∥007-20 ヴィカーラ
#前回のあらすじ:ロリ零号の回顧録
[マル視点]
『出ませい―――』
黒髪の女性が発した号令と共に、視界の大半を埋め尽くす勢いで湧き出す鼠の群れ。
鼠嫌いにとっては悪夢のような光景であろうが、その点、この場に居並ぶ面子は大丈夫のようだった。
・・・なんて、一寸現実逃避してみたものの。
目の前の光景は相変わらずの鼠、鼠、鼠、鼠。
上を見ても下を見ても、至る処が小さな黒い身体によって満たされている。
たとい鼠嫌いでなくても、この状況ではそうなってしまいそうだ。
質量保存の法則なぞ知ったことか、とでも言わんばかりの勢いで殖え続ける黒い獣達。
正しく鼠算式の増殖力を前に、前衛を務める令嬢と従者は二人揃って表情を引きつらせるのだった。
「次から次へウジャウジャと・・・【Crimson-Flexible Whip】!!」
「・・・全然、減ってませんね?」
「God damn!!」
「はしたないですよ、お嬢様」
エリザベス嬢の振るう鞭の軌道が無数に分かれ、赤熱したまま黒い波を切り裂いてゆく。
通り抜けた一陣の熱風の後には、燃え尽き消し炭となった鼠達がぼとぼとと落ち黒煙を上げた。
―――が、そんなことなどお構いなしといった様子で、後から後から鼠達は突撃してくる。
二度、三度と迎撃を繰り返すが、一向に衰える気配の見えない鼠の群れ。
その光景を前に、うんざりした様子で真紅の令嬢が地団駄を踏んだ。
「ああ!もう!一体全体、どーなってますのよコレ!!?」
「キリが、ない!ですね・・・!」
真っ赤なハイヒールで石畳を踏んづける間も、右手だけは変わらず鞭を振り続けている。
隣では銀の残像を残しながら、鎧姿の従者が縦横無尽に黒い津波と剣戟を繰り広げる。
今の所、敵の勢いは二人の猛攻で退けられていた。
だが、その後は?
このまま行けばジリ貧だろう。
さてどうしたものか、と思案に暮れる一行であるが、先に動きを見せたのは攻め手側であった。
「・・・ふう!ようやく一段落ですの?」
「お待ちください、後続の鼠が一塊になって―――!?」
このまま、物量作戦で押し切るかに見えた敵側。
しかし、どうやら密かに第二陣を温めていたらしい。
次々と撃退されるうち、とうとう増援が途切れるかに見えた鼠の群れ。
その向こう側から、黒々とした巨大な何かが立ち上がった。
『CHUUUUUUU...!!』
「「「・・・うわぁ」」」
でかい。
とんでもない物量だった鼠の群れの高さをゆうに越える、身の丈20mを越える超巨大な黒鼠。
それを自然と見上げる形となったぼくらの口から、揃って呻き声が上がるのだった。
はるかな高さより、一対の真っ赤な紅玉のような瞳が、じっとこちらを睥睨している。
その少し下、肩の部分に黒髪の女性が音も無く降り立つ。
温度の感じられない視線のまま、彼女はぼくらへ向けて死の宣告を放つのだった。
『博士の敵を、排除します。―――薙ぎ払いなさい、毘羯羅』
『CHU!!!』
「ば、【バブルシール―――」
「失礼します!」
巨大鼠が身じろぎする。
風よりも速く、左方向からこちらへ迫る『何か』。
反射的に両腕を突き出し、防御態勢に入ったぼくを横合いから、白銀の風がかっ攫って行った。
一瞬遅れ、ぼくの居た地点を猛スピードで、丸太のような何かが轟音を立てて通過した。
バラバラと弾丸のように弾け飛ぶ無数の石畳、もうもうと立ち上る土煙。
鎧姿に抱きかかえられたまま、おそるおそる眼下を見下ろす。
空中から眺める巨大鼠は、長大な尻尾を振り切った姿勢でその動きを停めていた。
・・・尻尾?今の、あれが?
