∥007-D お見舞いびより!
#前回のあらすじ:先輩のおうちにお見舞いに行こう!
[梓視点]
「およ?」
「おや・・・」
放課後、終鈴のチャイムが響く校舎を後にして駆け付けた、先輩の家。
呼び鈴を鳴らしてから十数秒、玄関のドアが開いて早々に片手を挙げて挨拶したあたしは、中から出て来た顔に思わず間の抜けた声を上げてしまった。
戸口から現れたのは、50代前半くらいの男の人。
短く刈り揃えられた頭髪には白いものが混じり、目元には深いしわが刻まれている。
期待していたのとは違うけれど、その顔には確かに見覚えがあった。
「先輩のおじさん、こんにちわー!」
「きみか。・・・ああ、こんにちわ」
「えーっと・・・・。先輩、居ますか?」
丸英明、先輩のお父さん。
あんまり話したことは無いけれど、優しそうで穏やかな雰囲気のおじさんだ。
柔和な顔立ちはよくよく見れば、先輩の面影が垣間見える。
あたしは廊下の奥をちらちらと覗きつつ、先輩の在宅を確かめるのだった。
「うん、居るよ。・・・上がっていきなさい」
「はぁーい!」
言葉少なにそう呟くと、玄関の奥へと消えてゆく。
あたしは、「おじゃましま~す」と小声で言いつつ、後ろ手にドアを締めた。
久しぶりに足を踏み入れた先輩の家は、微かに花のような香りがした。
(芳香剤かな?あたしん家と違うにおいがするのって、なんだか面白い!)
すん、と鼻を鳴らすとくすくす笑いながら、あたしは細い廊下を進む。
前へ目を向けると、ドアの一つを開けておじさんが中へと入ってゆく所だった。
ととと、と小走りでその背を追いかけると、きょろきょろと部屋の中へ視線を巡らせる。
漫画本と新書、それから色んな分野の実用書がちゃんぽんになった本棚、壁に張られたプロレスのポスター。
壁際には使い込まれた勉強机と、その隣に並ぶ小ぢんまりとしたベッドが見える。
その上で寝息を立てる布団を被った人影に、自然と視線が吸い寄せられた。
先輩だ。
ちょっぴり紅潮した頬、ちっちゃな目鼻とお布団の裾から覗く指先。
おでこの上にはぺたりと、貼るタイプの冷却材が張り付いている。
「せんぱ~い。・・・寝てる?」
「うん。起こすかい?」
「ん、大丈夫!せっかくお休みしてるのに、邪魔しちゃったら可愛そうだもん」
「わかった」
すうすうと寝息を立てる先輩は、幼く見える外見がなおさらプリチーで最高だった。
たこ焼きみたいなほっぺを突きたくなる衝動を必死に堪えながら、あたしは遠巻きにその姿を堪能する。
そうやってしばしニマニマしていると、一旦席を外していたおじさんが再び、部屋の中へと戻ってきた。
以前、先輩から聞いてたけど、ホントに物静かな人で全然喋らない。
かといって、それが苦痛という訳でもなく、側にいて落ち着く不思議な雰囲気のおじさんだ。
実の息子である先輩が、常に喋ってるか百面相してるカンジだから、よくもまあ対照的な親子に育ったものだと思う。
そんな事を考えていると、おじさんは無言で手招きしてから、部屋の外へと出て行った。
何だろう?
そう思いつつ後を追いかけると、リビングに置かれたテーブルの前でおじさんは立ち止まった。
薄緑のテーブルクロスの上には、二組のカップが琥珀色の液体をたたえて湯気を上げている。
「今日はすまなかったね。マルも昨日までは元気そうにしていたんだが、疲れが出たのか、あの通りだ」
「いえいえー。あたしも最近まで寝込んでたし、そこはお互い様(?)ですよー」
「そうか。・・・珈琲は好きかい?舌に合うかはわからないが、お茶請けもあるよ」
「ほんと!?」
テーブルを挟んで向かい合わせに座ると、椅子の上であたしは差し出されたお洒落な箱に目を奪われる。
金属製の蓋をそっと開けると、その下からは宝石のように艶を放つ、色とりどりのチョコレートが姿を現した。
「いいの?」と視線で問いかけるあたしに、おじさんは無言のまま頷きを返す。
それ幸いとばかりに手を伸ばすと、掌の上に収まった芸術作品を前に、あたしは目を輝かせた。
つるりとした焦げ茶色の表面には、波打つように細かい襞が走り、頂点には紅玉のように飴細工がちょこんと載せられている。
漂ってくる甘い香りは食欲をそそり、あたしは思わずごくりとつばを呑み込んだ。
箱に印刷されていたのは、海外の有名なお菓子メーカーのロゴだ。
ひょっとしなくてもこれ、すっごくお高い奴だ。
「・・・いただきまーす!」
一瞬、気後れしそうになったけれど、誘惑に負けたあたしはそれをぱくりと口の中に放り込む。
ほろ苦さと、とろけるような甘さ。
割れた中から流れ出る、ラズベリージャムのほのかな酸味。
海外のお菓子はやたらと甘い、と評する人が居るけれど、全然そんな事は無かった。
上品で絶妙な、バランスのとれた甘さだ。
舌の上で味わっているうちにあっという間に溶けてしまい、あたしは落胆の溜息を吐きつつカップの中身に口をつける。
こちらもまた、甘さ控えめのカフェラテ。
普段ならちょっぴり苦めで顔をしかめそうな味だが、先程のチョコのお陰で上手く相殺できている。
はあ、と幸せなため息を吐き出す。
すると、まだまだあるよ、とばかりにこちらへ向けて箱が押し出された。
おじさん、そんな事されたらあたし、堕落しちゃいますよ?
