第23話 神を信じる者達
貧民街を抜けた鴉紋達は、都の中心に位置する宮殿を目指して城下を歩んでいた。
鴉紋達の姿を見た民は逃げ惑うかと思いきや、皆一様に膝を着き、胸に下げた銀の羽根のネックレスを額に付けて祈り始めた。
「反逆者め、神の使途からの天罰があらん事を」
「誉れ高き騎士様に手を上げるとはなんと恐ろしい事を。神罰が下ろう」
「殺しなんて神の教えに背いているわ」
民の声を聞きながら、鴉紋達は空寒い気持ちになる。
「気味が悪いな。なんで逃げないんだ?」
「ええ、ケセドの民の信仰は深いと聞き及んでいましたが、ここまでとは」
「神の使途って天使の子の事かな?」
その時、石が一つ投げられてセイルの額を掠めていった。
「いてて」
「おまえらなんかが天使の子を語るな、わるもの達め!」
「セイルさん無事ですか? ……子どもですね」
鴉紋が投石をした少年を見下ろすと、その母親とおぼしき者が少年を胸に抱き留めた。
「お前達は何故逃げない。俺達が恐ろしく無いのか」
冷たい声音で鴉紋が問うと、母親は毅然とした目付きで羽のネックレスを額に付けた。
「偉大なる神の使徒、ザドル・サーキス様の教えです。貴方達の様な悪意が都に侵入しようとも、都を出ずに祈りを捧げよと。さすれば民の命は守られると」
「神の使徒……か」
よく見ると胸に垂れ下がったネックレスは少年や他の民も装着している様で、天使の子を崇拝する象徴の様な物である事が分かる。
その場を立ち去っていく鴉紋達に向けて、怖いもの知らずの少年は再び口を開き始めた。
「おまえらなんかザドル様がやっつけてくれるんだ! 偉大なる神の御力でやっつけてくれるんだ!」
「お止めなさいガストン! 神の使徒へ祈りを捧げるのです、さすれば貴方の望むようになるのですから!」
そして共に膝をついて祈る親子の元を去る。
しかしその後も民の狂信の光景は続いた。天使の子への信仰は都の民にとって余程の物らしく、数多の――おそらく都の全ての民が、天使の子の教え通りに、鴉紋達を取り囲んで祈りを捧げ続けた。
居心地の悪さを感じながらも、鴉紋は城の前の石畳の広場に辿り着く。
「待っていた。マニースを……僕の隊の副隊長を殺したらしいな。神の教えに背く背教者達め」
そこには斧を携えた小柄な騎士と、約80の甲冑が鴉紋達を待ち受けていた。口振りからは、先程鴉紋が殺した第12隊の隊長である事が窺い知れる。
隊長の話を耳にした民が声を上げ始め、鴉紋達に侮蔑の目を向け始めた。
「おい、副隊長のマニース様を殺したらしいぞ!」
「あぁなんと罪深く愚かな」
「神の使徒の御心に背く行為だ」
「奴等に天誅を!」
罵声をその背に受けてもしたり顔をする鴉紋は、体格に見合わない巨大な斧を担いだ隊長に向けて、邪悪に微笑む。
「神だの使徒だの……信仰するのはどっちかだけにしろよ」
「愚問だ。僕らが崇め奉るのは神の使徒ザドル・サーキス様。そしてザドル・サーキス様の崇拝するは神であるが故だ。無知蒙昧の賊には難しい話しだろうが……」
「はっ、言ってろチビ。俺はガキでもこの腕の力を緩める気はねぇぞ」
「ふん。僕は第12国家憲兵隊隊長ラビール・ペンネ。神の使徒への反逆行為。今ここで天罰を執行する」
ラビールは細腕で斧を軽々と頭上に掲げた。するとみるみると足元から沸き出した水がそこに収束していき、丸い球体の形となって刀身に集い始める。
「マニースは僕の兄弟子でもあったんだ。仇討ちはさせてもらう」
言いながらラビールは、その水の球体を宿した斧を、数十メートル先の鴉紋達に向かって振り下ろしていた。
「避けて下さい二人とも!」
フロンスの警告で、三人は斧の先から飛んできた水流の斬撃を横に飛んで回避した。
「う、うわぁ~っ!」
飛び退きながら伏せったセイル。
「なに!?」
鴉紋は水の魔法を初めて目にして、驚きの声を上げていた。
高速で飛んできた水流の斬撃は、ラビールの振り下ろした軌道のまま、背後の建物に深い傷痕を残していた。
