∥008-06 急襲
#前回のあらすじ:互いに自己紹介は終わり
『グエッ!(潜航停止!)』
『グエグエッ!(深度46m、クレバスに沿って水平航行開始)』
「ソナーに敵影なし。魚も影も形も無し。不気味なくらいに静かっす」
「・・・よし」
先程から続いていた縦方向のGが収まり、ようやく艦全体が水平へと戻る。
人心地ついたぼくは固い座席の上から、狭い艦内をぐるりと見渡した。
厚い耐圧殻の内部は薄暗く、金属製の壁面には無数のパイプ類が並んでいる。
湿り気を帯びた空気も相まって、まるで樹海の底にでも居るかのようだ。
だがしかし、今ぼくらが居るのはツェツィーリエ嬢が操る潜水艦の中。
しかも、極地の海の中を航行中であった。
―――船員との顔合わせも終わり、Uボートの【神格兵装】、『ヴィリー号(Willy)』はいよいよ出航の時間となった。
地上に広がる氷原には敵の姿が無く、救助すべく人影も見当たらない。
ならば海中だ、とばかりに潜った後の場面が、先程からの一連のやりとりであった。
クルー達からの報告を受け、女性艦長はゆっくりと頷きを返す。
「ひとまずはこのまま、真っすぐ進むぞ。―――反応は、この先で合ってるんだな?」
「・・・た、多分!」
急に質問を振られ、ぼくは慌てて手元の『見鬼盤』に視線を落とす。
八つの辺に方角が掘られた、木製の板。
その中心にはぐるぐると回転する磁針が取りつけられている。
『見鬼盤』と呼ばれる、【彼方よりのもの】の居場所を示すアイテムだ。
磁針が反応するのは【彼方よりのもの】を始めとする、異界の勢力達。
周囲の木板を通して【神力】を流せば、その所在を示してくれる―――という寸法だ。
しばし、回転を続けていた針はやがて、艦の進行方向のあたりでぴたりと静止する。
・・・普段使う時は、もっと素直に敵の居場所を指していたような気がするのだが。
小首を傾げながらぼくが発した返答に、少女艦長は一瞬、怪訝そうな表情を浮かべる。
が、彼女は帽子を目深に被り直すと、クルー達に前進の号令を発するのだった。
「ならば良し。・・・微速前進!氷壁にぶつけないよう慎重に進め、いいな!」
『グェー!!』
艦長の号令に、甲高い鳴き声で答える小バウアー達。
よちよち歩きで艦内を駆けずり回るペンギン達によって命を吹き込まれ、艦尾のスクリューがうなりを上げる。
海水をかき分け、潜水艦ヴィリー号は棚氷の隙間に広がる巨大な渓谷を、ゆっくりと進み始めた。
ソナーによって浮かび上がる像は、この地形が暫く続くことを示している。
両側は氷の絶壁、行く手に広がるのは細々と続く陰鬱な隘路。
頭上から差し込む光は乏しく、眼下に広がる闇は果てしない。
―――しばしの間、艦内を静寂が支配する。
「・・・しっかし。拙者がくたばっている間に、世の中は目まぐるしく変わったものでござるなあ。よもや、海の中を進む船に乗る機会が来ようとは」
「寅吉さんは、明治維新の頃の人でしたっけ?」
「さようさよう。あの当時は件の黒船や、陸蒸気ひとつ目にする度に大騒ぎしたものでござるが。技術の進歩という奴はまっこと、空恐ろしいものでござるなあ」
シートの上でくつろぎながら、しみじみとそんな事をのたまう猫面の男。
彼が生きた江戸時代末期からすれば、この艦などは正しく慮外の代物であろう。
空恐ろしい、と口にはすれど、それでも殊更忌避することもなく、大人しくこうして座席の上に収まっている。
彼という人物にはなんだかんだで、新しいものを受け入れる度量のようなものを備わっているのだろう。
束の間訪れた歓談の時間。
後の席から身を乗り出した後輩も参戦し、艦内にはしばし他愛のない談話の花が咲く。
そうして進む事、数分。
最初の異変は、まず手元の盤面に現れた。
「ぅん・・・?」
ゆらゆらと揺れながら、行く手の一方向を差していた磁針。
それが、突如かたかたと揺れ動き始める。
視界の端でそれを認め、ぼくは慌てて視線を落とした。
『ドウシタ、何カ気付イタノカ?』
「えーっと。なんだか針の様子が―――ぅわっ!?」
ぼくの様子に気付いた野呂さんの問いかけに、応えようと声を上げるが―――
言い切る間もなく、艦全体を揺るがす衝撃が訪れた。
『グエッ?』『グェー!!』
「どうした、何事だ!?」
「し・・・下っす!」
全身が、激しく揺さぶられる。
断続的に襲う付き上げるような衝撃、ぎしぎしと内壁が嫌な音を上げて軋む。
突然の出来事にびっくりした小バウアー達が、そこいら中で転んだり、慌ただしく周囲を駆け回ったりしている。
焦りを帯びたツェツィーリエの声、それにむくつけき独逸男子は、ソナーによる探査を試みる。
海中に潜むものを暴き出す音の波はやがて、艦体を覆う『何か』の像を浮かび上がらせた。
ヴォルフラムの声に、緊張の色が混ざる。
「取りつかれました!待ち伏せっす!こいつ・・・クレバスの奥深くに潜んでやがった!!」
「何だと・・・!?」
ぼくは慌てて、『見鬼盤』の向きを縦方向にぐるりと回転させる。
床に対して垂直、真下をぴたりと指す磁針。
それは、ゴム床を超えた向こう側、海底より浮かび上がった『敵』の存在を示していた。
耐圧殻の外から、巨大な艦体を抑え込んでいる『何か』。
その急襲により、極海での初戦の火蓋は今、まさに切って落とされた―――!!
今週はここまで。




