第339話 時代の亡霊
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激化していく各地の戦況。しかし“ブラックプリンス”こと、エドワード黒太子の率いる北側からの進軍は、何時までも息を潜めているばかりであった。
「ぬぅぅ……おのれエドワードめ、ようやくと百年戦争の亡霊を討ち取れると猛っておったのに……ああ、この腰抜けめ!」
「おおそうだ。最強を誇る我等が共闘で、あれ程恐れられた時代の闇を完膚無いまでに討ち破ろうと力んでいたのに、とんだ肩透かしである!」
広大なる平面地に置いて、1000の兵ですっかりと陣を組んだラ・イルとザントライユの第16国家憲兵隊。
百年戦争後期に置いて、絶対無敵を誇った二人の猛将による必勝の陣も、対象が何時まで待っても現れないのでは全く何の成果も得られる筈が無い。
「ああ、忌々しいッ! さっさと来ないのかエドワードめ!」
「この布陣を遺憾無く発揮するのでは、なだらかなる広場に兵を配置するしか無いのだ!」
赤髭赤毛のラ・イルが隊列の後方で毛を逆立てていると、隣に座した茶髭茶髪のザントライユもまた、憤りを露わに手斧で地を叩き始めた。
「ラ・イルよ……既に予見された時刻を過ぎておるぞ、ミハイル様の話しを何処まで過信するかは考えものだぞ」
「疑う訳では無いが……こと戦争という側面に置いては天使様よりも我等の鼻のが効くであろう。何やらエドワードというイレギュラーには不確定要素が多いと言っていたが、これがそうだと言うか……何れにせよ、このまま座してなどおられん!」
予告された時刻を過ぎても一向に姿を表さぬ敵陣に、いよいよ痺れを切らした二人の将は、立ち上がって憤激の相を突き合わせる。
「このまま進軍するかザントライユ!」
「おぉ――? ……待て、ラ・イル、何だあれは」
悪い右脚を引きずるようにして歩み始めたラ・イルに向けて、ザントライユは遥か北の方角、自軍の陣の広がった広場の際より、上り勾配となっていく家屋の方角に、数匹の赤目の隊列が姿を現したのに気付いて手斧で示す。
「ようやく来たか家畜共!」
「いいやラ・イル。敵方がえらく少ない……ともするとこれは」
「ちょこざい奴らめ、ゲリラであるか!」
何処からかこちらの様子を窺っていた様子のあるロチアートが、数十程度の徒党を成して各方角より姿を現し始めていた。
まさにラ・イルの名に相応しく、苛烈に怒った赤毛がヒレの様に逆立った。
「誘っているのか……馬鹿め、なればこちらは不動の構えである! 群れを成した獅子に、僅かな猿がたかって何が出来るか!」
するとロチアート達は、煌めく何かを取り出しながら騎士の大群に狙いを澄ませ始めていく。それにいち早く気付いたザントライユは、騎士達に防御の号令を出した。
「遠距離より小突いてくる様子であるぞ、各自防御魔法を展開しろ!」
それぞれに白き防御魔法を展開した騎士の群れへと、赤目の兵は手元に携えた古の兵器を放った――
「ぅぐ――っ!」
「貫いて……防御魔法が、何か鋭利な鉄に!」
防御魔法のサークルを貫いて騎士のプレートメイルに突き立った鉄の矢じり。余りにも懐かしく古典的なる敵方の攻撃手段に、ラ・イルとザントライユは共に目を剥いて歯軋りをする。
「ロングボウであると……ッ!? おのれ、小細工を!」
「魔力に依存するこの世でこそ意表を付けると……いや違う、奴は時代遅れの己の世代の戦法を展開しているだけか!」
しかし身を貫かれたのは僅かに数名の騎士だけである。この距離であればロングボウの威力も削がれ、余程当たりどころが悪いでもしなければ死傷とまではいかないであろう。
つまりエドワードは、ただ強靭なる獅子の体に小石を投じただけに過ぎないのだ。
意表を突くだけの奇策に敵を侮蔑する様な目付きとなったラ・イル。彼はまだ見えぬエドワードという将を心に見据えながら、その手斧を振り上げて号令を出す。
