∥008-22 脅威が戦車でやってくる
#前回のあらすじ:馬鹿め!奴なら死んだわ!!
[マル視点]
「ショゴス、とは―――」
天井から引き下げられたスクリーンに、プロジェクターの光が一枚の写真を浮かび上がらせる。
それは、巨大なアメーバ―――とでも形容すべき、奇怪な生命体であった。
絶えず流動する体表面、無数の突起とその間に見え隠れする、眼らしき部位。
筋肉らしき隆起と襞の中心には、乱杭歯の覗く無数の口が不気味に開いている。
悪夢の中から飛び出てきたかのような、異形の怪物。
しかしその全身は凍てつき、厚い氷によって外界から隔たれていた。
「言うなれば、万能細胞の集合体だ。それは如何なる組織にも変化しうる、万物の根源たるアダム・カドモン。かつて永久氷床よりノルウェー隊が見つけ出したものは、あらゆる生命体の特徴を併せ持つ、未知の生命体だった。発掘された地層が示す年代は途方もなく古いもので、我々は類を見ない発見に狂喜乱舞したものだ。まあ―――」
昔日の想い出を振り返るように、老紳士はしばし瞑目する。
先刻のエピソードによれば、写真の怪物を発掘した南極探索隊には、彼自身も参加していたという。
想い出に浸るのも束の間、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべると、老人は吐き捨てるように呟くのだった。
「皆、蘇ったこいつに喰い殺された訳だが」
「・・・」
なんとも反応に困るエピソードに、聴衆の間からためらいがちな声が漏れる。
彼が語った、この地に迫りつつあるという脅威。
その正体が、先程映し出された怪物なのだろうか?
ひとり首を傾げていると、ふいに背後から肩を叩かれる。
振り返ると、そこには間抜けな表情の猫の被り物がじっとこちらを見つめていた。
「マル殿。ばんのうさいぼう、とは一体、どのような代物にござるか?」
「あー・・・。幕末の人ですもんね、寅吉さん」
声を潜めて問いかけてきたのは、揺籃寮の猫侍こと、寅吉であった。
彼はぼくが産まれるずっと前、明治維新の頃の人である。
普段から現代科学の発展具合に目を丸くする機会の多い彼だが、やはりというか、老紳士の話す内容がちんぷんかんぷんだったらしい。
だが、わからないなりに興味は持ったらしく、知的好奇心の赴くままに質問を投げかけられた相手がぼくだった、という訳だ。
さて、どう答えたものだろうか?
「・・・えっと。卵みたいに、一から成長して身体の素になる物を、人の手で再現したのが、万能細胞・・・って、説明でいいのかな?」
『ヌルフフフ。大体、そんな理解で合ってると思うわよぉ?髪とか目とか、増殖した後で色んな組織に育つ素になるのが、万能細胞・・・ES細胞だとか呼ばれる代物なの。欠損した体を代わりに補ったり、病気で死んだ部分を元に戻したり。そういう用途が考えられてるみたいねぇ』
「なんと!」
『流石ノ博識、流石デス母上!』
しどろもどろのまま答えたところ横から補足が入り、そこへ息子の野呂からヨイショが入る。
うまい具合に水棲親子のフォローがあったお陰か、素人知識の説明でもどうやら、寅吉さんに理解して貰えたようだ。
生きた時代の違いによるギャップをどう埋めるか、悩んでいただけにこの結果に大満足だ。
猫の被り物の下で、寅吉は驚きに目を真ん丸に見開いているようだった。(見えないけれど)
「然らば・・・あの、『しょごす』なる生き物は腕も脚も生やしたい放題。如何なる姿形も取れる、という事でござるか。ふむ、道理で眼も口も、無数に付いている訳でござるな」
「そうそう、そんな感じで合ってます・・・たぶん」
「ウオッホン!!」
「「!?」」
寅吉の素朴な疑問に納得のいく答えを返せたようで、一安心・・・と思った矢先。
壇上より聞こえた咳払いに、ぼくらは二人してぎくり、と肩を強張らせた。
恐る恐る振り返ってみれば、古びた眼鏡の奥からじろり、と鋭い視線がぼくらを射貫いている。
