∥004-B ウチくる?(上)
#前回のあらすじ:この胸の高鳴りはまさか・・・心臓病!
[???視点]
「おまえ、うちの子になるかい?」
―――記憶にある最初の景色は、大きな手を差し伸べる誰かの顔だった。
瞼を閉じる。
そしてもう一度目を開くと、『 』は同じ誰かの顔を毛布にくるまれ見上げていた。
置かれた皿の内側を満たす乳白色の液体をはじめは警戒し、やがて口を付けると貪るように飲み干した。
空腹と渇きに耐えてじっと何かを待ち続ける毎日は、その日びっくりするくらいあっけなく終わりを迎えた。
―――『 』には、親の記憶が無い。
後で知ったことだが、主が拾った時には既に『 』は独りだったという。
だが、そんな事とはお構いなしに時は流れ―――『 』を取り巻く環境は目まぐるしく変化していった。
家族が増えた。
幸せそうな主の側で笑顔を浮かべるその人間は快活で、家庭をよく支えていた。
最初は警戒していた『 』に彼女は根気強く接し、打ち解けた後はちょっとしたお出かけにも後を付いて回るようになった。
住処を訪れる人間の顔ぶれも変わった。
色とりどりの衣服を身に纏った彼らは『 』を目にとめると決まってしゃがみ込み、主がよくやるように手を差し伸べて小さな頭を撫でた。
そんな時『 』は決まってトレードマークの黄色い鈴を鳴らすと、彼らの足元を上機嫌で歩き回るのだった。
更に時が流れた。
―――住処へ訪れる人間は次第にその数を減らしていた。
主は一人、何かを考え込むことが多くなり、つがいの彼女が見せる朗らかな笑顔もめっきり見なくなった。
何かが、ゆっくりと確実に進行していた。
「『 』、すまない。僕らは―――」
その日は何の前触れもなく、唐突に訪れた。
最期に見た主の顔には、懊悩を示す深い皺が刻み込まれていた。
彼はいつかのように大きな手を差し伸べると、震える指先で小さな頭を撫でて―――
・ ◆ □ ◇ ・
[マル視点]
「これは―――!?」
ぼくはぱちくりと瞬きすると、目の前の光景を信じられない面持ちのまま見つめる。
遮光カーテンが閉め切られ、外界から隔絶された一室。
しかし部屋の中はいつか目にした淡い緑色の光で満たされ、辛うじてだが視界が保たれている。
ぼくは眼前に広がる光景を、下からゆっくりと見上げてゆく。
カーペットの敷かれた床から1m程の高さには、蛍光色に輝く半透明のプレートが浮かんでいた。
その中には金色に輝く小ぶりな鈴と、その隣でじっと目を閉じる中型犬ほどの影―――あの夜、廃墟で目にしたものが浮かんでいた。
「わりと時間がかかったけれど、無事にアストラル体の修復は完了したよ。―――結果はちょっとだけ予想外だったけれどね」
「・・・予想外?」
「それはまあ、後で詳しく。・・・なにはともあれ、どんな処置をしたのか説明していくね?」
「・・・お願いします」
ぼくが神妙な表情でうなずくと、それを認めた黒髪の少年はうん、と小さく微笑みを浮かべる。
照り返しで銀縁眼鏡がきらりと光る様子を見つめながら、ぼくはここへ来るきっかけとなった出来事をふいに思い出すのであった―――
・ ◆ □ ◇ ・
「以前預かった浮遊霊、無事に快復したらしいぞ」
「以前預かった―――?」
―――事の始まりは、明さんから何気なく告げられたそんなひと言だった。
小ぶりなテーブルセットの前で、ダージリンティー片手に談話に興じていた最中。
唐突に告げられた言葉に、ぼくは最初何の事かわからずオウム返しに聞き返してしまった。
その時ぼくが居たのは、【揺籃寮】の管理人室。
叶君と仲良くなって以来頻繁に訪れるようになったこの部屋にて、ぼくらは他愛のないお喋りを楽しんでいた所であった。
新雪のようにふわふわの前髪の下でルビー色の大きな瞳を瞬かせると、入り口のドア近くに立つ彼の姉へ視線が投げかけられる。
初対面の頃こそまともに視線すら合わしてくれなかった彼だが、今ではすっかり落ち着いた様子で接してくれるようになった。
ひそかに感慨にふける内心を押し殺すと、ぼくも彼にならって視線の先へ佇む人物へ向き直ることにした。
「お姉ち――姉さん、それって・・・?」