床はごっそりと石畳が粉砕され、広範囲にわたって地肌が露出している。
進行方向の壁には弾き飛ばされた石弾が激突し、クレーター状の陥没が幾つも出来上がっていた。
とてつもない威力を物語るその光景に、思わずゾッとする。
「あ、あんなの喰らったらミンチになってしまう・・・!シルヴィアさん、助かりました!」
「お安い御用です。・・・それよりも。今は梓さんを連れて、急いでこの場から離れてください」
「あーちゃんを・・・?わ、わかりました!」
破壊の跡から離れた場所へ着地した後、シルヴィアの言葉につられ、床に寝かせたままの後輩の下へと視線を向ける。
相変わらずぴくりともせず眠りこけたままだが、確かに彼女をこの場へ残すのはあまりにリスキーだった。
四の五の言わず頷くと、ぼくは彼女のところへと駆け寄る。
よいしょ、と片腕を首の後ろに廻して持ち上げると、意識のない肉体の重量がずしりと両肩に加わった。
細身の女の子と言えど、人ひとり分の重量だ。
覚悟を決めてぐっと力を入れると、ちょっとずつ移動を始める。
それを見送ると、鎧の従者はくるりときびすを返した。
「・・・シルヴィアさん達は、これからどうするんです?」
「戦端を開いた責を負って、お二人が退避するまでの時間を稼ぎます。・・・では!」
「あっ―――」
そうとだけ言い残し、さっとその場から飛び立つ鎧の人。
白銀の流星は一瞬のうちに、令嬢と切り結ぶ巨大鼠へと肉薄した後、牽制の一撃を放つと同時に再離脱する。
エリザベス嬢は一瞬、その姿を視界に収めると、以降はアイコンタクトすら交わさず見事な連携で戦闘を再開した。
入れ替わり立ち代わり、立ち位置を変えながら敵を翻弄してゆく主従。
その光景から視線を外すと、ぼくは再びうんせうんせと後輩の身体を運ぶのだった。
「・・・感謝しますわ、シルヴィ。これで少しは、周囲を気にせずに済みますわ・・・ねっ!!」
「お嬢様。あの巨体はどうやら、通常の攻撃ではろくにダメージが通らないようです。・・・先程までとは、明らかに別物ですね。有効打には【神業】による攻撃が必要かと」
「わかってますわ!」
一方。
本格的な戦闘を開始した主従二名。
鞭とサーベル、打撃と斬撃が黒々とした巨体を幾度も叩く。
・・・が、ばらばらと鼠の残骸が零れ落ちるのみで大して効いた様子も無い。
それならば、と灼熱した鞭による一撃を見舞うべく、真紅の令嬢は愛用の鞭を振りかぶった。
「【Crimson Whip】ですわ―――!!」
『!!』
「これを、避けますの!?」
必殺の一撃。
しかし、巨大鼠はその巨体に見合わぬ俊敏さで、さっと後へと飛び退り攻撃を躱してしまう。
突然の事態に、思わず目を見張るエリザベス。
その利き腕が伸び切ったところを見計らったように、再び横合いから尻尾による薙ぎ払いが飛んできた。
ごう、と地響きを上げて通過する破壊の風。
その効果範囲より、一瞬早く女性家令が令嬢を抱えて脱出する。
辛くも難を逃れたものの、依然として油断なくこちらを窺う巨体に、二人は思わず顔を見合わせるのだった。
「攻撃、見切られていますね・・・」
「小賢しいですわね!それにしても・・・。叩いても叩いても、鼠が落ちるばかり。こういう時は―――」
「・・・術者であるあの女性を見つけて叩く、ですね」
野生のカンからか、歴戦の経験からか。
主従が出した結論はぴたりと同じものであった。
巨大鼠には、こちらの有効打となりうる攻撃を見切られている。
対するこちらは、散発的な攻撃ではあの巨体を削りきるビジョンが見えぬまま。
―――となれば、答えは一つ。
今は姿が見えない黒髪の女性、あれを探し出し、倒す事が先決であろう。
鼠達を操っているのが彼女であれば、それがそのまま決定打にもなりうる。
二人は一瞬視線を交わすと、同時に地を蹴り巨大鼠へと肉薄した。
『CHU―――!!』
「遅いですわよ!・・・これを見切れまして?【Sonic Whip】―――!!」
『CHU!??』
「見えました。そこ―――!!」
まずは初手。
真紅の令嬢が石畳に叩きつけられた巨大鼠の前脚をステップで躱し、僅かに生じた隙に鞭を握る手を閃かせる。
目にも止まらぬ連打は音速を越え、風の刃を伴い黒い巨体を蹂躙した。
断続的に響く高音、それと共に表層を覆う鼠達が一斉に剥がれ落ちる。
その下に隠されていた、黒々とした女性のシルエットがわずかに露となった。
そこへすかさず、二番手となる白銀の従者が滑り込む。
両手にサーベルを握り、鋏のように交差する一撃を鋭く、叩き込んだ!
