∥008-12 昔日の少女
#前回のあらすじ:鬼いさんが現れた!?
[クレメンス視点]
『助けて・・・助けてクレメンス・・・』
途切れ途切れに伝声管の奥から聞こえてくる、か細く物悲しい少女の声。
クレメンスはそれが耳に届くと同時に表情を消すと、すっくとその場で立ち上がった。
ヴィリー号のクルー達から、自然と視線が彼の元へ集まる。
「どーかしたのか、クレメンス兄?」
「いえ・・・。少し、急用が出来ましたので数分だけ外します」
「了解したッス、留守の間の艦は任せてくれッス!!」
「い、いってらっしゃい・・・」
「いってらっしゃーい!」
クルー達(とお客様2名)から飛んでくる言葉を背に、クレメンスはシートから立ち上がる。
狭い廊下を進み、幾度か耐圧扉を潜り抜けた後。
艦長室の前で立ち止まると、彼は二度、三度、慎重にノックを繰り返した。
『―――入ってくれ』
ややあって、震える声で入室の許可が下りる。
その場に他に誰も居ない事を確かめると、素早く扉を開け、身体をその隙間に滑り込ませた。
後ろ手にそっと扉を閉じると、ほっと一息入れつつ、クレメンスは艦長室の中を見渡す。
―――元は、冷たい金属の壁と配管に包まれていたであろう、空間。
それが今や、淡いピンクの壁紙によってびっしりと覆われている。
壁際に並ぶ戸棚に目を向ければ、所せましと小動物を模した愛らしいぬいぐるみ達が詰め込まれていた。
内装のすべてが、ファンシーでメルヘンチックなものへと塗り替えられた空間。
そんな部屋の正面奥を占めるのは、ハート柄をあしらったシーツが掛けられた、シングルのベッドだった。
その上で小バウアーを抱きしめ、少女艦長は一人、無言のまま蹲っている。
ドアが締まる音に気付いて上げたその瞳には、大粒の涙が今にも溢れんばかりに浮かんでいた。
「ク、クレメンスぅ・・・。わ、わ、私はもう・・・駄目だ!駄目なんだぁ・・・!!」
「ええと。一応、聞いておきますが・・・。今度は、何が原因なんですか?」
「全部だ!!!」
『グェッ!?』
溜息交じりに投げかけた問いかけに、少女は小さく悲鳴のような呻きを返した。
反射的に締め上げられた腕の中で、小バウアーがひれ状の翼で懸命にタップを続けている。
それが目に入らぬ様子のまま、ツェツィーリエは絞り出すように告白を続けた。
『グェ!グェーッ!!(ぺしぺしぺし)』
「愛くるしいお顔も!妖しく輝くルビーのような瞳も!しぐさの度に揺れる綿毛のようなお髪も!視界に入るだけで抱きしめて・・・折れそうに細い身体を、この腕の中で壊してしまいそうに!なるッ!!」
『グ、グェ・・・。(がっくり)』
少女が涙ながらに己の胸の内を吐露する一方、小バウアーはついにがくりと頭を垂れる。
細腕に似合わぬ怪力が齎した惨状に気づかぬまま、ツェツィーリエ嬢の独白は続けられた。
―――赤い瞳に綿毛のような髪、神の被造物であるかのような容姿。
そのような人物は、これまでクレメンスが見たことのある中で、ただ一人しか居なかった。
会取叶。
彼女がたった今、言及した人物は今回、ヴィリー号に同乗した日本からの客人達の一人のことであろう。
「極めつけはあの仕草だ!小動物めいた、見るものを狂わせる愛らしさ!くっ・・・!あれは本当に、同じ人間なのか!?可愛すぎるだろう・・・!!」
「そろそろ帰っていいですか?」
「だ、駄目だ!」
何の用事かと来てみれば、その何とも言えない内容。
溜息交じりにくるりと背を向け、ドアに手を伸ばそうとするクレメンス。
その背に届いた涙交じりの声に、泣き虫だった頃の幼い少女の姿がフラッシュバックする。
「まだ、この胸の内にたぎる熱を吐き出し終えていないというのに・・・!わ、我を見捨てるつもりなのか、お兄様は!?」
「はぁ・・・・・・」
―――クレメンスとツェツィーリエ、二人は幼少の頃よりの知己である。
故郷である港町、ブレーマーハーフェンに位置する小ぢんまりとした教会。
そこで暮らす彼は、しばしば礼拝に訪れる人形のような容姿の少女と自然と知り合い、友人となった。
二人は所謂、幼馴染の関係にあたる。
親衛隊員の娘と、神父の息子である彼。
生まれも、立場も異なる二人。
しかし彼らは本当の兄妹のように仲睦まじく、幼少の頃は常に一緒であった。
その数年後、【神候補】としてヘレンに見いだされた後。
【イデア学園】にて彼女と再会したのは、完全に偶然だ。
先程、ツェツィーリエは彼のことを、昔と同じ呼び名で呼んだ。
実のところ、クレメンスは彼女の秘められた少女趣味や、カワイイ物好きの事を知る、ほぼ唯一の人物なのだ。
質実剛健を尊ぶドイツ女子同盟に属し、精神をすり減らす彼女。
内面と相反する日々は少女を傷つけ、その繊細な心は悲鳴を上げていた。
誰にも言えない趣味に没頭し出したのは、丁度その頃のできごとだ。
今回も、そろそろ爆発する頃だと読んでクレメンスは少女の動向に気を配っていた。
神父の息子である彼にとって、迷える子羊を導くのは日常の一部なのである。
「・・・冗談ですよ。大丈夫、大丈夫。主は、すべてをお許しになります。どんな悩みも、秘密も、この部屋の中でなら―――吐き出したって大丈夫です」
「そうか―――そうだな」
昔馴染みの言葉に、少女は声色をいくらか落ち着かせる。
その脳裏に去来するのは、かつて過ごした二人の記憶。
日曜礼拝で盗み見た少女の夢見る横顔、共に駆けた路地裏の小路、空をたなびく一筋の飛行機雲。
少女の瞳を輝かせるのは、きまって街角で見かけるカワイイものであった。
道行く稚児、道端で日向ぼっこする野良猫、隣の家で今朝生まれた鶏のヒナ―――。
「毎度毎度、本当にすまんな。・・・でも、聞いてくれ!お兄さま、ついさっきの出来事なんだが―――」
「うんうん」
『グェェ・・・(ピクピク)』
白いほほを紅潮させ、青い瞳を輝かせながら少女は語る。
今、彼女が語るのは東洋の国より来る客人について。
その内容に自分が含まれぬことに、一抹の寂しさを感じるものの。
カワイイものについて語る少女の瞳の輝きは、在りし日に見た光景と寸分たがわぬものであった。
相槌を時折返しつつ、クレメンスはとりとめのない話へ耳を傾け続ける。
こうした時間を過ごす度、彼はこう思うのだ。
世界一カワイイのはあなたですよ―――と。
今週はここまで。




