクスの言う言葉を理解出来なかったジル・ド・レであったが――
――――(こっち…………)
「…………ッ!!!」
その腕を伸ばし、奈落の門より顔を突き出した、蒼白い子ども達の顔。
「ハぅ…………ッ!!」
――かつて残酷に殺して贄とした……見覚えのある数百の顔が、恐ろしい面相でジル・ド・レを見ていた。
「やめ――!! 許して、ユル、ユルシテクレッッ! あれは、ジャンヌ復活のタメに、祖国の為ニ必要ナ――!!」
冥府より覗く子ども達の眼光、怨嗟が――
――(つかんだ……)
――(つかまえた……)
――(やっと……)
――(いためつけて……)
――(ぼくたちがされたみたいに……)
――(なんども……)
――(あそぶんだ……)
――(しなないから……)
――(しねないから……)
――(なんどだって……)
――(いつまでだって……)
――(ないても……)
――(さけんでも……)
――――(ユルサナイ)
そしてジル・ド・レは、数百の手によって冥府へと引きずり込まれていった。
「ウワァァァァああ!!!! ァァァアアアジャンヌ!! ジャンヌよぉおおおお!!!!! アアアァァァアアアぁぁぁ……ぁぁぁぁぁ…………ぁぁ……ぁ…………――」
シクスに知覚出来たのは、深い暗黒へと落ちていきながら、まるで雑巾でも絞り上げるかの様に過剰に捻れ、最期の断末魔と共に血の火花を上げた異形の結末であった。
宿敵の甘美な悲鳴に口角を上げたシクスが、過ぎ去った嵐の終わりに一人佇んだ。
『あぁ……愉しかったな』
何時の間にやら晴れ渡っていた光明が、シクスの身を照らし出して……
黒きもやと共に浄化され始めた――
「シクス待ってよシクス!! 死なないでよ、勝手に逝かないでよ!」
『嬢ちゃん……』
「言ったじゃない! 鴉紋が死ぬなって! 皆が、私達が笑い会える世界を創るって! なのに、なのに死んじゃうなんて許さな……っ……許さ……な……ぅ!」
足下より浄化され、その妖気を暗黒の門へと吸い上げられていくシクス――
振り返りもしないそんな彼の背中を眺めて、セイルは嗚咽と共に泣いていた。
『なぁ……嬢ちゃん』
「え…………?」
光に照らされ、振り返ったシクスの右目だけが覗き、そこに微笑んだ――
『叶えろよ……ガキ共が、笑っていられる世界……』
「シク――――っ!!」
『なぁ、絶対だぜ? ……やくそ――――』
シクスの優しい声は、途中で切れて最後まで語られなかった……
やがて…………
貧民街を駆けたかつてのならず者は――
何者でも無かった、仲間思いの“人でなし”は――
“一人のロチアートと成って”――――
光に照らされながら、清々しいまでの笑みで没した……。




