欲深い悪魔の話①
私は昔、とても無欲な悪魔でした。
「フィア、そなたの力は大悪魔として相応しい。悪魔王である我が認める、今後は七大悪魔が一、色欲を冠するといい」
実力を認められ、悪魔の王さま直々の部下に抜擢されるも、何の感動もありませんでした。周りからは褒められたり、羨ましがられたり、妬まれたり。多少優越感に浸ったものの、それもすぐに枯れてしまって。
あとに残ったのは、退屈な毎日でした。何をしても満たされない、無味無臭な日々。目標も無ければ、刺激もない。
裕福な暮らしだけは確保していたかったので、悪魔王さまから課せられる任務を適度にこなしていく。私が過ごしていたのはそんな毎日でした。
でも……あの夜をきっかけに、私の毎日はがらりと変わったのでした。
「どうですか、ヴァリシュさん。今まで受けた屈辱を思い出しましたか?」
忘れもしません、あの夜のことを。私は人間たちが築いた国の一つ、オルディーネ王国へと赴き、要人の一人と契約魔法を交わすつもりでした。
当時、私たち大悪魔には勇者を始末しろという命令が下されていました。皆それぞれのやり方で勇者に挑んでいましたが、ことごとく失敗。勇者を始末する筈が、逆に大悪魔たちが排除されるという危機的状況でした。
だから私は、唯一勇者に勝てる可能性のある人と接触しました。
「貴様と契約すれば、本当に勇者であるラスターに復讐する力が手に入るんだな?」
その人は、ヴァリシュ・グレンフェルさん。勇者ラスターと同じ孤児院出身で、現在は騎士団長という役職についています。
彼は最初こそ、友人である勇者のことを応援していました。しかし次第に自分よりも力をつけ、周りからの信頼を集め、世界を背負って活躍する姿に凄まじい憎悪を抱いていました。
勇者は強いけれど、あくまで人間。友人に剣を向けることに躊躇しないわけがない。ヴァリシュさんと契約し、彼に力を与え、勇者を始末する。私は成果を上げて、確固たる地位を得る。我ながらなんの面白みもない、完璧で退屈な計画。
そう、計画は完璧……だった筈なんです。
「うぐ、あ……頭、が……」
「え、え? 大丈夫、ですか?」
急に髪を振り乱すようにして、ヴァリシュさんが頭を抱えながら苦しみ始めました。その様子は尋常じゃなくて、死んでしまうのではと心配してしまいました。
「おーい、大丈夫ですかー? 私の名前、言えますか?」
クールを装いながらも、私は焦っていました。今、ここで彼に死なれたら全てが水の泡です。だから一刻も早く契約魔法を完遂させて、彼を望み通り人ならざるものにしてしまおうと思ったんです。
でも、
「……フィア?」
「――――ッ!?」
自分の中で、何かが音を立てて崩れ落ちました。それが何かはわかりません。ただ、彼の目が初めて私を見てくれた時、ベリーのような赤紫の瞳に私の姿が映ったあの瞬間、色褪せていた世界がキラキラと輝き始めたのです。
心臓が痛いくらいに鼓動し、頬が熱くなって。これが一体何なのか、自分はどうしてしまったのか。その時の私は、本当に混乱していました。だって、そんな体験初めてだったから。
そしてぐるぐる悩んでいたら、いつの間にか考えを一転させたヴァリシュさんが契約魔法を放棄して、私は窓から投げられたっていう。ちなみに窓から投げられたのも初めての体験でした。
ヴァリシュさんに一体何が。そして、自分はどうしてしまったのか。結局その夜は寒空の下、私はヴァリシュさんの部屋の外で一人、気持ちを整理しながら過ごすこととなったのです……。
※
それからというもの、ヴァリシュさんはまるで別人のように変わってしまいました。自分の失態を認め、詫びて、それまで嫌っていた雑用を自ら引き受けるようになりました。
最初は彼の変わりように胡散臭い、気味が悪いと周りから怪訝に思われていましたが。それもすぐに好印象へ変わります。
なぜか。理由は単純明快。
「ヴァリシュさんって、目立ちますよね」
「な、なんだ突然」
騎士団での評価もかなり回復した、ある日。お風呂から上がって、錬金術師の小娘に作って貰った小型の送風機で髪を乾かすヴァリシュさんをじっと観察してみます。
そうです、この人はとにかく目立つのです。見た目が優れているのはいうまでもないのですが、なんていうか、
「派手……と言いますか、なんでしょうね。浮いてる、が近いような?」
勇者ラスターが人間離れしているのと同じように、悪魔である私から見ればこの人も周りの人間とは違うのです。むしろ、勇者よりも異質だとさえ感じます。
誰かに教わったわけでもないのに、気品に溢れた所作。騎士団という荒っぽい組織に居るせいで、彼の華やかさは更に際立つのです。
しかし、それらはまだマシで。もっと気になるのは、彼の発想力です。
「……そんなに浮いてるのか、俺は」
「浮いてますね。しかも浮いてるくせに、変なことを言ったりやったりするので余計目立ちます。騎士団の働き方を改革したり、ドライヤーでしたっけ? 錬金術師に髪を乾かすためだけの送風機を作らせたり。普通は思いつきませんよ」
「そ、そうか? ……悪魔のくせにラスターの行く手を妨害しに行くことなく、ここで道草を食っているお前の方がよほど変だと思うが」
「草なんて食べてませんよ、失礼な! 私はヴァリシュさんが契約してくれるのを、健気に待っているだけです」
とは言いつつも。正直、この頃にはすでに勇者のことなんてどうでもよくなっていました。悪魔王が死のうが、勇者が死のうが興味はない。
私の興味は、ヴァリシュさんだけ。この人が今度は何をするのか、どんな料理を作ってくれるのか。はたまた彼に好意を寄せる人間をどうやって追い払おうか、そんなことばかり考えてしまっていました。
ヴァリシュさんに私を見て欲しいし、私以外を見ないで欲しい。世界にたった一つだけの、彼との繋がりが欲しい。
いつしかそういう理由で、彼に契約魔法を迫っていました。とにかく、私はヴァリシュさんと一緒に居たかったのです。
でも、契約魔法は想定外の形で成し遂げられてしまいました。
「あのぅ……フィア様、ここ……わたしの隠れ家なんですけど」
「私のことは気にしないでください」
アスファさんの消滅を見届けた後、私は後輩であるシズナさんの隠れ家に逃げ込みました。
そして私は、これ以上ヴァリシュさんと一緒に居るべきではありませんでした。知らない自分の一面が、心臓をザクザクと刺すように責め続けるのです。
ヴァリシュさんとの契約魔法は本来、勇者に復讐する力を手にする代わりに彼自身を私に差し出すという形でした。でも、ヴァリシュさんは完成しかけていた魔法を改変させてしまったのです。
彼が欲したのは、勇者ではなくアスファさんを倒す力。アスファさんは悪魔の中でも随一の実力者ですが、勇者と比べれば劣ります。さらに、私は左目を負傷したことで、無意識に要求が変更されてしまったのです。
結果的に、ヴァリシュさんはアスファさんを倒しました。彼の左目と引き換えに。
「う、うぅ……」
涙が止まらない。私のことを見てくれたあの目から、光を奪ってしまいました。あの人に見て欲しくて、今までずっと一緒に居たのに。
それなのに、今はヴァリシュさんと会うのが怖い。また彼を傷つけてしまうかもしれないと、考えてしまって怖い。
やっと、わかりました。
私は、ヴァリシュさんと出会ったことで、物凄く貪欲な悪魔になってしまったのです。