「お前も覚えてると思うが―――先週の任務『人肉屋敷の掃討』で保護した、黒い影みたいな奴だよ。マルには話してあるが、あれから『先生』のところに預けて治療して貰ってたんだ」
「ああ・・・」
ようやく合点が行った、という様子でこくこくと頷く叶君。
―――数日前のこと、郊外の廃墟に巣食う【彼方よりのもの】を退治するべく、勇んで出陣した我ら寮生一同であったが、向かった先では思わぬピンチが待ち受けていた。
リトルグレイ型宇宙人そっくりな外見を持つ高次元生命体―――『宇宙人型シング』を始めとした、異形達が大量発生していたのだ。
雲霞のごとく押し寄せる敵の群れに逃げ惑った末、敵の親玉に間一髪という所まで追い詰められたその時、思わぬ援軍のお陰でぼくは九死に一生を得ることが出来た。
その援軍こそが件の『黒い影みたいな奴』だ。
その時、身代わりに致命傷を負ったあの子を、ぼくは事の成り行きで明さんの手に預けていた。
以来、密かにその身を案じていたのだが―――今こうして無事だと知り、改めてほっと胸を撫でおろす。
「あの時はもう助からないかと思ってたけど・・・無事みたいで良かったです。改めてだけど、ありがとうございました」
「私は取り次いだだけだ、礼なら『先生』に言っておくれ。それで―――どうするんだ?」
「えっ??」
ラフなジャージ姿の少女は戸口に佇んだまま、腕を組んで小首を傾げる。
腕の動きにつられて量感たっぷりの双丘がまあるく布を押し上げる様子に、自然と視線が吸い寄せられそうになるのを必死に抑えつつぼくは疑問の声を上げた。
それにふむ、と小さく呟くと、明は腕組みを解き指を一本立てて見せた。
「お前も一緒に様子を見に行くのか、って事だ。行くのなら案内するが―――」
「い、行きます行きます!」
「あ、じ・・・じゃあボクも・・・」
「そうか。じゃあ付いてこい、モタモタしてると置いてくぞ」
言うが早いか、亜麻色の長髪をたなびかせくるりときびすを返す明。
目の前でばたんと小さく音を立てて閉まるドアを僅かな間、きょとんと見つめる二人であったが、すぐにはっと我に返ると慌ててノブへ手を伸ばす。
廊下の向こうで既に小さくなりつつあった彼女の背中を追いかけ、ぼく達は寮の廊下をばたばたと走り始めるのであった―――
・ ◆ □ ◇ ・
―――そんな訳で、現在。
「最初に行ったのは存在の補強だ。ドレインによって霊体が酷く消耗してたからね、残留思念を増幅してジェムから抽出した疑似霊体をベースに肉付けして、欠損部分を補った感じかな。ついでに辛うじて記憶も読み取れたから、生前との関連性の強い物品―――のレプリカを用意して、レイラインを繋いでおいた。これを核にしたお陰で、従来より300%以上の安定性を確保できたよ」
「・・・はあ」
「ぽかーん・・・」
正直、言葉の一つ一つが何を意味しているのかチンプンカンプンだった。
二人そろって上げた生返事に、講師役の黒髪の少年は「だめだこりゃ」と苦笑いを浮かべる。
眉根を寄せてうぬぬと唸りつつ半透明のプレート上に浮かぶ複数の画像と文字を追ってみるが―――
しばらく頑張った後にかくんと頭を落とし、ぼくは白旗を上げた。
ぼくの後ろではハトが豆鉄砲を喰ったような表情で叶君が固まっている。
さもありなん、ぼくだって同じ顔をしたい気分だ。
とりあえず―――結論から言うと、『先生』とは楓先輩の事だった。
管理人室を出て、明さんの後を追ってたどり着いた先はここ。
寮の一室にして楓さんの自室であるこの場所だった。
分厚い遮光カーテンが閉め切られた室内では、寮へ来た初日にも少しだけ目にした謎の機械(?)が、作業机の上で低くうなりを上げている。
理解を早々に諦めたぼくはびしりと右腕を垂直に挙げると、声高らかに敗北宣言を発した。
「先生!できれば初心者にもわかる程度の内容でお願いします!」
「ええ?しょうがないなあ・・・じゃあ手短に」
きらりと光る銀縁眼鏡を人差し指で押し上げると、ひとつ咳払いをした小柄な(それでも頭一つ分以上ぼくより上だけれど!)先輩はかしこまった様子で再び口を開いた。
「―――君から預かった時、既にこの子は【彼方よりのもの】の攻撃で傷つき、消える寸前でした。ここまではいい?」