「んんー!こっちの味もおいちー!!」
ひょいひょい、と次々とチョコを口の中に放り込んでゆく。
すごい、色んな種類があるのに全部美味しい!
そうやってリスのようにチョコを頬張っていると、ふと視線を感じておそるおそる視線を上げる。
テーブルの向かい側で、老眼鏡の奥からおじさんはにこにことあたしを見つめていた。
急に気恥ずかしくなってしまい、あたしはカフェラテで残りのチョコを流し込むと、ずい、と箱をおじさんの方へ押し返した。
「おや・・・。口に合わなかったかな?」
「いえ、その。なんか、あたしばっかり食べちゃってごめんなさい・・・。すっごく美味しかった、です」
「そう言って貰えると、うちの開発部も冥利に尽きると思うよ」
「・・・うち?」
おじさんの言葉にきょとんとしていると、その意味を丁寧に説明してくれる。
・・・箱の表面に印刷されていた某メーカー、そこの日本支社が、おじさんの勤め先なんだとか。
このチョコも、開発中の試作品を貰って来たんだそうだ。
先輩の家に脈絡も無く、海外メーカーの高級チョコがあった理由は、そういう事らしい。
そーなんだー、と感心しっぱなしのあたしに対し、おじさんはどこかすまなそうな様子で、先輩の部屋に向けて視線を送った。
「・・・わたしが仕事にかまけて家を空ける事が多いのを、あの子は甲斐甲斐しく支えてくれている。本人は、好きでやっているとは言ってくれているが、それが申し訳なくてね。―――マルは学校で、ちゃんとやれているだろうか?」
「大丈夫ですよー。先輩が世話焼きさんなのはいつもの事だし、本人もそれが性にあってる、って普段から言ってますもん!」
「そうか・・・。あの子は、友達に恵まれたみたいだね」
いえいえそんな、と手を振ってごまかす。
おじさんの穏やかな視線がなんだか気恥ずかしくなってしまって、あたしは顔を隠すように両手をばたばたと振り回すのだった。
おじさんはそんなあたしを優し気に見つめると、ぽつりと呟きを漏らす。
「・・・マルが家のことをやってくれるようになってから、もう随分経つ。あの頃のわたしは、今以上に余裕が無くてね。あの子の細やかな気遣いに、気付いてやる事も出来なかった。あれから時間も経って、互いに随分と落ち着いて来たと思っていたのだが・・・・。ここ数日、あの子から普段の余裕が失われている事に気付いて、気が気では無かったんだ」
「それは―――」
きっとそれは、あたしが眠り続けていた時の事だろう。
余裕のない時、というのは心当たりがある。
あたしも以前、そんな状態の先輩を見たことがあるからだ。
言いよどんだまま、口をつぐんだあたしをちらりと見ると、おじさんは空のカップを下げてカフェラテを淹れ直す。
ことり、とテーブルの上にカップを置くと、初老の男性はグラスの奥からじっとあたしの顔を見つめた。
「きみが大丈夫なら、少し、昔の話をしようか。マルとわたし、親子の関係が今の形に収まった頃の出来事だ。・・・良いかい?」
「・・・うん」
おじさんは多分、最初からこの話をするつもりだったんだと思う。
あたしの昏睡と、先輩の不調。
二つの出来事と、おじさんの言う「余裕」が無くなることの関連性を、きっとこの人は理解してるんだ。
あたしはゆっくりと頷くと、テーブルを挟んで初老の男性を見つめる。
ここからの話は、少し長くなりそうだ―――
今週はここまで。




