∥007-19 追憶・少女兵器リフレイン
#前回のあらすじ:怪力兵零号だって!?
―――その少女が、神獣『毘羯羅』と契約したのは12歳の時であった。
平安時代より続く陰陽道の名家、土御門家。
その傍流に名を連ねる彼女は、生家において半ば飼い殺されていた。
時は昭和初期、未だ男系の気風の強い時代である。
産みの親にさえ不要物として扱われ、ひっそりと息を潜めるようにして過ごした幼少期。
成長し、一門の本家に仕える召使となった後も、生来の環境からか、内向的な性格は変わらぬまま。
伸び放題の前髪をすだれのように垂らし、人目を避けるように俯いて歩く。
土御門零とは、そんな少女であった。
その運命が劇的に変わったのは、彼女が12の齢で迎えた春。
一門の恒例行事として、一条戻橋へと詣でた折の出来事である。
京都北部、麗らかな元旦の晴れ渡る空。
この場所、一条戻橋には土御門の開祖である、一人の陰陽師に纏わるとある伝承が残されていた。
この橋の下には、人に使役される12体の『鬼』が今も眠るのだという。
その伝承にあやかり、一年の抱負の宣誓ついでにかの『鬼』―――『十二天将』を、己がものにせんと挑む。
いわゆる『試しの儀』が、毎年この地にて催されていた。
代わる代わる、橋の下に潜むモノへと呼びかけては、首を振って引き上げてゆく本家の者達。
零もまた、本家の人間が引きつれた下女の一人として、それを遠巻きに見つめていた。
―――きっと、自分のこれからの人生、ああした華やいだ場に出る事はきっと無いのだろう。
そんな後ろ向きなことを考えていた、その時。
ふと、吸い寄せられるように足下へと視線を落とす。
そこには、少女の小さな足に頭を擦り付ける、一匹の鼠が居た。
前髪の奥で瞳を大きく見開くと、少女は屈みこんで鼠の様子をじっと観察してみる。
雪のように真っ白な毛並み、動きに合わせてちょろちょろと動く長い尻尾。
赤いつぶらな瞳は、まるで紅玉のようだ。
震える指先を伸ばし、そっと掌の上に鼠を載せてみる。
逃げない。
それどころか、掌の上に腰を下ろし、すっかり寛いだ様子である。
(暖かい・・・)
指先から伝わる高めの体温に、少女は思わずほう、と表情を綻ばせる。
しかし、すぐにきょろきょろと周囲を見回し始めると、誰にも見られていないことを確かめ、そっと薄い胸を撫でおろした。
夢のように浮ついていた気分が下がり、何処からか不安の虫が這い寄って来る。
きっと、こんな佳い事はこれから先、二度と起こる事は無いだろう。
なにしろ、動物がこんなに懐いてくれるのは初めてだ。
であるからこそ、幸運の揺れ戻しで明日からはもっと大変な日々が待ち受けているに違いない。
少女は悩む。
どうにかして、この幸せな時間を先延ばしにすることはできないだろうか?
それはまるで、夢のような考えだった。
しかし、それが叶わないと判っているからこそ、ついつい無いものねだりの夢想を続けてしまう。
―――いっそ、この小さな友人を連れ帰ってしまうのはどうだろうか?
数舜、眉根を寄せて考え込む。
再び落とした視線の先で、真っ赤なつぶらな瞳がきょとんとわたしを見つめていた。
いいや、連れて帰ってしまおう。
明日を嘆くのは明日やればいい。
ヤケクソ気味に意を決すると、零はそっと包んだ掌をそのまま手荷物の中に入れる。
そうして、何事も無かったかのようにその日を過ごし、帰途につくのだった。
―――手荷物の中から、鼠の姿は消えていた。
密かに落胆する少女。
猫の額のような小さな自室の中、持ち帰った手荷物をひっくり返し、さんざ探し回った末の出来事である。
やっぱりだ。
わたしの人生はこれからも、ずっとこうなんだろう。
少女がひとしきり、ネガティブな思考に耽った後。
ふと気が付くと、床の上についた膝頭をちょいちょいと、小さな手が引っ張る感触があった。
おそるおそる視線を落とす。
果たして、あの時見た鼠がそこに居るではないか。
(いた―――!)