「はい」
「この子みたいなゴーストは生物と違って肉体が無いから、一旦傷を負うと簡単には修復できないんだ。・・・なので、生前の記憶をアンプに繋げるみたいに増幅して、それをベースに傷ついた部分を埋めた訳だね」
「そ、そんな事可能なんですか・・・?」
「できるよ。霊魂は言ってみれば、想念の塊だからね。根幹をなしている情動を増幅させてやれば、消えかけた存在を安定させる位わけはないさ。更に仕上げに、僅かに読み取れた記憶から抽出した『思い出の品』と近い形状のものを明くんに仕入れてもらった」
「思い出の・・・品?」
先輩の言葉に思わず振り向くと、視線の先でなぞめいた笑みを浮かべる明さんと視線がぶつかる。
どうやら、この一件では彼女が一枚も二枚も噛んでいるらしい。
「そっくり同じ形状の品を用意するにはちと骨が折れたが・・・そこはまあ、ツテで何とかできた。お察しの通り、そこの鈴が件の『思い出の品』・・・のレプリカだ」
「これが・・・」
「霊魂のみの存在はただでさえ、ちょっとしたきっかけで散り散りになって消えちゃうからね。どうやら元から半・地縛霊といった形態だっようだけれど、物品を依り代にしたことでより存在を強固に安定させる事に成功したんだ。―――さて、ここからが本題」
機械らしき物体に並ぶボタンを幾つか操作すると、影を映し出していたプレートが消去される。
きらりと鈍く光を放って落下した鈴を掌中に収めると、銀縁眼鏡の少年はそれを手のひらの上で転がしながらぼくを見つめた。
「少なくない時間と労力を引き換えに消滅を免れたこの子だけれど―――僕が確かめたいのは『君がどうしたいのか』という事さ」
「どうしたいのか・・・?そんなの、ただ、きちんとした形でお別れをしたかっただけで―――」
唐突に突き付けられた質問に、深く考えずそのまま答えようとして―――ぼくはそこで思いとどまった。
先輩の掌で揺れる小さな鈴を見つめながら考える。
―――本当にそれだけでいいのだろうか?
ぼくの迷いを感じ取ったのか、対面で小さな椅子に腰かける銀縁眼鏡の少年がじっとこちらを覗き込む。
掌中の鈴を指先で弄びながら、彼はゆっくりと、小さくよく通る声で続けた。
「よく考えた方がいい。死してなお現世に残留する霊魂は、それ自体が世の理に反する存在なんだ。ふとしたきっかけで陽炎のように消えてしまうことも、負の情動に引かれてヒトに害をなす存在と化す事もある」
「それは―――」
考えなかった訳ではない。
二の句が告げなくなってしまったぼくを試すように、鈴を指先で摘まみ上げると、それを眺めつつ楓先輩は静かな口調で更に続ける。
「例えば・・・このまま希望通りにお別れの挨拶をして、野に放ったとしよう。その場合、この子は自然の中で生き抜く魑魅魍魎の脅威に晒されることになる。尤も、本来それがあるべき姿なんだけれど―――命あるもの以上に、寄る辺のないゴーストにとって己の存在を保つというのは過酷なことなんだ」
「・・・!!」
思わずはっと息をのむ。
・・・言われてみれば、お別れをした後のことまで深く考えていなかった。
その事実に愕然とするぼくをレンズの奥から、黒髪の先輩はじっと見つめる。
「もし、君にその意思があればだけれど―――山野の怪や悪魔、死霊の類を契約で縛って使役する方法がある。いわゆる【式神】というやつだね。それを、この子に施してもいい」
「使役するなんて・・・そんなこと、可能なんですか・・・!?」
「可能だ。既に同様の手段で【式神】を所持している【神候補】も学園には存在する」
―――式神。
映画や小説でしか耳にした事のないその存在は、驚くことにこの【イデア学園】では周知の存在であるらしい。
「勿論、君にその気があって、この子が契約に同意すれば、だけれどね。できれば君自身の意思で選んでほしい、このままお別れするのか、それとも―――共に戦う仲間となるのか」
決意を試すように発せられたその一言に、ぼくはごくりとつばを飲み込む。
緊張のせいか、喉がひりつくように乾いていた。
お別れか、共に戦うか。
選ぶべき答えは―――
遅くなりましたが、今回の投下です。
次は普段通り日曜日に投下する予定です。




