∥004-D ねことおでかけ(上)
#前回のあらすじ:猫、飼いました
[マル視点]
春先を思わせる綺麗な青空、遠くに白くたなびく雲。
遠方に見える木立の上には空を横切る小鳥の群れが、その更に彼方には天の果てにまで聳える群青色の外壁が見える。
【イデア学園】の郊外に延びる一本の小道、その上をぼくは鼻歌交じりに歩いていた。
【揺籃寮】の一員となってはや数日、寮の仲間達との交流に、任務にと忙しいながらも充実した日々をぼくは送っている。
お陰様で、新米なりにここでの過ごし方がようやくわかってきたと言えるだろう。
そこで、今日は一日お休みと決め準備を整えて、こうしてお散歩へ出かけたという訳だ。
勿論、一人ではない。
ぼくは小旅行の道連れを探し右下方へと目を向ける―――が、そこには誰もいない。
おや、と思い後ろを振り向くと・・・
道端の草むらに頭を突っ込んだ、明るい茶色と焦げ茶の毛並みが目に留まる。
「りんちゃーん、何をしてるのかな?っと」
「・・・!?」
ととと、と歩み寄り声をかけると、丸っこい背中がびくりと強張る。
ちりん、と涼やかな音を立てて振り返ったその口元には、短い手足をじたばたと振り回す一匹のトカゲがくわえられていた。
既にお分かりと思うが―――同行者は猫又の『りん』だ。
先日ぼくの【式神】となった彼女は、外見上は1歳~2歳くらいの猫(品種は茶トラ)である。
しかし猫又の名が示す通り、『人化』と呼ばれる力を持ち人の姿へと変化することが出来る、れっきとした妖怪の一種だ。
古くから日本に伝わる民話では、長く生きた猫は妖力を持ち、人に化けるようになるという。
そういう猫は決まって尾が二股に分かれており、その為飼い猫の尻尾を切り落としてしまう事もあったのだとか。
りんも故事が示すように二股の尾を持ち、7~8歳くらいの女児の姿へと変化することが出来る。
その度にすっぽんぽんの状態になるのが悩みどころなのだが・・・楓先輩が言うにはそれは猫又として未熟だからなのだそうだ。
経験を積めば様々な妖術を身に着けるそうで、今から成長が楽しみである。
何はともあれ、今はこの新たな仲間との絆を育む段階だ。
そういう訳で、今日は彼女とのお散歩ついでに、うろ覚えだった【イデア学園】の地理を覚えなおそうというのが、今回のお出かけの隠された目的だったりするのだった。
短い回想を打ち切り、目の前の光景へ注意を戻す。
トカゲを口にくわえじっとこちらを見つめるりんの顔は、どこか誇らしげだ。
その姿は友達から聞いた飼い猫の行動そのものだった。
バッタや『G』を相手に似たようなことをするという話だったが、猫又とはいえ猫としての本能はしっかりと備わっているようだ。
ぼくはりんの前にしゃがみ込むと、柔らかな毛に覆われたその頭部を撫でた。
「それ、きみが捕まえたの?大変だったでしょ」
「・・・(褒めて褒めて、という顔)」
「うん、えらいえらい。でも旅の仲間は一匹で定員だから、トカゲさんはおうちに返してあげようね?」
「・・・・・・」
ぼくの言葉を理解しているのかいないのか、しばしじっとこちらを見つめるりん。
やがて首を地面に下ろしアゴの拘束を緩めると、それに気づいたトカゲは手足のばたつきを強める。
数秒後には、がさりという音を残し草むらの中へとトカゲは姿を消していた。
名残惜しそうにそれを見つめるりんの背をぽんと叩くと、振り返った彼女にぼくは微笑むのだった。
「―――さ、行こうか!」
「なうー」
草むらの側から立ち上がると、ぼくの横手に二股のしっぽをぴんと立てたりんが並ぶ。
一人と一匹、奇妙な旅人達は一路、西へ向けて再び小道を歩き始めるのであった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
【イデア学園】は『幻夢境』と呼ばれる、いわゆる夢の世界の中に存在する。
人間の意識は夢を通じ、集合的無意識の領域で互いに繋がっている!・・・と提唱した学者が昔居たとか居なかったとか。
そして、『幻夢境』はファンタジー世界さながらに、眠りについている間だけ行けて、同じように夢を見ている他の人と言葉を交わしたりできる―――とまあ、そんな場所らしい。
勿論、夢の多分に漏れず、起きた時にはその間の記憶をさっぱり思い出せなくなってしまうものだ。
それを記憶に留め、かつ狙った内容の夢に入る方法も世の中にはあるのだという。
