十三話 懐中電灯になるな、なんてことは思っていない……思っていないとも
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「もう嫌だぁ! オレ、勇者辞める! 今日で引退するうぅー!!」
結局落ち着いたのは、あれから一時間が経った頃だった。今はボロボロになった城内から出て、城門の前で全員揃って腰を下ろしていた。
リネットの薬のおかげで傷は塞がったが、重苦しい疲労感はどうにもならない。柔らかい風に促されるように、誰からともなく全員が座り込んでしまったのだ。
まあ、俺のように疲れて何もする気が起きなくなる者も居れば、自暴自棄になるやつも居るようだが。
「お、落ち着いてくださいラスター様! ええっと、なんて言ったらいいか……とにかく落ち着いてください!」
「落ち着けるか!! せめてフォローしてくれよマリアン!」
「ひいい! す、すみませんっ」
「うわー、女騎士かわいそう……勇者のくせに、どういう無茶ぶりしてるんですか」
半べそなラスターと、彼をなんとか元気づけようとするマリアン。そしてそんな二人に呆れるフィア。
この中ではフィアが一番の重傷者だったが、元来の頑丈さとリネットの薬が功を奏したらしい。全快とまではいかないが、自分の足で歩ける程度には回復していた。
「うぅ……私も聖女を引退したいよ。勇者と聖女って、どうやったら引退出来るのかなぁ?」
「り、リアーヌも落ち着いて。深呼吸しよ、ほら、すーはー」
蹲るように座り込んだリアーヌの隣で、リネットが大げさな動作で深呼吸する。これはこれである意味カオスだが、どうしても彼らを纏める気力が湧かない。
不甲斐ない面々の意識を集めたのは、意外にもシズナだった。
「ね、ねえ。ロン毛の騎士たちを襲ってきた相手って、本当に天使だったわけ?」
「……ああ。ただ、教会の教えにある神の使いではなく、神と敵対している立場らしい」
これまでの勇者と悪魔の戦いは、神による暇潰しだったこと。堕天使は魔力を集めて、再び争いを起こそうとしたこと。自分の中の情報を整理しながら皆に堕天使のことを説明した。
リネットとマリアンは、堕天使を直接見ていないからか首を傾げている。それでも、とりあえず良くない状況だということは察しているようだ。
ラスターとリアーヌは、己が神に選ばれたとされている立場であるからか、複雑な表情で顔を見合わせていた。
フィアはぼんやりと風に揺れる草を眺めるだけで、何も言わない。唯一すぐに反応したのは、やはりシズナだった。
「な、何よそれ……何でそんなヤバいやつが出てくるのよ! あんた、呪われてるんじゃないの!?」
「ふむ、反論出来ないな」
「で、でもでも! その堕天使という方は、ヴァリシュ様が倒してくださったんですよね? それなら、もう安心していいということですよね?」
マリアンが立ち上がり、同意を求めるように皆を見回す。誰もが何も言えないまま、視線だけが俺に集まった。
……これは、正直に言うべきか。
「あの男は、『今回は大人しく消える』と言っていた。あくまでも主観だが、負け惜しみには聞こえなかった。相手は何かしらの復活出来る手段を持っていると考えた方がいい」
「つまり、いつになるかはわからないが……あいつは必ず、また現れるってことか」
ラスターが指を噛んで、悔しそうに唸る。先ほどまで引退すると喚いていたものの、本心は自分の責務から逃げるつもりはないらしい。
「ぐぬぬ……最近少しだらけてたからな。気合い入れて鍛え直さねぇと、次は絶対に負けられねぇ」
「うん、そうだね。それと、堕天使さんのことも調べないと。あの人の力に対抗するための手段、絶対にある筈だから」
ラスターとリアーヌが拳を握って、頷きあう。確かに、堕天使の力は圧倒的だった。だとしても、勇者と聖女が手も足も出せないなんてことは考え難い。
必ず、解決策はある筈だ。でも、一体どこに……。
「……ヴァリシュさん、大丈夫ですか。それ……」
「ん? ……ああ、まあ何とかな」
フィアが俺の方を見る。傷はすっかり塞がったし、彼女の方が消耗しているだろうに何を言っているのかと思ったが。彼女の視線の先を追って、腑に落ちる。
リーリスの指輪。玉座から回収してきたものだが、外した時は驚いた。
指輪がまるで、ここに来た時とはまるで別物のように変わってしまっていたのだ。
「うう、眩しい……それにこの濃厚な魔力、長い間近くに居たら酔いそう」
「そんなに凄いのか、この指輪に宿った魔力は」
