∥007-07 壁の中を鼠が走る(前)
#前回のあらすじ:幸せ固め!
[マル視点]
「―――はっ!?」
ぱちり。
意識が覚醒すると同時に、ぱっちりと目を開く。
見慣れた天井、室内照明、視界の端に見える本棚と、そこに収められた漫画本の数々。
確認するまでもなく、ぼくの自室であった。
むくり、と起き上がると、視線は次にあるものを探す。
果たして、そこにあったのは―――
「ね・・・寝過ごしたーーーっ!!!」
・・・目覚まし時計の短針は、10時を指していた。
起き抜けのぼくに向けて、無慈悲に突き付けられる遅刻という事実。
それを前にして、ぼくは思わず頭を抱えるのだった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
そして所変わって、【イデア学園】。
あれから通学カバンを引っ掴んで登校し、担任の先生に平謝りしてから授業を受け、帰宅。
家では朝食の準備をし損ねた事をお父っつぁんに平謝りし、一日を終え今に至る。
方々へ頭を下げてばかりの一日であった。
・・・が、不思議とあまり怒られず、むしろ心配される場面ばかりであった。
これも普段の行い、人徳のお陰だろうか?
「なんてね。自分で言ってちゃ、世話無いよ・・・はぁ」
些か自虐気味にそう呟くと、ノックの後にドアノブに手を掛ける。
がちゃり、と開けた簡素なドアの向こうから、幾つもの視線がこちらを見返してきた。
白人の少女が数人、中には見覚えのある顔もある。
猫好き少女の集まるクラン、『Wild tails』のメンバーたちだ。
元は空室だった部屋の中は、今は彼女達を中心に、幾人もの【神候補】達がひしめいていた。
唐突な来訪者を誰何するように向けられていた視線は、その正体がぼくだと判るとすぐに離れてゆく。
気を取り直して、部屋の中を眺める。
中央を陣取る円卓、その上に浮かぶ無数の光のラインは、【学園】を象り、その隙間を無数のメモが埋めている。
叶くんの能力である『伏龍の盤』、そして、それを通じ集積された、捜査情報の数々であった。
(すごい分量・・・)
細かく走り書きされた紙片は、既に円卓の大半を埋め尽くしていた。
それに限らず、周囲で忙しなく動き回る少年少女達の手により、紙片は今も増え続けている。
ぼくが昨日(というか今朝)、ダウンした後も彼等と、その仲間達は捜索を続けていたのだろう。
だが―――この場が今も機能しているという事は、後輩の行方は未だ掴めぬまま、という事でもある。
その事実に小さく嘆息すると、ぼくはつかつかと歩みを進め、部屋の片隅に置かれた小ぶりなデスクの前で足を止めた。
そこには京劇風の申面を被った亜麻色の髪の少女と、その傍らでぺこりと白い頭を下げる、細身の少年の姿があった。
「・・・マルさん!」
「来たか」
「すいません、遅くなりました。その、あーちゃんは・・・?」
「お察しの通り、まだ見つかっていない。お前は―――調子は戻ったようだな」
「その節は、大変ご迷惑をお掛けしました・・・」
軽く頭を下げつつ、今朝方の出来事を振り返る。
【イデア学園】から現世へ戻る寸前、捜索に熱中していたぼくを、わざわざ明さんが引き留めに来くれたのである。
事実、その直後ぼくは電池切れを起こしているだけに、彼女の行動は正しかったと言える。
―――と、同時に。
あの時、後頭部に感じた柔らかな感触を思い出してしまい、かっと顔が熱くなる。
俯いたまま急に動かなくなったぼくに一瞬、怪訝そうな顔を浮かべる亜麻色の髪の少女。
しかしすぐにその理由を察すると、仮面の下でニヤリと意地悪く微笑むのだった。
「すけべ」
「!!?」
「お姉ちゃ―――姉さん?」
「何でもない、気にするな」
囁くように呟かれたその一言に、思わずその場で5cm程飛び上がってしまう。
くつくつと押し殺したような笑い声を漏らす明さん。
事情を知らない叶くんは、その隣で怪訝そうな表情を浮かべている。
何とも心臓に悪いやりとりだが、どうやら彼女にそれ以上追究する気は無いらしい。
短くそう呟くと、申面の少女は改めて、昨晩の捜索状況について尋ねるのだった。
「・・・さて。無駄話はこの位にして、昨日、お前が集めた情報について教えて貰えるか?」
「あ、はい・・・」
そして、ぼくは昨夜から今朝方までの出来事について語り始める。
とは言っても、成果と言えるのは露店のお兄さんから仕入れた情報くらいだ。
円卓へ近寄ると、その上に展開された【学園】の見取り図を指差しながら、ぼくは聞き取った情報を開示するのだった。
「・・・と、いう訳で。あーちゃんは失踪する前日、ここから、ここ。陽が落ちる前あたりに目撃されてるみたいです」
「ふむ。・・・ちょっと待ってろ」
