∥007-10 霊妙たる角度を越えて
#前回のあらすじ:おむすび ころりん
[???視点]
『・・・博士』
薄暗い部屋の中に、か細い女の声が響く。
声を掛けられた人物は机の前にかじり付き、一心不乱にノートの切れ端へ何かを書き込んでいた。
その姿をしばし見つめた後、再び女の声が響く。
『・・・博士』
「ンン!何だね零号、今イイ所なのだから邪魔しないで欲しいのだが!」
『御心のままに・・・と、言いたい所ですが。侵入者です』
「にゃにぃ?」
零号、と呼ばれた女の一言に、博士は書き物をする手をぴたりと止める。
男はそのまま立ち上がると、ペンを放り出しつかつかと女の前に歩み寄った。
菫色の光を放つ燭台に照らされ、博士の容貌が薄闇の中浮かび上がる。
口元に黒々とした髭を蓄えた、40がらみの美丈夫であった。
細身でこけた頬とは対照的に、爛々と輝く瞳はその内に秘めた、マグマのような生命力を物語っているかのようだ。
着た切りでよれよれの白衣のすそを引きずりながら、男はじろりと零号のほっそりとした顔を見つめ返す。
束の間、両者の視線が交差する。
博士の視線をどこか陶然と受け止めた後、すっ、と音も無く、くすんだ金属製の鏡が差し出される。
男が注視すると、丸い鏡の中心にぼんやりと光が点り、それは次第に何処かの風景を映し出した。
「少年と―――猫、か」
『子供達の一人と、視界を同期させました。場所は外郭の端、連れている子猫は式神のようです』
「猫又か!成程、零号の術とは相性が悪い訳だ」
『面目次第もございません。・・・始末しますか?』
「いいや?」
淡々と告げられる物騒な内容。
それに、男が返したのは否定の一言であった。
薄暗い部屋の中をうろうろと歩き回りながら、博士はこれからの計画を素早く練り上げてゆく。
「・・・隠蔽が割れた以上、研究所はすぐに見つかるだろう。仮に今、彼を始末したとして、第二、第三の追手がすぐに現れるだろうなあ。今、優先すべきは情報の収集、そして―――次の潜伏先への移動だ!そういう訳で零号。彼は、此処へ招待するとしようか」
『かしこまりました。出迎えと、尋問の準備を進めてまいります』
「うむ!丸太の補充もしたかった所であるしなぁ、拾号の話し相手としても、丁度良いかもしれん。―――そうだな?」
『ハイ。・・・アリガトウゴザイマス、博士』
愛着もあるであろう拠点の放棄を、あっさりと決断する博士。
歴戦の逃亡犯らしいその振舞いに、うやうやしく頭を垂れる零号。
満足げに頷いた男は目を細めると、彼女とは逆方向の薄闇へと呼びかける。
それに答えた声は無機質で、いかにも人形じみたものであった。
石床の上に安置された一脚の椅子、その上に腰かける少女が、一人。
店先に展示されたマネキンのように微動だにせぬまま、その視線だけをじっ、と博士へ向けている。
細身で長身、均整の取れたモデル顔負けの肢体。
その表面は、ラバーのようにつるりとした質感のスーツによって、全身ぴったりと包まれていた。
その背中には、艶やかな黒髪が広がっている。
腰まであるそれは背中のところで一つに纏められ、リング型の髪留めによって纏められていた。
シンプルな装飾の髪留め。
その中心には、白い輝きを湛える【戴冠珠】が収まっていた―――
・ ◆ ■ ◇ ・
[マル視点]
「トンネルを抜けると、そこは見知らぬ廊下でした・・・と」
『フンフン・・・』
石床にへたり込んだまま、ぽつり。
呆然と呟くぼくの隣では愛猫のりんが、落ち着かない様子でしきりにニオイを嗅ぎまわっている。
たった今の発言の通り、摩訶不思議な空間を通り抜けた直後、唐突にこの場所へとぼくは放り出さた。
そんな出来事が起きたのが、ついさっき。
現在居るこの場所だが、まるで見覚えのない所だ。
つい先程まで歩き回っていた、古びた倉庫とは似ても似つかない。
あちらは埃塗れで薄暗い、人気の無い空間なのに対し、こちらは清潔で埃一つ無く、石畳が広がる床には確かな生活感が感じられる。
等間隔に配された燭台も、加工された【魂晶】が放つ淡い菫色の光を湛えている。
少なくとも、建物を清潔に保ち、灯りを絶やさない程度には、人の手が入っている事は確かだ。
そして、これらの設備をメンテナンスし、機能するよう保つ『誰か』が何処かに居るという事でもある。
「マズい、どうしよう・・・?こういう時は・・・そうだ、捜索本部に連絡!もしもし、もしもーーーし!??」
『・・・』
「ダメだ、繋がらない・・・!」
『―――無理だと思いますよ?この場所、外部からは隔離されてますのでー・・・』
「・・・ヘレンちゃん!?」
とんとん、とんとんとん。
通信開始、緊急連絡のサインを連続して送るが、イヤーカフは沈黙したままだった。
なおも諦めきれず呼びかけていると、ぷつり、と短くノイズが走る。
慌てて耳をそば立てると、そこから聞き覚えのある声が響いた。
あまりに予想外のその声に、ぼくは思わず小さく叫びを上げる。
『はい、お呼びにあずかりましたヘレンちゃんです!寂しい中、私の声が聞けて嬉しいのはわかりますがー。ちょっと、声を落としてくださいねー?』
「こ、これは一体どういう事なのさ・・・!捜索本部のみんなは!?(小声)」
『残念ながら、【揺籃寮】に居る皆さんに通信は届いてませんよー?』
耳元に響く声は、かの夏空少女、ヘレンちゃんのそれであった。
彼女とは後輩の捜索が始まった頃、顔を合わせたきりの筈だ。
あの時受け取ったチケットは、今でも背負い鞄の中に仕舞い込んである。
それが、今になって急にコンタクトを取ってきた理由は何だろうか?
