∥007-09 壁の中を鼠が走る(後)
#前回のあらすじ:おいで おいで
[マル視点]
ぎぃ、ばたん。
背後でドアの閉じる音が響く。
レンガ造りの建物の内部は薄暗く、並ぶ棚の上には用途のわからないガラクタが所せましと積み上げられていた。
全体的にホコリっぽく、棚の一部には蜘蛛の巣が張っている。
長らく使っていないか、ほとんど人の手が入っていない様子であった。
すん、と鼻を鳴らすと、すえたような微かなニオイが鼻腔に広がる。
(・・・ネズミのふんの臭いだ)
懐かしい記憶がフラッシュバックする。
近所のとある居酒屋、その裏手には食べ残し目当てに、周囲からドブネズミが集まって来ていた。
顔見知りの店主は常日頃から、その対応に悩まされていたのを覚えている。
幾度か、近くを通る時丸々と太ったでかいネズミが、足下をちょろちょろしている姿を見かけた事があった。
・・・あの店裏で嗅いだのと、同じだ。
「お邪魔しますよ~・・・っと」
『フンフン・・・』
小声で、居るかもわからない倉庫の主に断りつつ、そろそろと建物を進んでゆく。
足下ではしきりにあちこち嗅ぎまわりながら、小さい相棒がゆっくりと歩みを進めている。
と、そこで急に彼女の足が止まった。
「どうかしたの?」
『にゃ・・・!』
愛猫の様子に首を傾げていると、彼女はじっ、と一点を注視したまま短く鳴き声を上げる。
そちらを見やれば、暗闇の中にぽっかりと穴が開いたように、薄く光っている一角があった。
その中心に、細長い何かが落ちている。
「あれは・・・!?」
差し渡し1m弱の、シンプルな木製の弓。
記憶が定かであれば、あれは後輩が時折使っていたものと、同じ代物ではないだろうか?
それが何故か、無造作に床の上に落ちている。
そのあまりの脈絡のなさに、罠の可能性を考えてぼくは周囲を注意深く見渡す。
しかし、暗闇の中に誰かが潜んでいる気配も、突然襲ってくる敵が居る様子も、何も感じられなかった。
「うぅ~~~ん・・・。何はともあれ、手掛かりになりそうだし、回収しないとだね」
『フーっ!!』
「おりんちゃん?・・・」
小走りに弓の所まで駆け出そうとした、その矢先。
それまで訝し気に暗闇の中を見つめていたりんが、急に鋭く警戒の声を上げた。
弓のところへ視線を戻す。
周囲の闇がもぞり、と波打ち―――
否。
それは暗闇などでは無かった。
闇の中、爛々と輝く無数の金色の瞳がさっと輝く。
それは無数に集い、群れを成したネズミの大集団であった。
「い・・・いつの間に、こんな!?」
『ヂヂッ!』『チィ、チィチィ』『ヂューッ!!』
その数、ゆうに千を越えていた。
床、壁、棚の上から天井に至るまで。
古木にこびりついた苔のごとく、黒々とした小さな身体が部屋中を埋め尽くし、ざわざわと蠢いている。
それは全体が、一つの意志を持つ怪物の如く。
ざわめき、波打ち、いっせいに侵入者であるぼくらへと殺到する―――!!
(・・・やられる!?)