声にならぬ叫びを上げ、思わず手を伸ばす。
しかし、伸ばした先で小さな手は空を切っていた。
ぱちくりと目を瞬かせる少女。
もう一度視線を落とすと、伸ばした手が地面に落とした影の中で、何かが蠢いている。
更にじっと目を凝らし見守っていると、影の只中よりにゅるりと、一匹の鼠が首をもたげた。
―――鼠は、少女が無意識のうちに契約した『式神』であった。
十二天将、毘羯羅。
古代インドにルーツを持ち、薬師如来の眷属とも言われる存在。
中国より伝来する折、十二支と結びついた事により、鼠の姿にて現されるようになった―――神の獣。
その日、その時より毘羯羅は少女を主と仰ぎ、付かず離れず付き従うようになった。
無論、大騒ぎになった。
何しろ十二天将。
一門の内でも神格化されている開祖、それが従えたという『力』の一端である。
それを、無力と見られていた傍流の小娘が従えたのである。
少女を取り囲む環境、そして、集う視線。
その全てが180度様変わりした。
驚愕、賞賛、羨望、そして―――憎悪。
振って沸いた珍事に、ことさら持てはやす者、疎む者、そのどちらもが何処からともなく現れ、少女の周囲をうろつき始めた。
そうでない者は、油断なく少女の一挙一動を観察していた。
彼等の思考は唯一つ。
如何にして、天将の力を自分の勢力へ引き込むか?である。
契約者の少女の事なぞ最初から眼中に無く、あくまで式神の付属物として見られていた。
所詮は小娘。
都合よく利用し、使役法を研究させ、しかるべき後に天将を我が物とすればよい。
それが敵わぬならば―――殺せ。
一方、零の身柄は土御門本家に引き取られ、少女は毘羯羅の担い手として腫物のように扱われていた。
目まぐるしく変わる日常、環境、そして交友関係。
本家での生活初日、顔見せとして引き合わされた場にて。
気弱な少女は剥製のようにぴんと固まりながら、内心頭を抱えていた。
今まで、関わることすら無いと思っていた天上人。
本家の陰陽師達から、じろじろと無遠慮な視線を向けられている。
ただ、見られるだけならまだ良い。
しかし―――その視線の中には、明確な殺意が混じっていた。
(怖い、怖い、怖い、怖い―――)
その場では特に何事も無く、それから数日は平穏な時間が流れる。
しかし、臆病な少女はゆっくりと、確実にその精神をすり減らしていた。
住み慣れない環境、ほとんど顔も知らぬ新しい家族、同居人。
今まで誰にも顧みられなかったからこそ、ある意味では気楽でいられた少女の人生は、いざ注目の的となればかえって針のむしろへと化した。
日に日に食が細り、憔悴してゆく少女。
しかしそんなある日、彼女の下へ一人の来客があった。
(だれ・・・?)
見知らぬ青年である。
齢18・9といった所か、やたらと目力の強い、眉目秀麗なる男子であった。
鳥保野と名乗った青年は、帝国陸軍に新設された研究所の所属である、と自己紹介を続ける。
軍では今、霊的な力を研究し、来る米国との決戦における切り札とすべく、研究が進められている―――とか、何とか。
聞いていてもちんぷんかんぷんであるが、彼が土御門家へ協力の打診に訪れ、方々たらい回しにされた事だけは理解できた。
要するに、彼はこの場において自分と同じく、不要物なのだ。
なんとも不謹慎な理由で親近感を覚えていると、勘違いされたのか破顔した青年はこんなことを言い放った。
「いやぁ、陰陽師の皆様は気難しい!その点、君は話し易くて助かるなぁ。・・・所で君。家の皆は、良くしてくれているかね?」
不意を突かれたように、思わず正面へと視線を戻す。
煌々と燃え盛る灯火の如く、強い光を宿した双眸がわたしをまっすぐ見つめていた。
どきりと心臓が跳ねる。
胸の奥で、じりじりと燻るものが熱くなった、そんな気がした。
青年の大きな瞳を覗き込みながら、ぽつりぽつりと口が勝手に言葉を紡ぎ始める。
これまでの半生。
一条戻橋での出会い。
生家でも、この家でも、自分に居場所などはなから無かったのだと。
いっそのこと消えてしまうか、どこか遠い所へ行ってしまいたいのだ―――と。
「―――それはいけない!」
大きな声がした。
びっくりして視線を上げる。
少年のような、きらきらとした瞳と視線が交差する。
青年の瞳は、まっすぐ少女を見つめていた。
胸の奥で燻っていた『何か』に、ぽっと火が点った―――そんな気がした。
男は語る。
自分は故あって、志ある若者を探している。
来るべき米国との決戦に備える為、今は一人でも多くの志士を集める必要があるのだ。
だが、そんな事はどうでもいい。
君が、未来ある少女が人生に絶望している。
大きなだけで寒々しい家に独りぼっちで、心の中で泣いている。
それが、何よりも我慢がならない!
君だ、君の事が必要なんだ。
帝國において、婦人を取り巻く環境は未だ旧態然としたまま。
世に遍く女性達の立場を改め、改善してゆくには一人一人が声を上げ、成果を示さねばならない。
その為の方策、乾坤一擲のプランがぼくの胸の内にある。
「どうだろう?君さえよければ、ぼくと一緒に第18研に来てもらえないだろうか―――」
真っすぐに差し出された手。
青年の頬は好調し、きらきらと輝く瞳はいっそう力を増している。
それに魅せられたように、少女はその手を取っていた。
―――こうして、少女は帝國最初の人間兵器、『怪力兵』としての人生を歩み始めた。
実のところ、鳥保野には打算があった。
少女の経歴、家中の人間の反応から、その内に秘めた孤独を見抜いていたのである。
が、しかしそれを上回る熱意があった。
少女を前に、面と向かって言い放った言葉はまごうこと無き、彼の真意そのものである。
強かな打算と、まっすぐでひたむきな志。
その両輪が、青年を研究に駆り立てる原動力となった。
二人はそれから決して離れず、激動の時代を生き抜いて行くこととなる。
病めるときも、健やかなるときも。
―――あれから数十年。
時代の波は全てを押し流し、何もかもが様変わりしていた。
少年のようなまなざしはそのままに、かつての青年は凶事を繰り返す逃亡犯へと変わり果ててしまった。
それに付き従う自分もまた、幾度となくその手を汚している。
老いさらばえ、見るに堪えない残骸へと成り果てた、かつての少女。
しかし、その胸の内にはあの日灯った『熱』が、今でも赤々と息づいている。
病めるときも、健やかなるときも。
二人は決して離れず、これからも歩んでゆくのだ―――
今週はここまで。




