第26話 夢から醒める
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「ガッシュ~お前の面妖なる術の事は伝え聞いている。確か幻覚を、敵に痛みを与える事の出来る幻覚を操るんだったなぁ~」
ハッド・ボールは、余裕そうにしてダブついた顎を揺らす。前衛の騎士達も、勝算があるかの様に不敵に微笑んでいた。
「だが我々ケセドの騎士は、ザドル様より貴様の術の対処法を仰せつかっておるのだ~がぁーはーはっ!」
間延びした声でハッドが笑うと、兵も自信気に剣を構え、口々に言葉を投げ始めた。
「所詮幻覚、真実では無い物は恐れるに足らん」
「この100の兵に対抗出来る程の異能力ではなかろう、混血の化け物め」
ガッシュはつまらなさそうに相槌を打つと、口許を歪ませた。
「かかれ!」
ハッドの号令で、前衛の兵が剣を振り上げて駆けて来る。
「聞くと、実際に見るとでは訳が違うぜぇ」
ガッシュは『幻』の能力で、大地を翻して見せた。足を取られた兵は、皆一様に宙を舞って頭を打ち付けていく。
「なぁっ!?」
更に砕けた地面から異形が湧き出でた。形容するならばそれは、巨大なムカデの様な体に、これまでに殺した民の顔を貼り付けた、醜い化け物であった。
「ひぃいいい!」
「馬鹿者怯むな、げ、幻覚だ!」
ハッドが怯みかけた兵を鼓舞するが、彼等は直ぐに、更なる恐怖へと誘われる事になった。
「それはどうかな肥満野郎」
空が唐突に曇天に変わり、辺りを薄暗くしていく。低く立ち込めた黒い雲に無数の目が現れると、それはニタリニタリと笑って兵を見下ろし始めた。
「幻覚! まぼろしだ! 気を確かに持つのだ!」
「ししし、しかしハッド様! これは、この肌がひりつく様な感覚は……っ! あの魔物の息遣いは! 腐臭はっ!」
「黙れ黙れ! 惑わされるなぁ~!! 敵はたった一人の賊だっ!」
続けて地が裂けて地形を変える。そこからは、複数の人間を重ね合わせて形成された、禍々しい巨人が姿を現して吠える。
「「「ボォォオオオアアアアアア!!」」」
つんざく共鳴に兵が耳を抑えて蹲り始めた。その様を嬉しそうに眺めたガッシュは舌を突き出した。
「そう、まやかし。幻だよこいつらは」
「剣を構えろ! 奴本体に向けて水弾を放つのだぁ~!」
兵はハッドの言う通りに、手元に水の球体を生成し始める。
放たれんとする脅威をを正面に見据え、満面の笑みを浮かべてガッシュは囁いた――
「……だけど、現実だ」
巨大なムカデの異形が、大口を開けて地に落ちた。そこにいた数十の兵は一飲みにされて、バキバキと音を立てながら咀嚼される。
「ぎ! ィィイイイイ痛ぇえええっッ!」
「ハッドざまぁあ! これはまやかしなのですよねぇええ!! ぞうなのですよねぇえ!? 私はこのまま死にませんよねぇええ!!?」
「化け物だ! 化け物が襲ってくる!!」
「体、俺の……バラ……ばら。死なない……よねオレ、だって幻…………でも、あれ……痛………………」
ムカデの異形が騎士を飲み下すと、体中に貼り付いた無表情の民の口から、血を吐き出し始めた。その余りのおぞましさに、兵は明らかに動揺を大きくしていく。
「放て! ガッシュ本体に水の弾を放てぇ!」
「ぎゃぃああ!!」
「撃て撃て撃て撃て!! 撃ちまくれ死にたくなかったら撃ちまくれ!!」
「悪夢だ……あく……」
「殺じて……もう怖い……見たく……な……あっ」
恐怖に飲まれた騎士達は、ハッドに背いてそれぞれの異形達に攻撃を始めていた。
恐怖に飲まれ指示に従わない彼等に、ハッドは動転した目を向ける。
「なっ、お前ら違う! 標的は奴本体だと……っ!」
だがそれも仕方が無い事だろう。余りにリアルな深淵の中で、彼等は皆自らの命を守る為に必死になるしか無いのだ。
その地獄はまやかしでもなんでも無く、紛れも無いまでに生命を脅かして来ているのだから。
恐怖という小さな雫は波紋となり、共鳴し、いとも簡単に伝播してその湖を包み込む。
「アーーッハハハハぁ! イヒィィハハハハ!!」