「時代と共に戦術はより高尚なるものへと変化しておる! 世に取り残された哀れな残兵に、“魔力”で持って報復を喰らわせろ!」
各地より顔を出し始めたロチアート達。そしてじっくりと装填され、ロングボウから絶えず放たれてくる鉄の矢じり。鉄の雨に曝される前衛の騎士達は、接近するでも無く遠距離より小突いてくるだけの臆病者共を軽蔑し、奴等雑兵を踏み潰す勢いで魔法球を練り上げていった。
――そして一斉に放たれていった火球や雷弾が、哀れなる家畜達へと突き立った。
撤退していく赤目達を前に、腕を組んでゲラゲラと笑い始める猛将。
「バァーっハッハッハ! 恐怖の黒騎士の威光が霞んでおるわ!」
「ナァーっハッハッハ! 冷酷の王の栄光など過去の栄光に過ぎんのだ、貴様を置いて時代は何処までも進んでいったのだ愚かな亡霊め!」
「次はどの様な愚策で挑んで来る? 時代遅れな貴様の浅はかな戦略など、このラ・イルが全て踏み潰してくれるわ!」
圧倒的たる力を見せ付けた騎士達。勝ち誇った表情を落とし始めた彼等であったが、次に眼前に現れた一人の男――その悠々たる佇まいに、一瞬呆気にとられてしまっていた。
「おいエドワードだ、敵将が一人でノコノコと我らの前に!?」
「人間が魔物に乗っている……? あれはなんだ!」
闇をヒタヒタと歩む赤目の黒馬。魔物に騎乗したその姿は騎士達からすれば奇異であり、別の世より転生して来た英傑からすれば、正に騎士として羨望の光景であった。
「未だ騎士道を体現しているつもりか……貴様はつくづく前時代的であるな、エドワード!」
「誰だ貴様は……名も知れぬ将を私にあてがうなど、随分と過小評価されたものだ」
この場に置いて、敵将ただ一人で隊列の前に現れるという豪胆な行為にラ・イルはその意図が掴めず、やや様子を窺う様にしている。
「バァッハ! 俺はラ・イル、貴様亡き後イングランドのゴミ共を蹴散らした将の一人である!」
「ナァッハ! 俺はザントライユ、同じく将にしてイングランドの雑魚共を蹴り回した男である!」
「精々1000といった所か……」
眼中に無いとでも言いたげに二人の名乗りを無視したエドワードは、漆黒の鎧を揺らして馬の手綱を引いて踵を返していってしまった。
「無視だと……この俺達をッ!! 猛将として名を馳せた我等をっ!」
「はぁ……はぁあ……?」
「「――ハァァァあああッッ!!!?」」
敵陣を視察するだけして帰っていこうとする男に、ラ・イルとザントライユは声を合わせて激昂した。
「「このまま帰れると思うかァァァッ!!」」
二人が同時にバトルアクスを振り抜くと、火炎と烈風が入り混じりながらエドワードの背へと迫った――
「「――ニヤァアっッ!!?」」
「こちらは500に満たないが、生温い時代に生きたフランスのウジ共であれば造作も無い……」
闇よりいでたエドワードの黒き大鎌が、振り向く事もせずに背後を一閃して魔力をかき消していた。
闇の太刀筋を残し、悠々と敵前から帰っていく男に、騎士達による魔力の嵐が降り注いでいく――
「な……っ!」
「あれ、……奴はどこに!?」
――黒馬と共に、足元に現れた闇にズブンと沈んで消えたエドワード。空を切った怒涛の魔力弾が地を穿っていく。
「あの豚は居らんのか? なれば所詮は烏合……いくら寄り固まった所で変わりは無い」
「エドワードだ、あんな所に居るぞ、どういう事だ!?」
騎士のひしめく広場を離れ、馬を操り勾配を上がっていくエドワード。その冷たい声のみを残して建物の影へと消えていく男に、ラ・イルとザントライユは額に青筋を立てながら咆哮していた。
「我等をコケにするかエドワードォッ!!」
「このォ……騎士として尋常に勝負をせよッ!!」
連なる家々へと吸い込まれていった猛将二人の咆哮の後、凍て付く様な冷淡な声が微かに返って来た。
「騎行である……これより貴様等の街を全て焼き討ちにする」




