∥007-B 在りし日の約束
#前回のあらすじ:叶くんモテモテ?
[明視点]
―――ずきん。
強烈な刺激。
意識が急激に覚醒し、ぱちりと目が開く。
最初に飛び込んで来た光景は、窓枠の外に広がる白一色。
(・・・雪?)
見慣れぬその景色に、思わずそんな感想を覚える。
確か、私達は山間のスキー場へ向けて、車で移動中だった筈だ。
クリスマスを前に大雪が降った12月、大学受験ラストスパート前の息抜きという事で、急遽決まった小旅行であった。
私と、叶と、モガ爺とおヨネさん。
ついでに兵二も居た筈だ。
混雑を回避する為、夜明け前に出発した軽自動車は5名の乗員を乗せ、街灯が照らす山道をひた走っていた。
始めは見慣れぬ夜の道路にはしゃいでいた面々も、寝不足からか次々と脱落。
最後に眠りに就く弟を見届けながら、私も夢の世界へと旅立った―――筈だ。
改めて、眼前の光景を見つめなおす。
到着地点は関東地方の穴場的スキーリゾート、そこには一面の銀世界が広がっている筈、である。
―――が、ぼんやりと映る視界は真っ白。
そこには一点、奇妙な所があった。
白すぎるのだ。
凹凸も染みもない、ただただ一面の、純白の地平。
それは見渡す限り、窓の外に続く地平線の向こう側にまで、果てしなく広がっているように見えた。
まるでゲームの中のような、現実味の無い光景。
―――ずきん。
再び身体を貫く、重く鈍い衝撃。
これは、何だ?
奇妙な情景に加え、先程から続くこの鈍痛。
重ねて疑問が沸き上がるが、何時までもこうしていては始まらない。
論より証拠、私は何故か動かない首をそのままに、視線だけを足下へと向けた。
「・・・・・・あぁ」
溜息のような呟きが漏れる。
納得が行った。
成程、これでは満足に身体を動かせない訳だ。
罅割れた、かすれ声がしんと静まり返った車内に響く。
―――視線の先にある筈の私の下半身は、途方もない力によってひしゃげた前部座席によって圧し潰されていた。
首から下は後倒しとなった座席シートに挟まれ、ビクとも動かない。
続けて視線を上げる。
前部座席の残骸の上には、粉々になったフロントガラスがザラメ雪のように降り積もり、更にその上へ見る影も無く変形した窓枠が折り重なっていた。
車外へと目を向ければ、車体の左前方はめちゃくちゃに変形して内側へと凹んでしまっている。
おそらくは正面衝突、ないし高所からの転落事故であったろう。
軽自動車のやわな車体は外から訪れた衝撃を前にひしゃげ、飴細工のようにひん曲がってしまった。
その余波によって前部座席がもろとも後方へとスライドし、後ろにあった私をプレスしたという訳だ。
くしゃくしゃに圧縮された前部座席を観察していると、ガラス片の合間に埋もれた初老の女性と目が合った。
「おヨネさん―――」
生前のその名が、無意識に口から零れ落ちる。
出発前、準備していた時の場面がフラッシュバックする。
彼女とモガ爺は熟年夫婦のように仲睦まじい間柄だが、籍を入れていない。
そこには二人が、今のように暮らすようになった経緯が関係しているらしい。
傍から見ればお似合いの二人なだけに、被扶養者としてはさっさとくっ付いて貰いたいのだが。
そんな常日頃からの思いもあって、これを機にハネムーンと洒落込んでみてはどうか、と提案してみたのだが。
洒落臭いと、当人にはその場で一喝されてしまった。
(スキーだなんて、かれこれ何十年ぶりだろうねえ)
・・・その割には、旅行鞄に荷物を詰める後ろ姿がやたらウキウキしていた訳だが。
珍しくめかしこんだ彼女のかんばせは、今は凍死体のようにすっかりと青ざめていた。
車体は左側前部を中心に、大きく内側へ向けて破損している。
前部座席に位置取る彼女は真っ先に影響を受け、恐らく即死であったろう。
その末期に苦しみが少なかったであろう事に、私はそっと息を吐く。
光の消えた瞳から視線を外し、私は再びゆっくりと視線を下ろした。
先程はスルーした自らの現状に、改めて目を向ける。
座席シートの残骸で塞がれた視界は、可動域ギリギリまで視線を下ろすことでなんとか、その隙間を見通す事ができた。
それと同時に、私はようやく自らがおかれた状況を理解する。
(なるほど。・・・死んだな、これは)
妙に冷静に、そんな事を口の中で呟く。
隙間からわずかに覗く下半身、ジーンズに包まれたそれは鮮血を吸って、どす黒く変色していた。
腰から下は想像するに、見るも絶えない惨状となっているであろう。
今、取り立てて痛みが無いのは大きすぎるショックに対し、脳内物質が分泌されて一時的に感覚を麻痺させている為と思われた。
おまけに、先程から下腹部より重いものがゆっくりと、せり上がってくる感覚がある。
恐らく、衝撃の余波で内臓かどこかを損傷したのだろう。
現状は理解した。
―――さて、これからどうしようか?
