∥008-09 Aチーム・怪物探索班の様子
#前回のあらすじ:ここまで来て戻れだって!?
[叶視点]
「ソナーは相変わらず感なしッス。そっちはどうッスか?」
「ぜ、前方まっすぐの位置から動いてない・・・みたい、です」
「了解だ。では、引き続きこのまま前進するぞ。いいな?」
「え?えっと、その・・・」
磁針が示す方向を口にすると、即座にそんな質問が飛んでくる。
『伏龍の盤』に手をかざしつつ、白髪の少年は困ったように首を巡らせた。
―――どう答えればいいんだろう?
尻すぼみになって消える少年の言葉を補足し、代わりに応えてくれる友人たちは今、この場に居ない。
壁に張り巡らされた配管、視界の端をちょこまかとよぎるペンギン水兵、クルー達から向けられる視線。
流れて行く視界の中、ボクは無意識に普段、一番近くから見守ってくれるあの人の姿を求めていた。
ここは潜水艦ヴィリー号の中、住み慣れた【揺籃寮】ではない。
いつも朗らかなあの少年も、飄々としながら不思議な安心感のある和装の青年も、ここには居ないのだ。
ボクは今、誰にも頼らず自分で決めて、行動しなくちゃならない。
それがたまらなく―――怖い。
真剣な眼差しに射すくめられて、ボクはどうしていいのかわからず、続きの言葉を呑み込んだ。
―――艦内にヘレンちゃんが現れた後、ボクたちは2つの選択肢を突き付けられた。
このまま謎のシングを追うか、それとも引き返して、襲われている人達を助けるか。
マルさん達は、艦を下りて地上へ向かうことを選んだ。
寅吉さんをはじめ、戦闘スタイルが海中に向かない人達を中心に、この場から離れた形となる。
残るぼくたちは海中を探索し、あの怪物を見つけ出すのが役割だ。
シートに座るぼくのひざの上には、マルさんから譲り受けた『見鬼盤』が載せられている。
それを中心に、淡く輝く『伏龍の盤』がうっすらと、空中に光の軌跡を描き出していた。
中央にある大きな光点が、ボク達の乗る艦。
そして、進行方向はるか先にある赤い光点が、先程遭遇した謎の怪物だ。
更には、大きな光点を両側から挟み込むなだらかな稜線も、盤の上には描き出されていた。
『見鬼盤』とこの艦のソナー、その二つを『伏龍の盤』とリンクさせて、出力した結果がこれだ。
潜水艦ヴィリー号は現在、巨大な棚氷に生じた亀裂の隙間を進んでいる。
一歩間違えれば、氷壁に衝突しかねない危険な状況。
しかし、ボク等を載せた艦は危なげなく、狭く入り組んだ隙間をすいすいと進んでいた。
視覚化されたソナーのお陰で、衝突を回避する適度な位置を保ち続けている結果だ。
これだけでも多大な功績なのだが、当の叶少年はそれをいまいち実感していなかった。
それどころか―――彼の内心は、後悔と自己嫌悪によって埋め尽くされていた。
(今からでも、ヘレンちゃんに頼んで地上へ向かった方がいいんじゃ?どうせ、ボクなんかに出来る事なんて、たかが知れてるんだから・・・)
そんなネガティブなモノローグに、際限なく気分が落ち込んでゆく。
白髪の少年は己の内心を表すように、そっと視線を伏せた。
こうなった発端は、先程のやりとりがきっかけだ。
自身に向けられた問いかけに答えられず、黙りこくったまま無視してしまった。
それが相手に悪印象を与えたかどうか、臆病な少年は確かめる勇気を出せず、自己嫌悪のスパイラルに陥っていたのだ。
今からでも、少女艦長の言葉にきちんと答えたほうが良いのではないか?
