∥007-17 白化
#前回のあらすじ:連携攻撃発動!結果は・・・?
[マル視点]
「―――さて、出発前におさらいしておこうか」
【揺籃寮】の一室にて。
ぼくは『剣』の製作者である、黒髪の少年と向かい合っていた。
時系列は最後の探索に出発する前、寮を出る直前に、彼の部屋を訪れた折の出来事だ。
「君に渡した試作品―――『パラケルススの剣』は、伝承に伝わるアゾット剣を模して作られたものだ。現在のそれはただのモックアップだけれど、キモとなる機能については完成品と同様のものを搭載してるよ」
「結局、完成品は間に合いませんでしたね・・・」
「僕もまさか、制作開始早々にコレが必要となるとは予想してなかったからね。でも、耐久性を除けば機能的には問題ない筈だ。扱いについては、君なら大丈夫だよね?」
「それはもう、みっちり仕込まれましたから」
薄暗い室内の中、くすくすと二人が笑う声が木霊する。
彼と二人、あるいはチビオヤジ二名を加えた四人で過ごした日々。
試作品のテストを通じて、この奇妙な『剣』とはそれなりに長く触れ合ってきた。
お陰様で、その扱いに関しては一定の自信を有していると言えよう。
「本来のアゾット剣は、錬金術の秘奥を体現する究極の錬金術具だ。・・・ただし、その『剣』からは大いなる術を再現する機能をオミットしてある。その理由を君は覚えてるかい?」
「『賢者の水銀』『賢者の硫黄』『賢者の塩』。錬金術の工程に必須な三要素のうち、硫黄の存在が欠けてるから。・・・でしたっけ?」
「そう。本質の世界からの来訪者であり、『賢者の水銀』そのものである神使メルクリウス。そして神への位階を昇り始めた君の肉体。これは『賢者の塩』に通ずるから、これで二要素。これらは常に使用者と共にあるけれど、真なる火である『賢者の硫黄』は欠けたままだからね。工程を最後まで完遂するのなら、どこか別の所から用意するしか無い」
―――『大いなる術』とは、錬金術における最終目的。
卑金属の錬成による金の生成、あるいは『賢者の石』の創造を意味する。
物質的な浄化、純化の段階から、精神的な浄化を経て、神の領域へと至る。
それを為すのが本来の『剣』の機能であるが、諸事情によりその機能は封印されているという訳だ。
「『パラケルススの剣』で出来るのは、黒化、白化の二段階まで。それだけでも物質の組成をかなりの部分まで操作することが可能だ。これまでテストして貰った君なら、ご存じの通りでしょ?」
「色々やりましたからね・・・。泥水から水を、ミルクティーからミルクを、色んなモノを抽出したり逆に混ぜたり―――」
「ふふ、途中からほとんど無心で取り組んでたよね。・・・この『剣』は、本来とは異なる状態を治す、異物を抽出する機能に特化している。行方知れずになった娘が居るんでしょ?その子が何か、外的要因によって脅かされているのならば、きっとこれが役に立つ筈さ」
「・・・はい!必ずあーちゃんを連れ戻してみせます!!」
「ふふ、期待して待ってるよ」
すっかり手になじむようになった円筒を撫でながら、ぼくは深々と楓さんへ頭を下げる。
きびすを返し、勢いよく戸口から飛び出すぼくを見送り、黒髪の少年は小さく手を振るのであった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
―――そして、現在。
コバルトブルーに輝く水の膜に覆われ、突撃槍と化した『パラケルススの剣』。
その先端が、輝く盾と衝突する。
これまで如何なる攻撃も寄せ付けず、その悉くを防いできた光の楯。
水刃の切先はそれと衝突し、脆くも砕け散ってしまう―――かに思えた。
しかし、儚げな刃の先は盾を素通りし、ほっそりとした身体の中心へと吸い込まれる。
ガラスのような瞳に小さな驚きを点したまま、少女兵器はびくん、と痙攣し、その動きを停めた。
「キャシー・・・っ!?」
「大丈夫!この刃は―――生命を傷つけない!!」
少女の胴へ深々と突き刺さった刃に、エリザベスが思わず悲鳴を上げる。