降りしきる地獄の中で、ガッシュは一人天を向いて嗤っていた。体に黒い怨念の塊をまとわりつかせて。
そして混乱の兵達の横を素通りし、手元の黒いダガーでいとも容易く首をかっ切りながらハッドに向かって来る。まるでピクニックでもしているかの様に軽快な足取りで。
「こっちの方が好みの雰囲気だ」
「が……ガッシュぅぅうッッ!!」
「あ~あ~誰も言う事聞かねぇ、人望ねぇなぁ。どうすんだよおデブちゃん」
「貴様の様な化け物は俺が直々に葬ってやる~!!」
ガッシュは体にまとわりつかせた黒い怨念の霧をハッドに放った。そして同時に骸の騎士を数体出現させる。
「ぐぅおお」
その霧に触れた途端に、ハッドの豊満な肉は爛れて溶け始めた。
「ちょこざいわぁあガッシュ!」
しかし彼はは自らの肉が溶けていくのも構わずに、掌から繰り出した水の大玉をガッシュに向かって放っていた。それはどういう訳だかガッシュの目前の骸の騎士をすり抜けて、大砲の如く強烈にガッシュの腹に炸裂したのだった。
「――んぁあッ!!?」
「はっは~見たか兵達よ! 思い出せ、奴本体を魔法攻撃で叩けば造作もない事よ~!」
「なっ……にが……ガハッ」
ガッシュは凄まじい衝撃に意識が持ってかれそうになったが、なんとか意識を繋ぎ止めてふらふらと立ち上がる。
「ザドル様よりこの手の魔法の法則を伝え聞いておると言っただろう~」
「法……則?」
「そうだ~武具や魔法で放たれた攻撃は幻術で妨害出来ぬという事。術者自信は幻術の範疇になる事は無く、例え障壁を作ろうと、その姿ある所は偽る事が出来ぬという事だあ~!」
「……マジかよ……知らなかったぜ、親切に教えてくれてありがとよ」
「減らず口を叩く……構えろ騎士達よ、化け物達など恐れるに足らん~!」
ハッドがガッシュに一撃を喰らわせると、異形達の動きも鈍くなって苦しみだした。それを見た兵は、恐怖の中で僅かな希望に瞳を輝かせ始める。
「ガッシュを殺せぇ! 化け物達に食い殺される前に!」
「こいつを殺せばこの悪夢も消える! 怯むな!」
「おおおおお!」
士気が上がり、皆が化け物を無視して一様にガッシュに対して水弾を放ち始めた。
「いきなし……っ団結しやがってこの薄情者共がッ!」
ガッシュは身を寄せながら、防御魔法を全方位に展開した。しかしそれを破られるのも時間の問題である。
「ほう、人間もどきが防御魔法を心得ていたか~だが!」
ハッドの水の大砲が、ガッシュの正面の防御魔法を打ち砕いた。
「正面ががら空きだぞガッシュ~!」
盾の無くなった正面から、無数の水の飛礫がガッシュの体を貫いていった。
「ぐぁ――っ!!」
すると不気味な空が晴れ、たちまちに異形が姿を消していく。それに気付いた騎士達は、眼光を滾らせて白い歯を見せ始めた。
「化け物が消えれば恐れる事は無い。消えろこの忌まわしい半人め~!」
ハッドは勝ちを確信しながらに、頬を震わせながら水の大砲を構え――そして放った!
――しかし次の瞬間にガッシュは、自殺行為とも思える奇行に打って出ていた。
「ゲッハハぁーッ!」
「んななーっ!?」
ガッシュは防御魔法を展開するのも辞めて、高く飛び上がっていた。無数の水弾と、ハッドの大砲が空を切っていく。
――しかしそれは賢い選択とは言い難かった。何故ならば次に着地した瞬間に彼は、盾の一枚も無いままに、向けられた無数の銃口による一斉射撃を受けるのだから。
「苦し紛れの愚策だなぁ、防御魔法を解いて飛び上がるとは、闘いの定石も忘れたか〜!」
「俺は頭が悪ぃからよぉ、何が正しいのかなんて分かんねぇし、覚えらんねぇ」
中空から降り落ちていきながら、ガッシュのオッドアイが苛烈に灯った。
「……でもよぉ、お前も一つ忘れてんだろうが」
地に着地したガッシュは、極端に低い姿勢でハッドに駆け出して来た。
「くっはは~! 迎撃しろ兵達よ! 正面突破できる距離ではない!」
確かにガッシュからハッドまでの距離はまだ離れている。無数の水弾を正面から避けて突破できる距離では無い。
「う、うなぁ〜〜?!」
――が、ガッシュは駆けていた。迷うそぶりもなく猛然と!