学園創設にあたり、ヘレンちゃんが用いたのもそういう類の力らしく、そのお陰でぼく達【神候補】は毎夜、この学園に集い【彼方よりのもの】との戦いに赴くことが出来るわけだ。
そんな学園の所在地だが、さしわたし数十kmという途方もなく巨大な石窯の中に存在する。
先程の場面で遠くにうっすらと見えた外壁が、その釜の内側という訳だ。
―――つまり、学園の敷地はちょうど円形となっている。
「寮があるのが釜の北東側で、ぼくたちは西へ歩いてきたから・・・そろそろ北側の地域に入るのかな?」
「なおぅ」
手元に広げた地図と睨めっこしながらの独り言に、りんが律義に相槌を返してくれる。
この地図は明さんの伝手で手に入れたもので、寮のところには赤く〇印が付けられている。
学園へ初めて訪れた時に行った大ホール等は、地図によると敷地の東側にあたるらしい。
そちらはまた後日ということで、今日はこれまでに行ったことのない所を回る予定だった。
―――と、いう訳で訪れた学園北部。
視界に入るのは見渡す限りのなだらかな丘陵地と、草原の緑に挟まれ点在する小ぶりな森林。
行く手に伸びる道の傍には放牧されているのか、のんびりと草をはむ羊の群れが点々と見える。
学園のこちら側はあまり建物が無く、広大な土地に農地や放牧地が広がっている―――と、綺麗な文字で地図に注釈が入れられている。
これを売ってもらう際、新米向けにいくらか解説を入れておいた―――と、明さんが言っていたのを覚えている。
すると、この書き込みは彼女のものだろうか。
こんな字を書くんだ、などとぼんやりと考えつつ、てくてくと道を歩いてゆく。
その足元一匹の茶トラ――【式神】のりん――がつかず離れず、時折主の顔を見上げつつ歩く。
二股に分かれたしなやかな尻尾は興味のためか、絶えずゆらゆらと左右に揺れていた。
やがて、放牧地が途切れると草原の緑がうってかわり、腰ほどの高さの柵を境に剥き出しの土の茶色が広がる。
その先にはこんもりと盛られた畝と、青々とした葉を広げた作物が首を並べる畑が延々と続いていた。
「わぁ・・・」
「?」
見慣れた、なれどこちらで目にするとは思わなかった大規模農業の景色に、思わず足を止めて見入る。
近くに見えるのはカブ、向こうはトウモロコシだろうか。
どれも丁寧に手入れされており、瑞々しい葉ぶりでぴんと太陽へ向け背を伸ばしている。
機械の類を持ち込めないこの世界で、これだけの作物を育てるのはさぞかし大変だったろうに。
その努力と苦労は想像するに難くない。
一体どんな人が育てているのだろうか―――
「やぁ!きみは見学希望者かな?それともクランのお誘い?どちらにせよ―――ようこそ!」
そんな思いを抱いたのを感じ取ったのか。
呼びかける声に振り向くと、目に入ったのは健康的な浅黒い肌に、白く輝く歯。
コントラストの利いた笑顔を浮かべるその人物の目線はやや(やや!)低いぼくのそれより大分高い。
それというのも、彼はずんぐりと大きい、一匹の騎獣に跨っていたからだ。
丸太のように太く大きい、四本の脚。
長大で幾重にも皺の刻まれた鼻、その巨体に不釣り合いな細く頼りない尻尾。
細かい産毛の生えた頭部の両側には、薄く大きな耳がヴェールのように広がっている。
それは体高1.5m程という、その種としては小ぶりな――それでも十二分に巨きな――蒼い体色のゾウであった。
そして、その背に跨りぼくたちを見下ろすのは浅黒い肌の偉丈夫。
軽くウェーブのかかった茶色の長髪を肩に流し、見る者に安心感を与える朗らかな笑みを浮かべる青年がそこに居た。
「あ、あなたは・・・!?」
「俺かい?俺はArnav、ここらの農地を管理してる者だ。君とそこのレディは見ない顔だね、最近こちらへ?」
「あ、はい、ご丁寧にどうも・・・マルです、丸×のマルに海の人と書いてマルカイト・・・じゃなくて!」
「うん?」
「なんでこの人!服着てないの!!??」
「なうー・・・?」
「はっはっはっはっはっは」
「いや、わろてる場合!!?」
―――全裸だった。
その男は、衣服に類するものを一枚たりとも身に纏っていなかった。
ゾウさんの上に、象さんが乗っている。
そんなしょーもない感想を若干頭痛のする脳裏で抱くと、ぼくはこの怪人物とどう接するべきか、真剣に悩み始めるのであった―――
今週はここまで。
 




