第364話 鬼畜の異形
互いの軍勢を襲い始めた天変地異の災厄。しかし戦況はやはり……
「『捩れ』!!」
ジル・ド・レが上体を過剰に捻りながら、そのショーテルを前方へと差し向ける。すると漆黒の炎の渦の中心が歪み、次の瞬間には巨大な風穴が空間に開く様にして炎を押しやった。
極大の弩砲が過ぎ去ったかの如く切り開かれた獄炎。焼け溶けたその場に踏み出していきながら、ジル・ド・レはショーテルを空へと振るって道を広げていった。
「淑女の立つ華麗なる戦場に、地獄の炎は相応しくは無い」
敵との境界線が完全に開かれ、黒き焔が立ち退いてシクスの姿を露わにしていった――
「おや……?」
そう囁いたジル・ド・レがピタリと足を止めたのは、熱波を切り開いたその先で、見るも堪えない陰惨な陽気が立ち上っていくのに気付いたからだった。
「おもしろい……そして実に汚らわしい」
「外道魔法――第弐の問……『鬼畜門』」
怨霊渦巻く妖気を舞い上げたシクス。赤く強烈に灯った彼の右目が灯ると、並々ならぬ邪気が空を赤く染め上げ、天を渦巻かせて漆黒の一筋を背後に垂らしていった。
「ギーよ」
「アンギャァアッ“醜い悪夢は乙女の光明の前に晴れ渡る”!」
言いつけられるままにノートに記していったギー。ジル・ド・レは晴れ渡っていく邪気の空を余裕気に仰ぎながら、手持ち無沙汰にそのヒゲを跳ねた。
――しかし、現実の風景を改変するギーの『俺の観測する世界』を持ってしても、どういう訳なのかシクスの背後に落ちた暗黒の一筋より形成された巨大な門が消え去らないのに気付く。
「ギーよ……ちゃんとやれ!」
「いや兄者……お、俺は全力で……なんで、なんであの門は消えやがらねぇッ!?」
項垂れ始めたシクスの、上目遣いの三白眼――そのロチアートの赤い目が、光を拡散しながら力を開放していった。
「ぬ……っ」
「ギャッっぱ!?!!」
そこに完成された“冥府の門”を視認すると、氷に沈められたかの様な冷たい怖気が人間達に伸し掛かった。
恐ろしい鬼の相貌に変わっていくシクスの眼光を眺め、ジル・ド・レとギーは冷や汗を垂らして口をポカンと開けていった。
「その醜悪はいま境界を越え、人間共を蹂躪する――」
「――――っ」
「ギッパ……っ!!」
いま“幻夢の悪魔”として力を開放していったシクスを見つめ、人間達は鉄の扉に響く鈍い音を聞く――
それはまるで、冥府より来た地獄の鬼が現世への門を無理に叩き壊そうかとする様な、危機感を覚える邪悪に満ち溢れていた。
「開門……鬼畜の異形よ、人間達をその“悪夢”に呑み込み……狂い殺せ――ジャクラ」
堅牢なる大門は白く長い巨人の手に突き破られ、這いずる様にした異形が、黒の長髪に塗れて顕現する――
やがてはその女であるらしい巨大な化物は、四肢に巻き付いた鎖を引き千切りながら、生理的な嫌悪さえ覚える、すすり泣くかの様な声を絞り出し始めた。
「ぁカ……ァン……ヵヵ……あひッ……おおお、ぉおおぁ……」
「なんなのだ……ナンッなんなのだこの醜い化物はっ」
「ヒェエエエッ兄者、兄者ぁぁあ!!」
その異形より迸ったその悍ましい妖気が、人間達の全身を総毛立てていった。その場に情け無く尻餅を着いて放心した騎士が、竦んだ目つきでソレを見上げたまま失禁していった……
そしてただ絶句する事しか出来なくなった彼等をジロリと見上げた黒き眼は、曲がった腰のまま地に立ち上がる。
「ふぅあああぁァァァぃヒィヒヒッききぃぃいいいぉ――ッ!!!」
生白く長い四肢を伸ばした女の巨人は、足元まで届く自らの長い髪に埋もれたまま、そこより大小様々の白い顔面を突き出して眼球を蠢かせた。
嵐の下で鈍い光を反射させるのは、長き二本角と鋭い牙……まるで邪鬼の如き恐ろしい姿であった。
「ヒヒィィイイイイぁぁぁあおぼ……ぼぅぼ……ぉおおぼおおおおおぉ……ヵ」
耳を覆わざるを得ない奇声を共鳴させて、
――複数の黒い目が一斉にジル・ド・レを見下ろす。
「く…………っ」
豪雨の下、突如現れた余りにも醜悪なる恐怖に、人間達は気が狂った様に叫び出すか、その全身を氷漬けにされて全く動けなくなっていった。
それはとても表現としては言い難いが……シクスの現した邪苦羅は、全生命体が根源的に覚える“怖気”を振り撒きながら、存在してはならない筈の……現世に降臨していた。
「愉しいだろう、愉快だろう人間様よ……嗤えよ――この俺の前で……」
「…………はゥ……ぁ、ぁあ」
「嗤って見せろよ、あの頃みたいに……見下すみてぇに」
「ぅぁ……っふわぁぁっっ!!!」
「魑魅魍魎、悪鬼爛々、怪奇世界……」
首を勢い良く曲げてゴキリとならしたシクスが、右の赤目を赫灼させながら前屈みに歩み始めた……
「お前達の悪夢を今……呼び醒ましてやるよ」
舌を突き出したシクスと共に動き出した異形に、騎士は堰を切ったように悲鳴を上げた――