握っていた指輪を摘んで、眺める。この城に来る前までとは異なり、今は石の部分が眩く光り続けている。
こうなってしまった原因は、堕天使が奪いかけたスティリナの魔力だ。一度引き出され、圧縮された魔力は堕天使が消えかけたことで行き場を失い、一番近い媒体である指輪に収まってしまったのだとリアーヌが言った。形を持たない魔力だからこそ、の現象である。
俺はこうして普通に触ることが出来るし、ラスター達も眩しそうに目を細めるだけだが、悪魔の二人は感じ方が少々違うらしい。
「そうですねぇ……スティリナの魔力って、サラダの山盛りなんですよ」
「腹が減ったのか?」
「違います。スティリナの魔力は綺麗だし、栄養も豊富ってことです。でもその魔力は悪魔の口には合わないので、たくさんあってもうんざりする……みたいな?」
「そ、そうですそうです。さすがフィア様! 悪魔は揚げものとか砂糖たっぷりのココアとか、味が濃くてカロリー高いものが好きだから」
噛み砕くと、スティリナの魔力は清潔なので、悪魔はあまり好きじゃないと理解しておけばいいか。
全然関係ないけど、今日の夕飯は野菜炒めにしよう。
「シドがあんな状態になってしまった以上、この指輪をスティリナに放置しておくわけにはいかない。彼との約束通り、せめてこの魔力だけは護ってみせるさ」
「うう、シド……せっかくお掃除して部品も交換したのに、他の魔導機構もほとんどが停止しちゃうなんて。おかげで複製器で高価な薬を量産する夢も、夢のままで終わってしまった」
「どうにかして、シド殿を修復出来ないでしょうか。言い方が悪いとは思いますが、その……シド殿は我々とは違うので」
「ヴァリシュやリネットでも出来ないのなら、厳しいんじゃないか? 少なくともオレにはムリだ。細かい作業は性に合わないからな!」
「安心しろ。騎士団長時代に事務作業を全て俺に押し付けてきたお前に、期待などしていない」
でも、マリアンの言い分は俺にもわかる。俺も城を出る前、シドを修復出来ないかとリネットに相談していた。
結論、現状では不可。外側を修復することは出来るが、魔導機構回路の理論や仕組みが高度なのだ。
だから今は、シドや他の魔導機構を修復することは出来ない。幸いにも魔導砲弾だけは稼働しており、空になったタンクに再び魔力を集めている。
ひとまず今後数十年の間は、魔力が溢れる心配をする必要はない。
「ち、近い内に魔導機構さえも扱える、究極の錬金術師になってやるわよ!」
見てなさい! 弾けるように立ち上がり、リネットが拳を高く掲げて宣誓した。頼もしいが、魔法が使えない彼女では魔導機構の理論を理解するだけでも大変だろう。だから俺も、自分で魔導機構を理解出来るように勉強したい。
ただ、その前にやらなければならないことが山程ある。
「なんにせよ、堕天使がまたいつ姿を現すかわからない。今回はかろうじて勝てたが、次も勝てるとは限らない。今のうちに対策を考えるべきだ」
「そ、そうだな。んー……何から手をつけるべきか」
しばらくの間、皆が黙り込む。考えることはたくさんある筈なのに、正直何も考えられない。俺だけではなく、皆も同じだった。
埒が明かない! と、ラスターが立ち上がる。
「とりあえず、ゲオルとカガリに堕天使のことを話してみる。一緒に旅をしたあいつらとなら、何か手掛かりが見つかるかもしれないし」
「うん、そうだね。あの二人は頼りになるものね。私も行くよ、ラスターくん」
「よし。じゃあ俺たちは先に行くぜ」
そう言って、ラスターとリアーヌは共に悪魔王を倒した仲間たちの元へ向かった。アタシたちも、とリネットとマリアンが顔を合わせて頷く。
「アタシ達は、少しでも戦いの役に立てるような道具を作るために採取に行ってくるわね。大丈夫、護衛はマリアンが居るし。帰りはシズナの魔法があるし!」
「ええ……きょ、今日はもう帰ろうよ」
「はい! 自分にお任せあれ、必ずリネットさんとシズナさんを護り抜きます!」
「いやあああぁ! 帰ろうよおぉ……堕天使が出たらどうするのよおぉ」
弱々しく悲鳴を上げるシズナを引き摺りながら、リネットとマリアンも採取に行ってしまった。彼女たちも中々にタフだ。
……シズナには今度菓子でも作ってあげよう。
「フィア、俺たちはオルディーネに帰ろう。傷は塞がったとはいえ、今日はもう休んだ方がいい」
俺も怠い足で何とか立ち上がり、残されたフィアを見下ろす。俺はまだしも、とにかく彼女は落ち着ける場所で休ませた方がいい。
でも、フィアはその場から動こうとしなかった。