だが―――それを言い出す勇気が出ない。
怒鳴られ、叱責されるのが恐ろしい。
実際はそんな事は無いのだが、病弱な身体に生まれ育ってきたこれまでの17年間が、少年の臆病な心をすっかり形作ってしまっていた。
彼の言葉を待っていたクルー達も、その様子がおかしいことに気付き、顔を見合わせ始める。
―――その時。
「もーっちろん!このまま全速前進、れっつごーだよ!!・・・ってコトでいいよね、おとーとクン?」
「えっ?え・・・っと」
鬱々とした気分を吹き飛ばすような元気のいい声が、唐突に横合いから上がる。
驚いてそちらへ視線を向けると、隣のシートに座る梓が丁度、勢いよく右手を振り上げた所だった。
ルビーのような瞳を瞬かせると、叶はおそるおそるといった様子で口を開く。
「その。ぶ、ぶつかると危ないので、速度は控えめ・・・で」
「あ、そっか!壁のこと忘れてたや、ゴメンゴメン」
そう言うと、ポニーテールの少女はぺろりと舌を出して破顔した。
にひひ、と太陽のような笑顔を咲かせる目の前の少女を、ボクは不思議なものを見るような気分で見つめる。
―――実際、梓さんは不思議なひとだ。
彼女はマルさんと特別親しく、よく【揺籃寮】にも訪れる。
高身長でファッションモデルのようなスタイルの彼女は、マルさんと二人並ぶとまるで年の離れた姉弟のようだ。
だが、実際は彼女のほうがひとつ下なんだそうだ。
始めはその、何かとエネルギッシュな振舞いに戸惑わされたものだが、今ではどうにか緊張せずに接する事ができるようになった。
終始明るく、賑やかな彼女。
その在り方はボクとは正反対だけれど、かえってそれが心地いいのだ。
そんな彼女を見つめていると、不思議と鬱々とした気分が晴れていることに気付く。
―――あれだけ騒いだ弱気の虫は、何時の間にかすっかりなりを潜めていた。
平静を取り戻したぼくに、白い歯を見せる少女は薄い胸を反らすと、こう言うのだった。
「だいじょーぶ!さっきのヤツがまた来たって、あたしがぺよ~ん!って追い返してあげるから!!おとーとクンは自信を持って、みんなを導けばいいんだよ」
「ボクが、導く・・・?」
「そうそう」
ニカッ、と再びおひさまのように笑う彼女。
それを前に、ぼくはまぶしいものを見るように目を細めた。
―――ゆっくりと、視線を上げる。
そのまま、じっと会話を見守る乗員たちの顔を、順番に見つめて行く。
ツンツン頭の軽快そうな少年。
穏やかな眼差しが安心感を醸し出す青年。
筋骨隆々で一見怖そうに見えるが、以外に親しみやすい青年。
艦を取り仕切るクルー達から集うその視線には、少し心配するような色が含まれていた。
先程恐れていたような、叱咤や怒りの感情など微塵も感じられなかった。
これまで辛抱強く待ってくれた彼等に対し、感謝と申し訳ない思いが胸にあふれてゆく。
そうだ―――何も、恐れることなんて無いんだ。
役不足かも知れないけれど、力不足かも知れないけれど。
今はこのぼくに、潜水艦の行く末が求められている。
何もせず失望されるより―――期待に応えられないほうが、ずっと怖い。
踏み出そう。
小さくて大きい、あの友人のように。
「―――進行方向はこのままで。ツェツィーリエさん、索敵に変化があれば・・・ボクがすぐに、お知らせします!」
「っ・・・!あ、ああ。了解したぞ」
つい震えそうになる声を振り絞り、湖のような色の瞳を真っすぐ見つめながら、そう伝える。
少女艦長は何故か、さっと視線を逸らすと、どこか上ずった声でそう応じるのだった。
「―――聞いての通りだ!微速前進、耐圧核を擦ったりしたら大目玉喰らわすぞ、いいな!!」
「「「了解!!」」」
提督帽を目深に被り直し、ツェツィーリエは号令を飛ばす。
―――かと思えば、ちらちらとこちらを幾度か盗み見ているようだ。
首を傾げながら見つめ返すと、なぜか慌てたように彼女はくるりと、向こうを向いてしまった。
・・・何かあったのだろうか?
少女艦長の不可解な反応にもう一度首を捻るも、それに答える者は居なかった。
その疑問は解消される事無く、潜水艦ヴィリー号はクレバスの間隙を進んでゆく。
その行く手には、無限に思える暗闇が続いていた―――




