第333話 切り裂かれる黄金比率(トレードマーク)
切り込んできたロチアートと魔物の群れを前に、ジル・ド・レは感心する様にヒゲをチョイと跳ねる。
「鳥ほどの脳かと思えば、猿程度には知能がある様だ」
「ぬかせ人間め!」
「袋叩きにしろ!」
一斉に飛び掛かってきた敵兵に、ジル・ド・レは体を捻じりながら極度に刀身の曲がったショーテルを一閃する。
「ぅぎゃ!?」
「……ぁ、斬撃が飛んでっ!」
後ろに飛び退きながら切り払われたショーテルによる斬撃が、風を裂いてロチアート達を一挙に刻み付けていた。
「なんっだよありゃあ!!」
負け時と騎士をダガーで切り払っていくシクスであったが、一薙ぎで眼前の集団を斬り付けてしまった男に驚愕を隠せない。
更に、建ち並んだ民家に潜む伏兵に襲撃を加えていく上空からの魔物に、ジル・ド・レは狙いを定めていった。
「畜生如きめ……」
「――――っ!!」
何処までも伸びていく曲刀からの斬撃が、魔物を切り裂いて地に墜落させていく。
「このおっ、俺達ロチアートの底力を見よ!」
「これならばどうだ、もつれ込めれば勝機は俺たちにある!」
「ほう……」
赤目を光らせる数名のロチアートが、盾を構えたままジル・ド・レへと突撃を始めた。真っ直ぐに飛ぶ斬撃であれば、その盾と彼等の肉壁によって道は切り開かれるであろう。
しかし――――
「ぐぁあっ!?」
「なん……で、盾が……っ?」
極度に曲がったジル・ド・レのショーテルは不可思議な太刀筋を残し、敵の構えた盾を越えてロチアート達を斬り付けていた。
その返り血を浴びて戦場を駆け始めた将は、握った刃を順手、逆手と持ち替えながら、縦横無尽と斬撃の軌道を変えて盾の先の兵を切り抜いていった。
「いぐぁ盾が効かな……っ」
「どうすれば、く……そ!」
「教えてやろう……このショーテルという得物。三日月の様に湾曲した刀身は、障害物をも越えて敵を斬り付ける……この世界で出会ったものだが、これがなかなか私の性分に合っていてな」
妙な軌道を残す剣技にロチアート達が怯んでいると、ジル・ド・レの後方より、魔物に蹴り転がされたギーの慌てふためく声が起こった。
「アンギャァア!! 兄者ぁぁあ、助けろ! 俺を助けろぉおお死ぬぞおお!!」
「やれやれ……ギーよ、護身術の一つ位身に付けておけと教えた筈だぞ」
「ヴォアハアハアぎゃぁあ! サッサと助けろ兄者ぁぁあ!!」
顔に手をやったジル・ド・レは、次の瞬間には機敏な脚使いでギーの元にまで走り込んでいた。
「ウァァンギャァア!!」
「助けろとはなんだ、全くお前は……」
何時の間に斬り付けたのか、ギーを取り囲んでいた魔物達が、ショーテルの斬撃で一挙に首を跳ねられて血を噴き上げている。
「ホォアアア兄者ぁあ!!」
「ギーよ、せめて剣位は戦場に持って来い。尚且自分の身を守れる位の修練は……」
「嫌だぁあ! 俺はそんな事したくなど無いのだぁ! 俺はずっと何かを書いていたい、それ以外の事など食う寝る以外にしたくは無いのだぁあ!!」
泥だらけになったギーは、助けて貰ったというのにそんな態度のまま、胸に固く抱き締めて離さなかったノートを押し開いた。
しかしジル・ド・レは、何やら嬉しそうに彼を見つめ下ろしている。
「フッフッ……愛い奴よ、愛い愛いジャンヌの次に愛い……お前はやはりそれで良い。書物に掛けるその執念……それでこそ偉大なる淑女の書き手となるべき男よ」
「アンギャァァア!!」
「お前の記した一文が、ジャンヌの姿を後世へと伝えるのだ」
ボロボロになった貴族服を払う事もせず、ギーはガリガリと音を立てて記し始める――
「“亀裂の走る大地雷の降る雷雲畜生の群れがいま天に拒絶されるかの様な天災に見舞われる”」
ギーがそう息継ぎもせぬまま記し終えると、大地が揺れて亀裂が走り、空に鳴り出した稲光がロチアートの群れへと突き落ちた。
「フッフッフ良いぞギー!」
黒焦げになって四散するロチアート達を仰ぎながら、ジル・ド・レは肩を震わせて喜んだ。