どこか他人事のように、そんな事を思い浮かべる。
その時、ふいに頭上から鈴が転がるような声が降ってきた。
『・・・な、何ですかこれ!?一体何が、どうなってるんですかーーー!!?』
少女の声だった。
小学生くらいだろうか?
可愛らしく幼げな声が、視界の外より響いてくる。
ぱちくりと目を瞬かせていると、やがて窓の外にふわり、と白いものが翻る。
おそるおそるといった様子でそれは、車内を覗き込んできた。
「・・・親方、空から女の子が」
『へぁっ?』
思わず口をついて出たのは、お気入りのアニメ映画の台詞。
ぼやけた視界に映ったのは天使のような、可愛らしい女の子であった。
10代前半くらいだろうか?
健康的なコーヒー色の肌はシミ一つなく、純白のサマードレスがその魅力をより際立てている。
あんぐりと大きく口を開けたままの表情はあどけなく、思わず庇護欲を掻き立てる魅力に溢れていた。
「こんな天使にお迎えして貰えるのなら、苦労ばかりの人生も悪くはないかな―――」
そんな胡乱なことを呟く間も、ゆっくりと意識に霞が掛かってゆく。
先程から、身体が寒くてたまらない。
ぺしゃんこになった脚から、血が抜け続けているせいだろうか。
視界に映る景色は急速に形を失い、私はとうとう意識の手綱を手放して―――
(まだだ!)
―――あと一歩、という所で私は踏みとどまった。
反射的に舌の先を前歯で食いちぎり、その痛みで辛うじて意識を保たせる。
鉄錆の味が口の中を満たすままに、私は気力を振り絞って声を上げた。
「そこの・・・人!・・・私の言葉が、わかりますか?」
『はい』
返ってきた答えに、ほっと息を付く。
サマードレス姿の天使は緊張した面持ちで、ゆっくりと頷きを返した。
それを認めた私は一瞬、彼女に対し何を問いかけるか思案する。
「この、車に。・・・私以外の、生存者は居ますか?」
発言を躊躇ったのは、ほんの一瞬。
次の瞬間には、最も優先すべき事柄が自然と、口から滑り出ていた。
その言葉に大きく目を見開くと、名も知らぬ少女はゆっくりと、確かめるように言葉を紡ぎ始める。
『・・・貴女以外には一人、隣の座席で男の子が生きてます。それ以外の方は、残念ながら。・・・あと、窓から放り出されたのか10m程先で、茶髪の男の人が事切れてます』
「それは―――白い髪の?」
『です』
後部座席には私の他、弟と兵二が乗っていた。
恐らく、車外に飛び出したのは兵二だろう。
あいつ、面倒くさがってシートベルト付けなかったからな。
消去法で生存者が弟と推量し、短いやりとりでそれを確かめる。
何しろ今は、圧倒的に時間が足らない。
最大の懸念が晴れたことに、再び私は内心で安堵の息を吐いた。
血のつながらない同居人の締まらない幕切れに、色々と言いたい事はあるが―――それはまた、後の話だ。
ここから先は、一分一秒も無駄に出来なかった。
再び口を開こうとしたところへ、次に声を上げたのは名も知らぬ少女の側であった。
『・・・助けが、必要ですか?』
「ご親切―――に、ありがとう、ございます。ですが―――私、は―――」
不要です、と呟く言葉の端が吐息に紛れて消える。
私は救助の問いを断ると、肝心の『お願い』を切り出した。
―――視界が暗くなってきた、瞼が重くて仕方がない。
身体が寒い、意識の糸が今にも切れそうだ。
だが―――まだ、終わる訳には行かない。
あと少し、この少女にあの一言を伝えるまでは。
「勝手な願い、では―――あります、が。あなたに、おとう、とを、おねが、い―――でき―――れば―――」
『・・・わかりました。弟さんの事は、私で責任を持ってお預かりします』
「よ、か―――っ」
ぷつん。
そこまで呟いたところで、私の意識は暗転した。