『今、私がこうしてお話できているのは、渡したチケットを通じてお兄さんの様子を見守っていたからなんです。明らかに先程、通常とは異なる空間に突入した反応がありましたがー。何か、起きませんでした?』
「・・・あ!」
彼女の言葉に、つい先程の出来事を思い出す。
熱を出した時に見る夢のような、わけのわからない光景が視界一杯に広がる。
かと思えば、次の瞬間には全く別の場所へ放り出されていた。
あの光景が、ヘレンの言う『通常とは異なる空間』なのだろうか?
「そういえばついさっき、妙ちきりんな空間を通ったと思えば、ここに放り出されたんだった!部屋の隅をおりんちゃんがしきりに気にしてて、爪で引っ掻き始めたと思ったら、それで・・・」
『うにゃ・・・』
『ふむふむ・・・なるほどなるほど?恐らくですが、お兄さん達は次元の『外』に落っこちたのでは無いかとー?』
「次元の・・・外?」
『ですです。我々人類は現在、三次元宇宙に住んでます。ですが、次元世界はそのまた更に外側にまで広がってるんです。四次元、五次元、あるいは余剰次元といった『外』の世界は、人間には認識できないだけで、案外、私達の近くに口を広げているんです』
この宇宙が三次元の世界というのは、どこかの本で読んだ記憶がある。
縦・横・高さで三次元、それに時間を加えて四次元。
それがぼくらの認識する次元世界である、そんな話だっただろうか。
「じゃあ、一瞬見えたあの空間が、世界の外側にある高次元世界だった・・・?」
『ですです』
「ぼくらはこの場所まで―――超空間移動してきたってコト!?」
『大体、その認識で合ってますねー』
『上』の次元空間を通って移動することで、三次元世界で見れば離れた場所と場所を繋ぐ事ができる。
遠い距離も一瞬で移動できる方法がある、というのが、いわゆるワープの原理だった筈だ。
そんな現実味の無い話を、耳元で囁く声はあっさり事実だと認める。
『三次元世界と高次元世界は、特定の『角度』を通して繋がっているんです。古の魔導士達はそれを解き明かして、高次元世界への扉や、瞬間移動の手段として用いてました。通常、人間の感覚は『外』の世界との繋がりを感知できません。ですが動物の中には、それを感じ取る超感覚を持つモノが稀に居るんです』
「おりんちゃんがあの空間に入れたのは、ひょっとして・・・?」
『ですです』
SF小説の中で登場する、超空間航法。
それと同じ理論が、ぼくたちをこの空間へと導いたのだという。
にわかに信じられない事実を語るヘレンであったが、今、ぼくの周りに広がる光景が動かぬ証拠だった。
驚愕の事実に呆然とするぼくに、イヤーカフから響く声は更なる事実を語る。
ぼくらがこの場所へたどり着けたのは、どうやらりんが頑張ってくれたお陰らしい。
『数秘術を修めた魔女、キザイア=メイスンは鼠を使役することで、空間を支配する『角度』を見出すことに成功しました。昔語りに登場する小動物が、主人公を不可思議な空間へと誘うエピソードには、そういう真実が裏に隠されていた訳ですねー。鼠を狩るモノである猫達もまた、世界の裏側へ這入る手段を知る動物の一つなんです』
「そんな事が・・・」
ぼくの呟きに、ヘレンは短く相槌を返す。
今のが事実とすれば、おりんちゃんを連れてきたのは大正解だった訳だ。
彼女のことを後でたっぷり労ってあげよう、とぼくは密かに心に決めるのだった。
『そして、ここからが重要です。今、お兄さんが居るのは敵の懐、周囲から隠されていた本拠地、そのものなんです。ですので―――何か異変があれば躊躇わず、すぐに私のことを呼んでくださいね?』
改めて、少女の声はここが、求めていた『怪力博士』の拠点―――秘密の研究所であることを告げる。
それは同時に、後輩がこの場の何処かに居る可能性を示していた。
緊張に思わず拳を握るぼくに、夏色少女は何かあれば躊躇わず、自分を頼るよう改めて告げるのであった―――
今週はここまで。




