十一話 すべては神の描いたシナリオ通り
「ヴァリシュ、お前を優秀なリーリスと見込んで取り引きをしよう。今回はお前たち全員を見逃してあげるから、スティリナが蓄えている魔力を大人しく譲ってほしい」
「それは出来ない、と言ったら?」
「お前と、お前の仲間たちを全員殺す」
堕天使が両腕を顔の前で交差させながら魔力を操り、両手に長大な鉤爪を顕現させた。
長く鋭い深紅の鉤爪。禍々しいその姿に、俺よりも先にフィアが声を上げた。
「そ、その重そうな爪は、ラーヴァさんの鉤爪じゃないですか!」
「フィア、下がっていろ。この男は俺が倒す」
俺は剣を抜いて、フィアを下がらせる。静かに深呼吸をして、揺らぐ気持ちを無理矢理押さえつけた。
彼女が驚くのも当然だ。あの鉤爪は憤怒の大悪魔、ラーヴァの装備と同じものなのだ。いや、装備だけではない。記憶では、戦い方も同じだった筈。
元々、この男がゲームで登場するのはラスターが悪魔王を倒した後。いわゆるクリア後に出現する敵であり、会話が出来るキャラではなかった。だから、こうして流暢に喋る姿には面食らった。
やり込み要素としての裏ボスにしては、かなり意味深な出で立ち。彼は一体何者なのか、続編への布石なのかなどとプレイヤー間での考察が盛り上がっていたのを覚えている。
何であれ、本来はヘビープレイヤー向けの裏ボス。彼は倒した大悪魔たちと同じ武器を扱い、状況によって複数の大悪魔の戦い方を組み合わせてくる。ゆえに彼の攻略難易度は、アスファさえも上回る。それでも、少なくとも条件だけはアスファと同じだ。
退くわけにはいかない。足元で沈黙するシドに、怒りが沸々とこみ上げてくる。
「……剣を抜いたということは、取り引きは出来ないってことかな」
「ああ。シドが護ってきたこの国を、貴様なんかに差し出すわけがないだろう」
「お前はリーリスであると同時に、オルディーネの騎士団長だろう? 今、この国にはお前の友人たちも居る。人間を護る騎士のくせに、その子たちと無理心中する気かな」
堕天使が首を傾げる。声は頬を撫でるかのように優しいが、そこにある狂気は凄まじい。
純粋な悪意。打算も欲もない。彼にあるのは、それだけ。
だからこそ、勝機はある。
「そうだ、俺は騎士だ。だからこの国も、仲間たちのことも護る。貴様なんかに、好き勝手にさせるものか!!」
俺は剣を構え、堕天使に向かって翔る。ラーヴァの鉤爪は、斬り裂くことに特化した武器である。一瞬でも気を抜けば骨まで抉られるだろうが、動きは比較的単調だ。
彼の動きを見極め、次の手を予測すれば攻めるのは難しくない。踊るように宙を裂く鉤爪を剣で捌き、攻撃を繰り出していく。
橙色の火花が散る。フードのせいで表情はよく見えないが、相手の顔から余裕が消えたのだけはわかった。
「おっと、危ない危ない。なるほど、いい動きだ。アスファを倒しただけのことはある」
「凄いですヴァリシュさん! よーしっ、今回もバンバン強化魔法で援護しちゃいますよ!」
フィアが俺にバフをかける。さらに今回は自前でさらに強化出来るのだから、効果はアスファの時と比べて倍以上になる。
いける、流れは完全に俺のものだ。傍から見れば、両者とも相手に大したダメージを与えられていない。膠着状態とも呼べる状況だが、焦ってはいけない。
そうだ、焦るな俺。この男の攻略法は覚えている。彼が鉤爪を装備している間は、とにかく耐えるだけ。
「面白いじゃないか、ヴァリシュ。それなら、これならどうかな?」
堕天使が大きく後ろへ跳んで、手を振るようにして鉤爪を消す。そして次に持ち出したのは、大きな紅い宝石で飾られた杖だ。
ああ、あの杖のことも覚えている。
「それは!? ルインさんの杖じゃないですか!」
「そうだよ。もちろん、私はルインの魔法も再現出来る。ヴァリシュ、きみは知らないだろうから見せてあげよう。彼女の魔法はすごく面白いよ」
そう言って、彼が杖の先を真っ直ぐ向けた。
杖が睨むのは俺……ではない。見なくてもわかるし、相手の思惑に付き合ってやるつもりはない。
