第123話 嫉妬の女騎士
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『不審な女が氷の階段で闘技場まで降りて来た! 一体何が目的なんだ!?』
リオンが手元に青い魔法陣を起こし、そこから氷の礫を解き放って、ダルフを引き摺って行こうとする騎士を貫く。その光景を見下ろしながら、トッタが驚嘆して騒ぎ始める。
『んなぁー!!? 騎士を……騎士に、危害を……ッ! この女、反逆者の仲間だ!』
血を流す騎士を見た民はざわめき、悲鳴を上げ始めた。
「ダルフに触れるな」
周囲一帯を氷で満たしていきながら、リオンは静かにそう告げる。
「くそっ……お前も反逆罪だ!!」
礫で腹を貫かれた騎士が、息も絶え絶えに手元に溜めた雷撃をリオンに放つ。
しかしそれは、彼女が軽く手元を上げたのと同時に現れた氷の盾によって難無く阻まれる。
「なんだそれは、こんな強烈な氷魔法、聞いたことも……」
ポーカーフェイスのままダルフに向かって歩んで行くリオンが、益々と荒れ狂っていく冷気の渦で、髪をかき混ぜる。それは広大なコロッセオをも満たし始め、氷結の嵐が会場を吹き荒れていく。
『女を中心に、凍てつく風が逆巻き始めた! な……この巨大なコロッセオが凍り始めている……のか!? 見てください! 1階席から順に、凍結が広がっている!』
肌に感じる冷たい空気の強烈さに、身の危険を感じた民は我先にとコロッセオを逃げ出し始める。
「ここも危険だ、逃げろ!」
「きゃああ!!」
声を上げて混乱する観客席。数千の民が揉みくちゃになって狭い出入り口に殺到している。
リオンが前方にやった右腕の手首を起こすと、足元から真っ直ぐに氷柱が連なっていき、氷の礫で射貫かれた瀕死の騎士を串刺しにして宙吊りにした。騎士が一方的にやられていく光景に、民の恐怖と混乱が増していく。
しかし次にコロッセオに響き渡った声があった。
「狼狽えるな民よ!!」
その高く良く通る声は、地下から吊り上げられて来た女騎士の放ったものだった。その声を聞いた民は闘技場へと視線を向ける。
「ニータ様だ……」
「ニータ様があの女を討伐するぞ! 助かるんだ!」
自らも逃げ出す準備をしていたトッタであったが、そこに突如現れた女騎士の姿を認めると、嬉しそうに実況席へと舞い戻る。
『第23隊隊長! 麗しの紅一点! ニータ・アルムだぁあ!!』
民達もトッタに同調し、ニータに声を投じ始める。
「ニータ様がファルロ隊長の様に反逆者を粛清するんだ!」
「慌てるなお前たち! ファルロ隊長の勇姿を見ただろう!? 我等が栄光の騎士達が、反逆者なんぞに負ける訳がねぇんだ!」
「そうだ、ニータ様なら大丈夫だ、控室にはファルロ様だって居るんだ、絶対に大丈夫に決まってるさ」
彼女の一声で、多くの民は落ち着きを取り戻し始める。絶大な信頼を見せ付けた騎士隊長であったが、当の彼女自身は、感情を剥き出しにした恐ろしい顔をしている様だ。
「ラル様に色目を使いやがって……ラル様は、私を……私だけを……」
そこにあるのは獣の目。切れ長で吊り上がった恐ろしい視線は、城内で人知れずリオンに向けていたもの以上に苛烈である。そのままにぶつくさとニータは繰り返す。
「……糞魔女、糞魔女糞魔女……ぶっ殺してやる、潰して拷問して髪を剃り上げて……糞魔女糞魔女……」
口元で繰り返される怨嗟から、先程までの溌剌とした彼女の印象とは正反対に、淀んだ深い闇が窺えた。民達に聞かれない程度にぶつくさと繰り返す様からは、この女が外面と本心とで、全く違う人格を持っている事が予想出来る。
闘技場は既に凍り付いていが、ニータの振るった銀のムチから放出された赤い液体が、周囲の氷を溶かしていった。更に彼女は、自らの周囲に高温の炎を起こし、炎の鎧を纏う。
ニータの周辺の氷が溶け出して、液体に戻って行く。自らの氷と相性の悪い、炎の魔力の使い手が現れても、リオンはふてぶてしい態度のままフードを深く被り直し、何の動揺もしていない。
「あの男に私が色目を使ったって言うの? おかしな人ね」
リオンの言葉を受けて、女騎士は足を踏み鳴らし、猛烈に言い放つ。
「使っただろうッ! いいか? ラル様を愛して良いのは私だけだ、ラル様に愛されて良いのも私だけ! ラル様は私だけを見ていれば良いのだ! 昔の様に……」
随分と勝手で乱暴な口調をするニータが、銀のムチをグルリと振り回す。するとムチから赤い液体が散布され、周囲の氷をみるみると溶かしていく。
ニータの振るう銀のムチは、先が何本にも分かれたバラ鞭という種類の物だ。そのそれぞれの鞭先から、液状の炎、高温のマグマが放出されている。
『よっしゃぁあ!! 氷と炎を超えたニータ様の紅蓮魔法!! 相性は明白、ニータ様の勝利は約束されている様なものだぁあ!!』
陽気な実況が耳にも入っていない様子のニータは、瞬きをする事も忘れたかの様に、鼻筋にほうれい線を刻み、ただジッとリオンを睨み続ける。そこに凄まじい憎悪が含まれている事は、心の見えるリオンで無くても明白だろう。
「ふふ……」
怨念程の熱情を燃え滾らせるニータの相貌を目の無い視界で捉えたリオンは、そこに何を見たのか、静かに口元を緩ませた。その様子を目撃したニータは、眉間にシワを深く寄せながら、彼女に向かって歩み始めた。
ムチに怒りをぶつけ、しならせ、地に叩き付けながら歩んで来る鬼の様な女に、リオンは続ける。
「あなたはあの男を愛しているの?」
「当たり前だ、ラル様を真に愛し尽くせるのは、この私だけだ」
「……ぷっ……く、…………ふふ……」
するとリオンは口元を手で覆い、笑いを堪え始めた。彼女らしくない振る舞いであるが、その目で余程愉快な物を垣間見たらしく、震えながら時折息を漏らしている。
対して余計に不愉快そうになっていくニータ。
「何を笑う? 私の愛が偽りであるとでも思っているのか!? この私の心を締め付ける深い愛を?」
「アッハハハハ!!」
遂には腹を抱え込みながら、体をくの字に曲げてしまったリオンの目元には、涙が伝っていた。おかしくておかしくて、彼女の笑い声は止まらずに、コロッセオ中に響いている。