正面から迫る水弾を、身を捩り、宙に舞って半身になり、飛び退きながら、持ち前の反射神経のみで回避して前進し続ける。
「そん……な! サーカス団の様な曲芸がいつまでも続くかぁ~っ!!」
「ぐぅ……あっ!」
だがやはり、距離が近付くにつれてガッシュは被弾し始めた。全身を水の散弾で打ち抜かれていくが――彼は止まらなかった。
「――ふぅぅヌゥらぁあッ!!」
「自爆特攻のつもりか〜! だがぁ〜!!」
血を吹き出しても疾走するガッシュからハッドまでの距離があと五メートル程に迫る――
「甘いなガッシュ〜『無形迎撃連砲』!」
ここに来てハッドが、自らの周囲に水の大玉を無数に出現させる秘技を繰り出した。それらをまとめて放てば最早避ける術は無いであろう。そして未だガッシュの手元のダガーが届く距離でも無い。
しかしガッシュは瞳を吊り上げながら口を開いていった。
「あんた忘れてんだろう……」
「ぬぁ?」
まだ距離があるにも関わらず、ガッシュは不敵に嗤いながら、届くはずも無いダガーで横一文字に空を切った。
「ガァーーッ!!!」
「は?」
「ハッド……様?」
予想を裏切り、絶叫を上げたのはハッドの方であった。
何が起きたのか分からず、騎士が目を凝らしていくと、そこには胴を深く切り裂かれたハッドが倒れている。
「あんたが言ったんだぜ? 俺自身もまた、化け物だってなぁ」
驚愕した兵が見上げるは、何メートルにもなる巨大な大太刀を握ったガッシュの姿。その奇妙に長く黒い刀身でハッドは切り裂かれたのだ。
ガッシュは自身を『幻』の能力によって操作は出来ない。しかし手に持ったダガーはその範疇では無かった。つまり彼はダガーを瞬時に長い刀身へと変化させて意表を突いたのだ。
ガッシュが長い切っ先をハッドの首に突き付ける。そして口の端からよだれを撒き散らしながら、狂った様に体を揺らした。
「ィィイハハハハハハッ!! ヒィアーハハハハハハヒ!」
同時に異形達が奮い立ち、兵を一網打尽に凌駕していった。もう二度と騎士達がその地獄から目を反らす事も出来ない程に。
「イヤァァア!!」
「来るな化け物ぉおお! 寄るなぁあ!」
「どうだい人間様ぁあ!? ッハハハハハハ! やっぱり気持ちいぃやあ! 騎士様をいたぶって殺すのはよぉおおっ!」
「貴様~ガッシュ! この下郎めがっ! ぐふ……」
血にまみれたガッシュを足元から見上げ、ハッドは呻く様に続けた。裂かれた腹からの夥しい流血が広がっていく。
「例え我らを破ろうと、貴様の行く末は死だ。あの反逆者共に加担した者の末路だ〜」
「はぁー? 別に俺はあいつらの仲間なんかじゃねぇよ」
「ならば……何故だ。何故自らの体を投げ売ってこんな大立ち回りを……」
ガッシュは頭を掻きながら顔を背けて続けた。まるで小っ恥ずかしい事でも語っているかの様に。
「見たくなっちまったんだ」
「……」
「あいつがこの都の神を殺す所を」
「愚か……な……」
「夢を……いや、現実を、俺も見たくなっちまった。何時までも眠ってねぇでよ」
「貧民街で夢を見ていれば良かったものを……貴様が生き永らえていたのは誰の温情だと思っている……神だ! 尊きザドル・サーキス様の慈悲によるものだったのだぞ……それを……!」
ガッシュはつまらなそうに淡々と、突き付けた切っ先をハッドの首に差し込んでいった。彼は痙攣して、そのまま息をしなくなっていく。
辺りに地獄を振り撒いた男は、不気味に笑んで大太刀となったダガーを肩に担いだ。
そして思い出した様に懐から煙草を取り出して、紫煙を燻らせる。
「そいつが本当に神なのかを確かめに行くんだよ」




