第132話 差し迫る悪夢
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「魔女、今回ばかりは俺様も看過できん」
玉座の間の中央に真っ直ぐ敷かれた赤いカーペット。その先の台座の上に据えられた肘付きの玉座に、明らかに機嫌の悪いラルが頬杖を着いてポツリと佇んだ少女を見下ろしていた。今日は両脇に女を携えておらず、さしもの彼も事を重大に捉えている事が伺い知れる。
「あの女が悪いのよ。私のダルフを盗んだんだから」
両脇に整列した二百の騎士達が一斉にリオンを睨めつける。先頭に立ったファルロに至っては、今には飛びかかって行きそうな様相で鼻息を荒くしている。
ステッキをコツコツと足元に突きながら、ラルは口を開く。
「既に死んだ者の為に、我が栄光の騎士達を殺したというのか?」
「そうよ。ダルフは私の全てだもの。触れた者は皆殺す」
頭を抱え込むラル。憤怒したファルロを騎士達が抑え込んでいる。リンドはただ長いローブを揺らして静観していた。
「我が力を持ってしても誰一人として再生出来なかった。これ程に明確な殺意を差し向けた事は、反逆行為以外の何ものでもない」
反省も謝罪の意も見せぬままに、魔女はラルに顔を向ける。
「それで粛清すると?」
「……そうだ魔女。貴様は危険分子だ」
騎士達が一斉に剣を抜いてリオンに向き直る。だが魔女は、顎を上げたまま不遜な態度を崩さない。
「直にナイトメアがこの都を襲撃するわ……」
この世を包み込む悪夢の名に、全ての者が反応を示す。
「憲兵隊を一つ壊滅させたまま彼等に勝てるとでも?」
ラルが忌々しそうに吐き捨てながら乱れた居住まいを正す。
「その一つを壊滅させたのは貴様だろう……だが、たった四人の反逆者達を断罪するのに、我が栄光の騎士達二百名がいれば十全だ!」
「あら、そのたった四人が、六百名もの騎士のひしめくビナ・コクマを打ち破ったのよ?」
我慢の限界を迎えたファルロが前に出て、つばを撒き散らしながらリオンに噛み付く様な言葉を向ける。
「おのれ魔女め! 我が栄光の騎士達をまだ愚弄するか!」
大男の恫喝はリオンには響かず、眉根も動かさないままに言葉を返していく。
「事実よ。あなた達はナイトメアを甘く見過ぎている。世界に落ちて来た最悪を、見誤っている」
憤怒したままのファルロが鉄球を引き摺って、意見の噛み合わないリオンに向かって歩んで行く。そこに殺意が携えられている事にリオンは気付いていた。
「……言っても分からないのね。まぁいいわ」
リオンは青い冷気を纏い始めると、上げた左手をファルロに向ける。
「――――待てッ!!」
ラルが声を上げてファルロの足を止めさせていた。そして煮え湯を飲まされている様に鼻筋をピクつかせて続ける。
「ナイトメアの襲撃が近い以上……これ以上我が兵力を削る訳にはいかん」
レッドカーペットを歩んでいた足を止めたファルロが、ラルに振り返って声を荒げる。
「しかしラル様! こやつは反逆行為を! ニータと我が同士達を手に掛けたのです!」
熱き思いを宿して異を唱えたファルロであったが、真っ直ぐに彼を見下ろし続けるラルの橙色の瞳を認め、不承不承と引き下がっていく。
「魔女の処罰はナイトメアの一件が落着してからだ……」
「ラル様……っ!」
「しかしこの女は仲間達をっ!」
ラルの意見に珍しくざわめきが起き、騎士達が声を上げる。しかしラルはステッキを地に叩き付けて、大広間に静寂を戻す。
「この魔女は、ナイトメアの打倒には協力の意を示し続けている。得体が知れんが、対ナイトメア戦においては絶大な戦力となるであろう……」
彼等が自らの命運を論じ合っているのにも関わらず、リオンは緊張感も無く、あっけらかんとした口振りで言葉を返す。
「たまには頭が回るのね、あなたも」
不遜な態度に騎士達が激情を始め、顔を赤らめる。
「貴様ぁ! ラル様にまだその様な口を効くか!」
「たった今ご慈悲に預かっておいて……ッ! やはり許せん!」
再びに騒がしくなっていく大広間で、ラルに先んじて一際大きな声を張り上げたのはリンドであった。
「静かにしろお前達!! ラル様の決定に異議を唱えるつもりか!!」
普段温厚なリンドの放つ余りの迫力に、騎士達は狼狽して黙り込んだ。リンドの被ったローブがはたりと落ちると、ラルもまた翼を萎めて目を丸くしていた。
森閑としたその場を、天使の子が破り始める。
「忌々しいが、我が憲兵隊を一つ、一夜のうちに壊滅した魔女の力は絶大だ。直ぐにでも断罪するのは簡単だが、対ナイトメアの駒として利用する方が賢かろう。処罰はその後で決定する。こちらから手を出さん限り魔女は我等に手は出さん」
ラルの決定に動揺を隠せない騎士達も多く居たが、リンドだけは一人、ラルと視線を向かい合わせながら深く頷いた。
「私の処罰はしばらくは保留という事ね。じゃあ私は部屋に帰るわ」
踵を返して歩んで行くリオンを、先の決定に納得していない様子のファルロが糾弾する。
「待て! ラル様はまだ退室を命じていないのだぞ!」
――するとリオンの退室して行こうとした大扉が勢い良く開かれて、飛び込む様にして門番の兵が一人飛び込んで来た。
何事かと皆がその存在を注視していると、彼は肩を大きく上下させて、ここまで走って来た疲労感を露にしながらこう叫んだ。
「ナイトメアです!! 終夜鴉紋が都へと侵入しました!!」
息を呑む騎士達を掻き分けて、ラルの薄ら笑いがリオンの耳を突いていく。
「クックック……存外に、貴様の処罰の時は近いらしいぞ、魔女」