ぼくはそれに短く答えると、切先へと精神を集中させた。
―――そう、起動状態の『パラケルススの剣』に殺傷能力は無い。
現在、『剣』表面を覆っているメルのボディは、『本質の世界』に在った頃の状態へとチューンしてある。
すなはちそれは、物質というより、霊的存在としての『水』。
可変性、可溶性を現すエレメンタル。
『賢者の水銀』に、より近い状態なのだ。
故に、その切先はあらゆる物理的障害を素通りする。
そして、ぼくとあーちゃんは今、【神使】を通じて霊的に接続されていた。
自我と自他が重なり、己を定義する境目が揺らぐのを感じる。
『剣』を介して流れ込んでくる少女の意識は、波一つない湖面のように静かだ。
(見つけ出せ―――)
真っ黒な夜の海をかき分けるようにして、後輩の意識の奥底へと潜ってゆく。
ぼくが求めるのは、彼女が豹変した、その元凶。
そいつは今も身体の内に潜み、その精神を操っている筈だ。
人体の重さの六割は、水である。
そこに主眼を置くのならば、人とは水に溶いた肉と、骨を詰め込んだ革袋だ。
その全身隅々に至るまで、『水』は例外なく存在する。
それを介し、ぼくはより深く深く、彼女の内面へと分け入って行った。
チャンスは恐らく一度きり、失敗は許されない。
自我の境界が揺らぐ。
ぼくは今、何処に居るのか?どこからどこまでが己か?その総ての境が、次第に曖昧になってゆく。
首筋をひやりと撫でる感覚。
しかし、まだまだ引く訳には行かない。
精神を研ぎ澄ませ。
ほんの僅かな違和感も見逃すな。
もっと集中しろ、もっと、もっとだ。
もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと―――
(見つけた!!)
どす黒く、濁ったオーラを放つ『それ』。
身体の中央、臓腑の奥深くにそいつは潜んでいた。
ぼんやりと朧げになりかけていた自我を奮い起こし、ぼくは声なき叫びを上げる。
視界が赤く染まり始めた、立ち眩みが酷い。
【神力】切れの予兆、かまうもんか。
さらに集中、ここから先が肝心だ。
後輩の身体に後遺症を残さぬよう、寸分の狂いもなく『異物』のみを除去せねばならない。
極限にまで研ぎ澄まされた精神の中、瞬きする間が数千秒にも感じられる。
彼女に受けた恩を返す時だ、命を懸けるなら、今!
魂を奮わせろ、声の限り雄叫びを上げろ!
「―――黒化ッ!!」
『パラケルススの剣』の機能を解放。
第一段階の起動キーに呼応し、水銀の刃が黒く染まった。
『賢者の水銀』はあらゆるものを溶解し、その内へと取り込む。
水刃の切先は、正確に異物の中心を刺し貫いていた。
嫌がるように身をよじるそいつを溶かしつくし、『剣』の内へと格納。
起動状態の剣は、一種の錬金フラスコとして機能する。
その内部に於いてはあらゆる物質と霊基は最小単位にまで分解され、異なるモノへと再構成されるのだ。
物質錬成、その工程を極限にまで引き延ばされた時間の中で繰り返してゆく。
細心の注意を払って本来あるべきモノと、そうでないモノとにより分ける。
総ての個性化を完了した瞬間、ぼくは第二の起動キーを叫んだ。
「―――白化ッ!!」
水銀の刃が白く染まる。
第二の機能は、霊的領域への干渉。
異物により操作されていた精神を浄化し、本来の自我を取り戻す。
『それ』が収まっていた処にぽっかりと開いた孔。
『剣』の中から選り分けた、本来の構成要素によってそれを塞ぎ、癒し、徐々にあるべき形を取り戻させてゆく。
疲労にぼやける視界の中、総ての工程が完了したことを確かめると同時に、ぼくは彼女の体から水刃を引き抜く。
―――コバルトブルーに輝く切先には、掌大の芋虫が串刺しにされていた。
「なんと!?」
「あぁ、腹中蟲が・・・」
全体をてらてらと光る粘液に覆われながら、びくびくと痙攣を繰り返す妖虫。
突如として現れた異様な姿に、その場の皆が一様に息を呑む中。
どこか嬉し気に声を上げる『怪力博士』の傍らで、黒髪の女性は気だるげに嘆息するのであった―――
今週はここまで。