『フーッ・・・フシャーッッ!!!』
『――――!!?』
黒い濁流のように、部屋の至る処から押し寄せたネズミの群れ。
あと一歩という所で、しかしそれは四つ足をふんばりあらん限りの声を上げた、一匹の子猫によって阻まれていた。
鶴の一声によってびくり、と動きを止める黒い影。
それは次の瞬間には、蜘蛛の子を散らすように散り散りになって逃げ出していた。
再び瞬きする頃には、あれだけ部屋を満たしていたネズミは一匹残らず消え去ってしまった。
後に残されたのは、埃っぽいレンガ造りの内装と、床にぽつんと残された一張の白木の弓のみ。
しばし、ぽかんとその光景を眺めていたぼくだったが、ようやく正気に戻ると、ゆっくりと歩み寄り簡素な弓を拾い上げるのだった。
「な、何だったんだろ、今の・・・?」
『なうー・・・』
「おりんちゃんも、助けてくれてありがと。それにしても・・・。これ、あーちゃんの実家にある弓で、間違いないよね。それが何で、こんな所に―――?」
ぱっぱっと軽く手で埃を払うと、白木の弓は物言わずぼくの手に収まる。
幾度か目にした事があるが、羽生神社のご神体である品と瓜二つ、そっくり同じだ。
それを、後輩を探しに来た先で見つける、という奇妙な状況に、思わず首を傾げてしまう。
わけがわからない。
しかし―――これはきっと、大きな手掛かりに違いない。
ぼくは無言で一人頷くと、右耳に掛けたイヤーカフの先端を2回、指先で叩いた。
『―――こちら本部。どうした?』
「えーっと、マルです。路地裏の倉庫の中で、あーちゃんの私物、らしき物を見つけました」
『何だと?・・・少し、待て』
ややあって、イヤーカフから少しハスキーな声が響く。
耳に心地のいいその声にそっと安堵を覚えていると、通信機の向こうでは何やらばたばたと慌ただしく音が響き始めた。
しばしそうしていると、再び明の声がイヤーカフ越しにぼくに耳朶を揺らした。
『すまん、待たせたな。それで、何を見つけたんだ?出来る限り正確な場所と、状況を頼む』
「場所は、人造湖東岸のメインストリートから外れた所で・・・。あ、そっちの【伏龍の盤】に居場所、出てません?」
『現在地の同期は生きてる。今の話を聞く限り、まるきり見当違いの場所を指してる、って訳でも無いようだな』
「よかった。えっと、それで。見つけたのは、あーちゃんが時々使っていた梓弓です。木製で白っぽい、シンプルな装飾の少ない和弓なんですけど・・・。誰か、知ってる人います?」
『・・・彼女のクランメンバーに、それらしき代物を見たことのある者が居た。それが、お前が現在居る場所に隠してあったのか?』
「いえ、ぽつんと床の上に放置されてました」
我ながら、脈絡のない報告である。
捜索本部も予想外の事態だったのか、それきり沈黙してしまった。
気まずい静寂が流れた後、少しハスキーな声がしんと静まり返った倉庫に再び響く。
『・・・罠じゃないのか?』
「あ、やっぱりそう思います?でも、なんとなーく、そういうんじゃないと思うんですよね、これ」
『根拠は?』
「勘です。・・・あえて言うなら、あーちゃんだから、ですかね?」
『勘・・・。勘かぁ・・・』
やはりと言うかなんと言うか、思いっきり怪しまれてしまった。
呆れ混じりの声にそう答えると、ぼくは思わず苦笑いを浮かべる。
確かに怪しさ満点の状況だが、この脈絡の無さ、無作為からは普段見慣れた、羽生梓の息遣いのようなものを感じるのだ。
それを伝えると、通信機越しの声はうんうんとしばし唸った後、ついに諦めたように長く息を吐き出した。
『・・・えぇい、こうして悩んだ所で始まらん。今はとにかく、その場所をくまなく探してくれ。すぐに周囲の面子を向かわせるから、くれぐれも無茶だけはするなよ?』
「了解!」
本部との通信はそこで終わった。
貝のように口をつぐんだカフから手を放すと、ぼくは足下からこちらを見上げるグリーンの瞳に微笑みかける。