今、この魔法を使おうとする瞬間こそが、彼が生み出す最大の油断なのだから。
「悪いが、貴様のおふざけに付き合うつもりはない」
「何――」
一瞬で銃魔法を構え、引き金を絞った。俺の魔力で構築された弾丸は風よりも疾く、堕天使が放とうとしていた魔法を打ち破り、その手から杖を弾いた。
杖が円を描くようにして、床へと落ちる。
「ルインは人形魔法の使い手だったな。人の形をしたものならば何でも操れる。そして、彼女は命を落とした屍を操ることを特に好んでいた。死んだ女を操り、その手で女の恋人を殺すような性格だった。お前も俺の戦意を削ぐために、シドを利用しようと思ったのだろう。読みが浅いな」
「くッ!?」
相手が怯んだ隙を突き、俺は一気に距離を詰め剣を振った。蒼い切っ先が黒いローブを裂き、鮮血が滲んだ。手応えは悪くない。
ルインの魔法はある意味、大悪魔の中では一番恐ろしい。こちらの精神を大きく揺さぶり、自分の手駒をその場でいくらでも生み出すことも出来る。
しかしその反面、術者自体には隙が多い。そこを突くことが出来れば大ダメージを与えるチャンスなのだ。
「あ、あれれ? ヴァリシュさんって、ルインさんに会ったことありませんよね?」
「前にラスターから話を聞いたんだ」
「ほほう、なるほど。さすがの応用力ですねぇ」
「応用力、ねえ。話を聞いただけで、ここまで的確に弱点を狙えるものなのかな」
堕天使が自分の傷を撫で、指先を濡らす血を退屈そうに眺める。浅くはない傷を与えたつもりだが、まるで効いたように見えない。
俺が優勢である筈なのに、まるで誰かが用意したシナリオ通りに踊らされているような――
「やっぱり、悪徳が二つも欠けた状態では上手く《《あそべないや》》。それに、時間をかけすぎたせいで邪魔者が増えちゃうし」
「邪魔者だと」
「ヴァリシュ!! てめぇ、何者だ!」
「二人とも、大丈夫⁉」
「勇者と聖女! やりましたね、ヴァリシュさん。これでもうあの堕天使は終わりですよっ」
城内の異変に気が付いたのだろう、ラスターとリアーヌが血相を変えて駆け付けてきた。さすがは歴戦の勇者と聖女、すぐに武器を構えて臨戦態勢をとる。
この謁見の間の出入口は一つだけ。そこを二人に固められれば、簡単には逃げられないだろう。
それなのに、堕天使は愉しそうに嗤った。
「あはは! 勇者と聖女か、こうして会うのは初めてだね。ふむふむ、いい表情だ。無事に役目を果たせてよかったね。でも、先代の方が遊びがいはあったかな」
「先代……? お前、一体何者なんだ」
「お前たちの敵。そして、先代勇者トビアスを唆してこのスティリナを滅ぼした悪党さ」
「なんだと⁉」
「退屈凌ぎのちょっとした意趣返しだったんだけど、あれは面白かったなぁ。世界を救うという重圧に押し潰されかけていた彼の耳元で囁いただけで、スティリナはこの有様さ。その後の彼は結局、当時の悪魔王と相打ちで終わったけど。お前たちは生き残れてよかったね、おめでとう」
その言葉で、剣を構えるラスターの手が震えた。俺も予想はしていたが、確信に至ると頭の中が怒りでどうにかなりそうだった。
「こ、の……! 許さない、お前だけは!!」
「ラスターくん!!」
怒りを抑えられないのだろう。ラスターが血を吐くように吼え、堕天使に斬りかかった。凄まじく疾く、重い一撃。俺では届かない頂の剣が、諸悪の根源を打ち倒す。
それが世界の真理。誰もがそう信じていた、筈なのに。
「残念、お前では駄目だ」
並みの存在ならば、瞬きする間もなく胴を真っ二つにされていただろう。もはや羨望すら湧かない、息を呑むほどの一振りだった。
それなのに、ラスターの剣は何も捕らえられなかった。堕天使の身体が霧のように消えたのだ。
むしろ、捕らわれたのはラスターの方だった。
「神の描いた軌道に居る以上、勇者であろうとも私には届かない」
重力さえ忘れさせるように、音もなく勇者の剣の上に降り立つ。人間でも悪魔でもない、超越した存在。それを思い知らせるかのように、堕天使が己の顔を隠すフードを取り去った。
たったそれだけのことで、優勢だった盤面はひっくり返ってしまった。