流星の如く刃が閃き、深々と両肩へサーベルの切先がめり込む。
―――が、しかし。
黒髪の女性に見えたシルエットは、次の瞬間ばらばらと崩れ落ちる。
それは無数の鼠の群れへと変わり、細かい粒子なって周囲へと飛び散った。
「偽物!?では本物は何処へ・・・ゴホっ!」
「シルヴィ!?」
「ゲホ、ゲホッ・・・こ、これは!?」
貫いたのが虚像であったと気付き、素早く術者の姿を探すシルヴィア。
その虚をつくように、彼女の周りへ無数に漂う黒い粒子が忍び寄る。
それは、崩れ落ちたかに見えた鼠の群れの残骸であった。
すすのような粒子が兜の下へと這入り込み、呼気に紛れて肺の中へと侵入する。
その瞬間、鎧姿の従者は激しくせき込み始めた。
突如起きた異変に、慌ててその場から退避しようとするシルヴィア。
しかし、いう事を聞かない身体は足をもつれさせ、がしゃんと甲高い音を上げて地面に転がるのだった。
「お嬢、様・・・ゲホッゴホッ!い、息が、吸えな・・・」
『CHUUUU...!!』
「何てこと!くっ、このっ・・・シルヴィから、離れなさいな!!」
身動きの取れない従者へ、地響きを立てながら巨大鼠が迫る。
血相を変えたエリザベスが鞭を振るうと、嫌がるかのように一瞬、その足並みが衰える。
その隙をついて、シルヴィアは這う這うの体で巨大鼠から距離を取ることに成功していた。
しかし、状況は依然好転していない。
(シルヴィの不調、あれは先程の粉を吸い込んだからですの・・・?)
せき込みながらも、再び立ち上がった従者の姿にほっと息を付く。
しかし安心も束の間、忠実なる僕を蝕んだ黒い粒子は、既にあたり一面へと広がっていた。
「こんな・・・いつの間に!?・・・ゴホっ!」
「くっ、お嬢様・・・!ゴホ、ガハッ!」
音も無く周囲を満たす、敵の『攻撃』。
それは、これまでなんとか拮抗していた戦局を、瞬く間に塗り替えていた。
つい先程まで健闘していた二人が、あっという間に息も絶え絶えといった状況へと追い込まれる。
とうとう立っていられなくなり、石畳の上で激しくせき込むようになった二人。
無言のままにそれを見下ろすのは、巨大鼠の肩に佇む黒髪の女性であった。
「・・・衆生に恵みを齎す、毘羯羅大将の権能。その逆位相は、死、病、衰退と枯渇。病毒の煤は音も無く蔓延り、これまで例外なく敵対者を葬ってきました。―――これにて詰みです。やりなさい、毘羯羅」
『CHUUUUU!!』
―――昔話に語られるように、鼠とは子孫繁栄を象徴し、恵みと宝を齎す存在。
しかし同時に、中世ヨーロッパを襲った恐るべき病禍の元凶でもあった。
零号が操ったのは式神・毘羯羅の負の側面。
それを呼び出し、肉体を蝕む病として戦場を満たす。
無味無臭、致命的な濃度になるまで視認も不可能。
『怪力博士』の懐刀として、その敵となる者をことごとく葬ってきた最強の『毒』である。
これまで見せた戦闘における駆け引き、弱点と思しき虚像を作る搦め手、それらは全て、必殺の一手を打つための布石であった。
今、こうして敵となる者全て地に伏せ、無防備な姿を晒している。
それを前にしてなお、女性の瞳に感情の色は宿らない。
無機質な声で、幕引きとばかりに己の僕へと攻撃を命じるのだった。
「【万踏走破】・・・!くっ、足よ、動いて―――!!」
「どいてください!!【バブルシールド】・・・10枚重ね!!!」
「「!?」」
回避不能の状況へ、無慈悲に放たれる尻尾による薙ぎ払い。
白銀の従者は窒息寸前のまま、歯を食いしばり己が主を抱えてそこから逃れようとする。
しかし―――間に合わない。
精も根も尽き果て、無力感を噛みしめながら迫る大質量を睨むシルヴィア。
しかし、その前に小さな身体が走り込むと、両手をめいっぱい前方へと突き出した。
次の瞬間。
幾重にも重ねた水壁が形成され、紺碧の輝きを伴って破壊的な一撃を受け止める。
その一枚一枚に込められた、ありったけの【神力】と巨大な尻尾が衝突し、周囲へ衝撃波となって吹き荒れた―――!
今週はここまで。