そう呟くと、明さんは立ち上がり、円卓の上に貼り付けられたメモ書きをつぶさに眺めてゆく。
そうして首を一巡りさせた後、小さく頷くと彼女は再び、口を開くのだった。
「ここにある情報を見る限り、失踪前日の目撃証言ではそいつが一番最後にあたるようだ。・・・お前達、今纏めてる情報の中に、それ以降の証言はあるか?」
「えっと・・・」
「無い、みたいです」
「ビンゴだな。羽生梓は現在、このエリアの何処かに居る可能性が高い」
「・・・!!」
部屋の中に緊張が走る。
この数日、遅々として進まなかった後輩の捜索が、ついに決定的な手掛かりを得られたのだ。
それから移動してなければだが、と付け加えた彼女が指差す先は、【学園】の人造湖東岸を示していた。
丁度、ぼくが今朝方、最期に歩き回っていた辺りだ。
「こうしちゃ居られない、ぼく行ってきます―――!!」
「待った」
「・・・明さん!?」
居てもたっても居られず、入口目掛け走り出そうとする。
―――が。
その襟首をひょいと掴む手があった。
「すいません、今急いでて・・・!」
「まあ、待て。逸る気持ちはわからんでも無いが、落ち着け」
細身の身体のどこに、と思うような力で引き留められ、思わず振り返ったぼくの前で彼女は落ち着いた声で呟いた。
しぶしぶながら足を止めたぼくに、明さんは円卓の上を指差しながら口を開くのだった。
「梓の捜索と平行して、犯人と思われる鳥保野某についてもその足取りを追っている。目撃証言はここと、ここと、ここだ」
「・・・時間帯も場所も、バラバラですね」
「そうだ。加えて証言自体が少なく、巧く身を隠しながら移動するか、何か特殊な移動手段を持っている疑いが出てきている」
「特殊な、移動手段・・・?」
鳥保野某。
通称『怪力博士』は、目下、あーちゃん失踪事件の犯人と目される人物である。
その足取りを掴むことで、後輩の居場所を特定できるかもしれないという事で、彼の人物もまた同時に捜索対象となっていた。
しかし、博士の足取りは神出鬼没、【学園】のあらゆる場所へランダムに出没しているように見える。
そも、日本政府を相手に50年以上逃げ続けて来た相手だ。
何か尋常ではない手段で隠れている可能性を鑑み、先述のような仮説が浮かび上がってきたという事だ。
「梓が居ると目される同人物のアジトも、何らかの方法で隠されている可能性がある。そこでマル、お前は捜索へ行くとき、りんを連れて行け」
「・・・おりんちゃんを?」
明さんの言葉に、ぼくは思わずそうオウム返しに呟く。
おりんちゃんは、【学園】におけるぼくの飼い猫であり、同時に、式神として契約している妖怪『猫又』でもある。
見た目は普通の茶虎だが、未熟ながら神通力を持ち、小さな少女の姿に化ける事も出来るのだ。
そんな彼女を、捜索に連れて行けという。
「捜索に出ている【神候補】の中には、動物型の【神使】に梓の匂いを追わせてる者も居る。犬型の【神使】程では無いにしろ、居場所を探る助けにはなるだろう。加えて、りんは普通の猫ではない。『猫又』としての霊感が活きてくる場面も、きっとどこかで有る筈だ」
「なる、ほど・・・?わかりました!ニオイで追えるよう、寮に借りてるあーちゃんの部屋から何か、私物でも拝借してきます」
「そうするといい」
どうやら警察犬よろしく、【神使】に後輩の捜索を任せている人が居るらしい。
今の所成果は出ていないようだが、居場所を追う上でそういうアプローチも試すべきかもしれない。
素直に頷くぼくへ、明さんは更にこんな事を言い出すのだった。
「それから伝言だ。先生から、出発前に部屋へ寄れと言われている」
「楓さんが・・・?」
彼女が先生と呼ぶ人物は、ぼくが知る限り、『宝貝製作者』楓月美ただ一人だ。
そう言えば、彼とはつい最近まで、新たな『宝貝』を制作するという用件で頻繁に会っていたのだった。
何だか随分前の出来事のようだが、そんな彼がぼくに部屋へ寄るよう伝言を頼んだのだという。
果たして、どのような用事があるのだろうか?
疑問に首を捻りつつ、ひとまず言われた通りに行動する事に決める。
「・・・わかりました!あーちゃんの部屋へ寄った後、そちらも立ち寄ってみます」
「頼んだ」
「が・・・頑張ってください!」
二人の声を背に受けて、ぼくは出入口のドアを開け廊下へと出る。
目指す先は寮の一室、あーちゃんが間借りしている部屋だ。
こちらへ遊びに来る時など、彼女はあの部屋を一時拠点にしている。
少し探せば、ニオイの残る私物も見つかるだろう。
その後は、楓さんの自室だ。
忘れず、おりんちゃんも連れて行かないといけないだろう。
逸る気持ちを胸に秘め、ぼくは廊下をひた走るのだった―――
今週はここまで。