「じゃ、行こっか」
『にゃあ』
そんな短いやりとりを交わすと、一人と一匹は再び薄暗い倉庫を歩き始めた。
その姿を追うように、周囲の暗闇の中では無数の影が走り、微かな音を立て続けるのであった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
それから小一時間後。
早速だが、ぼくらは途方に暮れていた。
意気揚々と探索を始めた倉庫であるが、早々に内部を歩き尽くしてしまったのだ。
外見からはそこそこの広さがあるように見えたが、十分足らずで総ての部屋を見終えてしまった。
現在は、あちこちに放置されたガラクタの隙間から壁や床を覗き込みつつ、ああでもないこうでもないと首を捻っている所である。
「おっかしーな~・・・。絶対、何かあると思ったのに。隠し扉も、地下へ降りる階段もなし、なーんもなし!」
『・・・(小さくあくび)』
たった今口にした通り、倉庫の内部には後輩が隠されていそうな場所は、何処にも無かったのである。
それでも何か見つかれば、とばかりに手を動かし続けているが、本当になんにも見つからない。
そうしている間も、視界の端では黒いナニカがちらりと掠め、壁の向こうでは小柄な体躯がトテテテと走り回る音が響く。
静かな倉庫の中は、耳を澄ませば初めて気づくような微かな物音、気配がそこいらじゅうに満ちていた。
それをBGMに、なおも後輩の姿を探し続ける。
「とは、言ってもなぁ・・・。手掛かりらしきモノなんて、この弓くらいだし。おりんちゃん、ここからニオイを追ったりできる?」
『(ふんふん)・・・・・・!』
「・・・おっ?」
駄目元で、手に持った白木の弓をりんの鼻元へ近づけてみる。
しばし、鼻をひくつかせていた愛猫は急に耳をそば立てると、脇目も振らずある一点に向けて走り出した。
慌ててその後を追うと、彼女は壁の一角をしきりに嗅ぎ回っている。
やがて、爪を研ぐように埃の積もった石床を、かりかりと両の掌で引っ掻き始めた。
「何か見つけたの?」
『・・・!!』
「えっ?・・・ちょ、待っ!?」
床をかき分けるような仕草を繰り返すりん。
突然、その足先が何かを探り当てる。
尻尾をぴんと立てたまま、彼女はそこへ向けて鼻先を突っ込み―――
そして次の瞬間、小さな身体まるごと、床と壁の隙間に吸い込まれた!!
その光景を見ていたぼくは、反射的に彼女の二つに分かれた尾の片方を掴む。
ぐん、と身体が引き込まれる感覚。
次の瞬間、視界が360度ぐるりと回転した。
重力が消え失せる。
世界が輪郭を失う。
非ユークリッド幾何学的な曲面の羅列と化した空間が、視界の後ろに猛スピードでスッ飛んで行く。
極彩色の明滅する光、音、ネズミの糞のニオイ。
不連続に繋がる空間と角度を越え、その先で―――ぼくは硬い石床に頭から突っ込んだ。
「ぶべっ!!?・・・いたたたた、酷い目にあった。おりんちゃん、おりんちゃんはどこ?」
『にゃあ・・・』
「あ、居た。良かった~、無事で・・・」
不可思議な感覚に包まれた後、ぼくは薄暗い廊下の一角に突っ伏していた。
がばりと起き上がり、周囲を見渡せばすぐ側に、茶虎の小さな毛玉が気遣わし気にこちらを見つめている。
ぼくはそっと安堵の息を吐くと、改めて周囲をぐるりと見渡した。
石畳の廊下、漆喰の塗られた壁、等間隔に配された燭台。
先程の倉庫とは比べるまでも無く、掃除の行き届いた静謐な空間がそこに広がっていた。
「・・・ここ、どこ?」
『なう~・・・?』
そう問えど、しかし応える者とて無く。
唯一の同行者は、目の前でぼくの真似をして小首を傾げている。
後輩の姿を求め、歩き回った先でぼくらはついに、見知らぬ空間へと辿り付いていた。
その姿を監視するように、暗がりの奥からはトテテテと、壁の中を走るネズミの足音が響いていた―――
今週はここまで。