―――それきり、少女の瞼が再び開く事は無かった。
会取明、享年17歳。
かつて閉鎖的な村で神の子として生を受け、そこを飛び出した後は運命に抗い続ける、ただそれだけの一生であった。
何もかもが思い通りにならぬ人生、その中で唯一、弟を後に託せた事だけが、自ら誇るべきと信じられる事であろう。
何処かやり遂げたような、満足気な死に顔。
それを前にして、ヘレンはすっかり途方に暮れていた。
『ああもう、どうするんですかこれ。・・・・・・はぁ。約束しちゃったのは確かですし、やりますかぁ・・・』
やれやれ。
肩を落とすと、何故かちらり、と脇に向けて視線を投げた後に、小さなかみさまは目の前の惨状を片付け始める。
破損した車の残骸が瞬く間に消え、真っ白な床の上には5人の男女の身体が横たえられた。
そのどれもが、見るも無残な惨状を呈する中。
唯一人、雪のような髪の少年だけが、傷らしき傷ひとつ見られない。
少々薄汚れている以外、ほぼ健康体そのものである。
少年は穏やかに目を瞑り、今頃は幸せな夢を見ている頃だろうか。
余人が目撃すれば、奇跡だ、とそれを評するであろう。
しかし、それを前にしてサマードレス姿の少女はお手上げ、とばかりに天を仰ぐのだった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
そっと部屋を抜け出すと、私は廊下を音も無く進む。
束の間、懐かしい記憶に思いを馳せていた。
あれは【学園】に来て間もない頃、一度だけ見た夢の情景だ。
―――私達5名、『谷知村』出身者は何時の間にか、【イデア学園】へと流れ着いていた。
恐らく、現実世界で事故に遭い、そこで命を落とした後に、ここへと招かれたのだろう。
合理的に説明を付けるものの、あの夢で見た光景がそれを否定する。
一度だけ、ヘレン自身に問うた事がある。
彼女は『わからない』とだけ答え、それきり口をつぐんでしまった。
―――『知らない』ではなく、『わからない』。
恐らくだが、彼女自身にも理解の及ばぬ事態があの時、起きていたのだ。
「ヘレン、居るか?」
『はいは~い?』
虚空に向かって呼びかけると、ふわりとサマードレスをはためかせ、夢に見た天使が舞い降りる。
あどけないその顔をじっと見つめると、私は一言だけ問いかけた。
「あの時の、『契約』。あれはまだ、有効か?」
『ですです。明さんと私は持ちつ持たれつ、弟さんを現世へ還すまでの協力関係は、現在も絶賛継続中です♪』
「よし」
にっこりと微笑む少女を前に、そう短く返すと、私は再び思考に耽る。
―――【学園】へ流れ着いた後。
いの一番に、私はヘレンの元へと赴いた。
目的は唯一つ、とある『契約』を結ぶ為だ。
―――私、会取明は契約が果たされるまで、【学園】及びヘレンを補佐し、その協力者であり続ける。
―――契約者、ヘレナ=バルディリスは『Xデー』を乗り越えた後、会取叶を現世へと送り届ける。
当事者である弟には、諸々の事情を秘したままだ。
この『契約』は同郷の3人にも打ち明け、協力し合う事を約束している。
商家クラン『明峰商店』を立ち上げたのは、そのついでだ。
金と人脈は、あって困る物ではない。
その事実を再確認すると、私は空に向かって拳を突き出した。
「契約が果たされるその時まで、私達は共犯同士だ」
『こちらこそ、よろしくお願いしますね♪』
「よろしくな」
こつん、と突き出された拳同士が触れ合う。
何時もの、内心を悟らせない笑顔を浮かべるヘレン。
それに対し、こちらもまた不敵な笑みを返す。
私達は一蓮托生、この先何が立ち塞がろうと、何度世界が繰り返そうと、やる事に変わりはない。
その事実を確認した二人は、しばし無言のまま廊下を進むのであった―――
今週はここまで。




