一話 目を覚まして見えたもの
それから俺は三日間、自室のベッドで昏睡状態に陥り、四日目にやっと意識を取り戻すことが出来た。運ばれた当初は本当に酷い状態で、一時は生死の境を彷徨う程だったらしい。
……まあ、それは理解出来るんだが。
「リネットの薬とリアーヌの癒やしの力で傷は塞げたけど。流れた血はどうしようもないし、熱は下がらないしでマジで死ぬんじゃねぇかって心配したんだからな!」
「悪かった……反省してるから、大声出さないでくれ……」
ベッドの前で仁王立ちしながらぎゃんぎゃんと喚き立てるラスターに、俺はげんなりと言った。熱のせいで怠いし、頭も痛い。これみよがしに怪我人なのだからもっと労ってほしい。
脳みそ筋肉男にそんな繊細な気配りを期待する方が間違っているのだろうか。
「嘘つけ! お前の反省してる、は絶対してないやつだ! 知ってるんだからな、幼馴染ナメんな!!」
「……そういえば、無事に悪魔王を倒してきたそうだな。親友として鼻が高いぞ」
「話題の変え方が下手! 流石のオレでも誤魔化されねぇぞっ」
むすっとラスターが睨んでくる。彼とその仲間達が帰還したのは、俺がアスファを倒した直後だったらしい。俺の見立て通り、ラスターは悪魔王を倒したのだ。他の七大悪魔もやっつけはしたが、アスファの姿が無かったことを危惧して急いで戻ってきたら、案の定だったと彼は話した。
瀕死だった俺をリアーヌが治療し、ラスターが騎士団と協力して国内の魔物を駆逐した。お陰で国民達の安全は確保され、現在は復旧作業に追われながらも穏やかな時間が戻っているようだ。
「国民全員の命が助かったんだ。片目くらい、なんてことは無いさ」
俺はラスターから渡されていた手鏡を覗く。リネットとリアーヌのお陰で身体の怪我は粗方治ったが、左目だけはどうしようもなかった。
眼球に刻み込まれた金の魔法陣。どうやらこれは契約完了を意味するもので、借金でいう形に差し押さえられたという証なのだそう。
痛みも何も無いが、左目はもう何かを見ることが出来ない。錬金術の薬や治癒魔法でも、完治させることは不可能だろうとラスターが言った。
「片目くらいって……ああ、もう良い。ちなみに、お前の目のことを知っているのはオレとリアーヌ、それからあの時お前の傍に居たマリアンとリネットとアレンス、陛下と大臣だけだ。それ以外の人には、悪魔との戦いで負傷したということで通してる。無用な混乱を避ける為に、ちゃんと話を合わせろよ」
「わかった。そういえば、お前は騎士団の皆を率いて街の魔物を倒してくれたんだったな。助かった。それに、騎士団の皆も喜んだんじゃないか? そろそろ俺はお役御免かな」
悪魔王との戦いが終わった以上、ラスターは旅をする理由は無い。彼が希望すれば、すぐに騎士団長の座を返すつもりだ。
しかし、ラスターは呆れたようにため息を吐いた。
「あー、騎士団な……あれを纏めるのは、オレには無理だ」
「どういうことだ?」
「それは自分で確かめろ」
そう言うと、ラスターが立ち上がって軽く伸びをした。
「とりあえず、何か食った方が良いだろ。食堂のおばちゃんが張り切ってたから、何か食えそうなもの持ってきてやる。早く皆に元気な姿を見せてやれよ、それも騎士団長の役目なんだからな」
ひらひらと手を振りながら、部屋を出て行くラスター。やれやれ、本当にうるさい男だ。急に静かになった自分の部屋で、はあと軽く息を吐いた。
その時ふと、違和感を覚えた俺は思わず部屋の中を見回した。この部屋は、ラスターが居ないだけでこんなに広かっただろうか。
「……フィア?」
ラスターやリネットが俺の傍にいるのを見れば、必ず不満そうに唇を尖らせるだろう彼女の姿が無い。ソファでゴロゴロしているわけでも、鳩の姿で日向ぼっこしているわけでもなかった。あの時見えた彼女の涙も、声も、夢なんかではなかったと今更知った。