「『業火の大弓』!」
「ん……またか、性懲りも無い」
そこに飛来してくる漆黒の炎の矢じり――呆れたジル・ド・レはマントを開き、その軌道を変えるべく、迫りくる火炎にショーテルの切っ先を向けた。
――しかしそこで声を荒げたのは、ギーであった。
「兄者ぁあ! それは幻影だウギャア!」
「なに、謀られたか!」
その肌に確かに感じるヒリヒリとした熱が、ジル・ド・レにその可能性を忘れさせていた。
「“幻影の火炎は風に消えてなくなりそこには真実の光景だけが残された”!」
手早くギーがそう記すと、シクスの『幻』によって見せられていた火炎が断ち切れた。
「おのれ――!」
遠く火炎の翼を上らせたセイルに向けて、ジル・ド・レが斬撃を解き放った。それは魔力による術では無いが故に、反魔法の性質を備えたセイルの邪滅の炎で持ってしてもかき消す事は叶わないであろう。
「少し位曲がるから何なのよ!」
への字にした口元で空へと飛び上がったセイルが、火炎の道筋を残して空へと大きく飛び上がっていく。ショーテルによる斬撃は、彼女の遥か足元を過ぎ去っていくであろう。
「捻れるぞ……」
――だがジル・ド・レは微笑んでいた。
「『捻じ』――!!」
「ぇ――――!」
斬撃の軌道が捻じれ、空へと舞い上がったセイルに向けて突き上っていったのである。
「私の炎を捻った様に、自分の斬撃も……っ!?」
突き上げてきた斬撃から逃れる様に、セイルは宙空で方向転換を繰り返す。しかしジル・ド・レはセイルが方向を変える度に激しく繰り返し続けた。
「『捻じ』、『捻じ』『捻じ』『捻じ』――!!」
「くっそ……何処までも斬撃が追ってくる!!」
「鳥獣狩りである……フッフッフ『捻じ』!!」
何時までも追い続けてくる斬撃が避け切れぬ事を悟り、振り返ったセイルは巨大な転移の魔法陣を現した。
「逃げるというのか……しかし何処へ、私の剣撃は何処までも貴様を――」
「違うわよッ!」
セイルが転移の魔法陣に呑み込んだのは自らでは無く、飛び込んで来る斬撃そのものであった――
「しまった――!」
そしてジル・ド・レの前方に現れた桃色の魔法陣――そこより、自らの斬撃が風を切って迫り来たのである。
「く……っ――『捻じ』!!」
またもや面食らったジル・ド・レであったが、眼前スレスレの所で軌道を捻り、斬撃は空へと打ち上がって消えていった。
「く……野蛮な家畜の分際で、私の……私のっ!!」
わなわなと怒りに震え始めたジル・ド・レは、真っ赤になった顔で憤慨しながら、額の上で真っ直ぐ切り揃えていたオカッパ頭の前髪が、先の斬撃によって更に短く、額の中間辺りでスッパリと切れてしまった事に愕然としていた。
「わた……私の、トレードマーク……ジャンヌに褒めて頂いた、綺麗に揃えられた私の前髪が……黄金比ガっ!! ――おのれぇええ!!」
「ぁ兄者、後ろだぁあ、俺の術じゃ間に合わ――!!」
「ヌ――――っ?!」
怒りに一瞬我を忘れてしまったジル・ド・レ。そんな彼に向かって、人混みに隠れながら極度に低い姿勢で持って走り込んで来る者がいた――!
「――ヒッヒャハハハハハっ!!」
「ごぉあ!!」
「兄者ぁぁあ!!」
『幻』の能力によってダガーを大太刀の様な長き刀身に変えたシクスが、宙へと飛び上がりながらジル・ド・レの頬を斬り付けていた。
「チッ……よく反応しやがったなぁ。いま咄嗟に一歩下がっただろ、顔面切り開いて終わらせるつもりだったのによぉ」
「ぐぉ……このロチアート、とんだ奇策を!!」
「兄者ぁぁあ!!」
そしてシクスは着地すると、軽々しく大太刀を肩に担ぎ上げる。
「奇策? そんな大したもんでもねぇよ。テメェが嬢ちゃんの対策を、ヒョロガリが俺の対策をしてるっつうから思っただけだ――」
そして血の付いた大太刀を払い、満面の笑みを浮かべた。
「標的入れ替えれば良いんじゃねぇ? ってなぁ……ヒィッヒィヒッ! それだけじゃねぇか!」