「―――聴衆から補足があった通り、ショゴスの細胞はおおよそ生物が取りうる、あらゆる形態を生み出すことが可能だ。皮、毛、骨といった体組織を始めとして、内臓や四肢、果ては脳に至るまで。未分化の組織を何らかの器官へ、はたまた分化した組織を食作用により分解・再構築し、元の状態へ・・・。そうした働きは我々の持つ細胞にも存在するが、彼奴らのそれは無機物・有機物の垣根を越え、さらなるダイナミズムを見せるのだ」
無駄話に花を咲かせていたぼくらのことは、どうやら見逃してくれるらしい。
老紳士の話す内容は、更に突っ込んだ内容とは移ってゆく。
ぼくはそっと息を吐きつつ、プロジェクターが映し出した新たな映像の異様さに、思わず息をのむのだった。
「―――1983年。英国の調査隊が持ち帰った、ショゴス細胞が増殖した姿だ。ここを見ればわかるように・・・実験室の建材を取り込み、体組織の構築に利用している。次は1989年―――コンコルディア基地へと襲来した個体だ」
最初に提示されたような、脈打ち、流動する肉体。
しかしその表面は、ガラスとコンクリート、金属がまだらに入り交じり、混然一体となって一つの形状を造り上げていた。
鱗のように連なる岩石状の組織、その下から無数の苦悶する顔が、折り重なるように生えている。
それが、生きたまま貪り食われ取り込まれた研究員の成れの果てであることは、火を見るよりも明らかだった。
恐怖の形に歪んだガラスのような瞳が、物言わずにじっと虚空を見つめている。
唯一の救いは、この生命体が半ば炭化し、既にその活動を停止している事だろう。
スクリーンは更に、次なる異形を映し出す。
それは、ハリネズミのように全身から銃身を生やした粘体であった。
「他の基地を襲撃した折、喰らった職員と一緒に銃火器を取り込んでいたようだ。後の襲撃の折それは活用され、基地職員へと牙を剥いている。記録によれば、体表から無数に生えた銃口からは絶えず弾丸が吐き出され、雷鳴のような音を響かせていたそうだ」
「えぇ・・・!?」
巨体のどてっ腹に大穴を開けられ、沈黙したそれは活動を停止するまでに相当の破壊を周囲に巻き散らかしたらしい。
写真に映る壁には無数の弾痕が残り、それは怪物を中心に放射状に広がっていた。
「スケーリーフットの例を挙げるまでもなく、重金属の利用は生命体にとっての『既知』である。だが、彼らが行っているのは、さらにその先―――粘菌が迷路を解くように、同化した物体は隅々まで走査され、構造と機能を解き明かし、その上で―――『再現』されるのだ」
「これは・・・」
「兵器が、人類の技術が―――盗用されている?」
かしゃり、かしゃり。
一枚、また一枚と、スクリーンに怪物の姿が映し出されてゆく。
それは、人類の負の側面である戦争の歴史を追体験するが如く、次第に洗練され、発展していた。
小口径の火器は大口径・長射程の火砲へ。
鈍重な粘液質の脚は凍れる大地をかき分け、力強く進む無限軌道へと。
始めは、手当たり次第に取り込んだものを再現するに留まっていたキメラが、次第に洗練されてゆく。
より効率的に、より効果的に、ヒトを殺す形へと。
その形状は、ぼくたちの知る主力戦車のそれと奇妙に似通っていた。
「彼らは我々と同等の知能を有し、しかし―――同時に、対話不可能な怪物である。彼らにとっての人類とは餌であり、娯楽であり、自身が更なる進化を遂げる為の材料なのだ。我々と彼等が交わった僅かな機会が、ショゴスにここまでの進化を齎した。その速度は、彼奴等が人類社会へと進出した時には幾何級数的に増大するだろう」
老人の言葉は、絶望的な一つの事実を示していた。
この怪物は———人類文明に触れれば触れるほどに強くなるのだ。
「国連のシンクタンクが試算した所、およそ2万7000時間―――約3年で人類社会は浸食され、彼らの養分となり果てると導き出された。我々が仕損じ、ショゴスが南極の外へと進出した場合の明日が、それだ。つまり―――人類の未来は、我々の双肩に掛かっている」
今週はここまで。