居なくなってしまった。それはずっと望んでいたことだった筈なのに、どうにも落ち着かない気分だった。
※
目を覚ましてから二日後。ベッドを出て動けるようになった俺は、身支度を整えると部屋を出た。今までと同じ騎士団長の装いだが、鎧やマントは破損と汚染が酷かった為に破棄して予備のものへと変えた。
今までずっと使っていた剣も修復不可能とのことで、諦めてリネットから貰った剣をありがたく使わせて貰うことに決めた。何だったか、恥ずかしい名前が付けられていたようだが……思い出さないでおこう。
そして一番目立つ左目は、怪我をしたという設定なのでとりあえず包帯を巻いた上で髪の分け目を変えてみた。我ながらビジュアル系というか、目隠れ系のイケメンになった。悪くないじゃないか。
「よ、良くないぞヴァリシュ! 可愛い我が子の顔に一生消えぬ傷が残っただなんて、ワシはもう自分で自分を許せぬ……」
今度の謁見は、もはや謁見の間ですらなかった。俺の方から向かう筈だったのに、待ちきれなかったらしく陛下達の方から俺の部屋にやってきたのだ。
礼儀も何もあったものじゃない。
「い、いや。まずは無事に戻ってきてくれたこと、そしてアスファを倒してくれたことに対して礼を言おう。ありがとう、ヴァリシュ。よくぞやってくれた」
「いえ、騎士として当然のことをした。ただ、それだけです」
「うむ……しかし、しかしのう」
陛下が俺の顔を痛ましそうに見つめてくる。しょぼくれた表情は、見ている俺の方が悲しくなってくる。
気まずい沈黙。何か言ったほうが良いのか、何を言えば良いのか悩んでいると、意外にも先に口を開いたのは、付き添いで来ていた大臣だった。
「悪魔と契約したと聞いたが、その目以外に身体は何とも無いのか?」
「ええ、寝込んでいた為に多少体力が落ちておりますが、特に問題はありません」
「そうか、ならば良い。この件については他言無用である。お前の働きは間違いなくオルディーネ王国を救ったものであり、讃えられるべき功績だ。胸を張ると良い」
大臣の言葉に、俺だけではなく陛下までもが目を見張っていた。いつもは陛下の腰巾着で、何かにつけて俺を目の敵にしていたというのに。
そんな俺の心の声が伝わってしまったのだろうか。らしくないことを言った恥ずかしさに、大臣は梅干しのようになった顔を背ける。
「す、過ぎたことを悔やんでも仕方がないということだ! ヴァリシュ・グレンフェル、騎士団長として今後はより一層立ち振る舞いには気をつけるように。悪魔と契約だなんて言語道断だ、二度とやらぬと誓え。それが出来ぬなら今度は罰則を与えるからな!」
「は、はい。胸に刻んでおきます」
「で、では陛下! わたしは先に戻っておりますので、陛下も早く来てくださいね! それからヴァリシュ、今回の襲撃に関して対策案を纏めて提出せよ。なるべく早くだぞ!!」
そう言い残して、大臣が逃げるように部屋を出て行った。後に残された俺と陛下は、思わず顔を見合わせて苦笑を漏らす。
「……ふふっ、大臣に初めて褒めて貰ったような気がします」
「アボットもお主のことを認めておるのじゃ。だが……そうじゃな、アボットの言う通りじゃ。今回のお主の働きがあったからこそ、我々は今もこうして生きていられるのじゃ。信じてやれなくてすまなかった。そして、ありがとう。お主はわしの自慢の息子じゃ!」
両肩を激励するように叩かれる。それがなぜだか無性に嬉しくて、熱くなる目頭を指で押さえていると陛下に強く抱き締められた。
……何だか、前世の実家が恋しい。込み上げてきた思いはどうすることも出来ず、俺は目の前の主に縋り付くしかなかった。