「お二方! 水の魔法は想像主のイメージを具現化します! 高速回転する水流は脅威の切れ味となりますので気を付けて!」
「鴉紋。腕で受けても駄目な奴だよ?」
「わかってるよ」
水は液体ゆえに無形。鴉紋の腕で防ぎ切れなかった斬撃の軌道は、そのまま直進して体を貫いてくるだろう。
「ですが変幻自在の水の魔法は、魔力を多く消費します。連発は出来ない筈ですし、防御魔法なら防ぐ事が出来ます」
「……」
すると、眉根を寄せて鴉紋は黙り込んだ。
「……フロンス! 今鴉紋の事馬鹿にしたでしょう!」
「え! い、いえそんな」
「鴉紋が『黒雷』っていう魔法以外からっきし習得出来なかったの馬鹿にしたでしょう!」
「や、やそんな事は決してありませんよ!」
「……」
「防御魔法すらまともに使えないの、馬鹿にしてるんでしょう!」
「セイルさん、ご容赦を……」
「……もういい。やるぞお前ら」
セイルが言うように、鴉紋はこの二年で魔法を習得する事が出来なかった。フロンスが言うに、内包する魔力はとてつもないらしいのだが、どういう訳だか使えるのは凄まじく燃費の悪い『黒雷』という未知の超魔法のみなのだった。
「神に背く愚かさを知れ」
ラビールが繰り返し振り下ろし始めた水の斬撃を、前に立ったフロンスが防御魔法で受ける。
「それにしても斬撃を飛ばすなんて……一介の兵には出来ない芸当だと思われます、あのラビールという子ども。強いですよ」
「どいてフロンス!」
セイルが特大の火炎をラビールに向けて放つ。
「……ふん、こんな物か」
ラビールの周りを取り囲んだ兵達による防御魔法が、セイルの火球を防いでいた。
「奴等は死骸を傀儡と化す外法の術を使うという。このまま拮抗を保ち、数で押しきれば恐れることはない……やれ!」
ラビールの号令で水弾が鴉紋に襲い来る。フロンスに続いてセイルも前に出ると、共に防御魔法を展開した。
防戦一方の鴉紋達に民が歓喜の声を上げていく。そしてラビールは、得意気な顔をして水の斧を振り下ろした。
「さぁ、お前達の命をマニースに捧げてやる!!」
その一撃が入れば防御魔法は崩れ、鴉紋達は散弾でもくらったかの様に穴だらけになったのであろう。
しかしラビールの目論見は外れ、そこに居合わせた者達は息を飲む事となった。
「なっ……なに!?」
鴉紋達の防御魔法の前に、先程までとは比べ物にならない程に巨大な火炎の塊が現れて、無数の水魔法を蒸発させていた。
セイルによって起こされているその火炎は、未だその威力を弱める事もなくメラメラと焼き上がる。驚異の熱波に、触れた水魔法から生じた水蒸気が、辺りを包んで視界を曇らせていった。
「これだけの水魔法でも弱められない火炎だと!? なんて馬鹿げた魔力を……!」
動転するラビールに続いて、騎士も驚嘆の声を上げた。
「本来不利である水魔法をも跳ね返す炎など聞いたことが無いぞ!」
「あの娘、なんて莫大な魔力を隠していたのだ!」
白煙の中から鴉紋の声が響く。
「出し惜しみは無しだ。いくぞセイル」
「……うん!」
超巨大な火球がセイルの意思でもって正面のラビールに向けて放たれた。
「防げ! ラビール様に防御魔法を!」
「な……っ! これは……抑えきれない!」
「ありったけの防御魔法を重ねろ!」
ラビールの前に騎士達は何重にも防御魔法を展開したが、セイルの尋常ならざる豪炎が、薄いガラスでも叩き割るかの様に容易くそれらを打ち砕いていく。
「……ラ、ラビール様! 待避をぉ!」
徐々に火球は威力を弱めていったが、それでも最後の防壁を撃ち破って、ラビールの眼前に迫っていった。
「駄目だ! 使徒に仕えし騎士は賊に背を向けない!」
――直撃したと思われたラビールであったが、その全身を水のベールに包みながら、斧を振り下ろして炎を真っ二つに叩き割った。
「崇高なる、我らケセドの騎士の威厳を持って撃ち破られた!」
「見たか、これが神の使徒に仕えし我らが隊長の御力」
勝ち誇った表情のラビールが、鴉紋達に向けて視線を戻す。
「あれ……?」
すると、白煙の中にあった鴉紋達のシルエットが、そこに無かった。




