∥006-B その頃のアイドルスターたち
#前回のあらすじ:寅吉秘蔵の色本これくしょん、興味あります!
[???視点]
「・・・おや」
「ッッ―――!!」
【イデア学園】東部、大小無数の建物が乱立する一角。
クランホームへ向かう廊下の途中で、一人の少女とすれ違う。
碧がその少女に目を留めたのは、すれ違いざまにその目の端から零れ落ちる、涙の滴を目撃したからだ。
次いで、長く艶やかな亜麻色の髪、首元に覗く赤い口づけの痕へ視線はうつろう。
綺麗な少女だった。
乱れた衣装に情事の痕をうかがわせながら、名も知らぬ少女は脇目も振らず、はるか後方へと走り去ってゆく。
束の間立ち止まり、その後ろ姿を見送ると、碧は「ああ、またか」と、口の中で小さく呟いた。
程無くして、ホームの前へとたどり着く。
ホームの扉は閉め切られていた。
こつこつ、と手の甲で白い扉を叩く。
「阿玲、ミィだよ。開けて?」
「笑笑!」
数秒間を開けて、勢いよく扉が開いた。
中から現れたのは、満面の笑みを浮かべた黄―――あの時、明の眼鏡を奪った男だった。
碧もまた笑顔を浮かべ、束の間二人は抱擁を交わす。
すん、と小さく鼻を鳴らすと、友人の首元から先程の少女と同じ、微かな残り香が香った。
抱擁を続けながら、部屋の中へと視線を走らせる。
視界の端に映るソファに点々と残る赤い染み、部屋の中から漂うすえた臭い。
また、なのだろう。
この部屋で何があったかを察すると、碧は抱擁を解き、ホームの中に足を踏み入れ換気の為に窓を開け放った。
「・・・さっき、外で女の子とすれ違いましたが」
「え、誰のこと?」
「泣いてるみたいでしたけど・・・。もしかしてユゥ、何かしました?」
単刀直入に、先程見た場面のことを口にする。
そっぽを向いて口を尖らせながら、黄は知らんぷりをした。
しかし、なおも追究を続けると、あっさりとそれ認めぺろりと舌を出す。
ぼすんとソファの上に身体を放り出すと、青年は唄うように話り出した。
「僕のこと、好きだって言うからさ~?ちょっと仲良くしてあげただけ」
「それが、何で泣かせるような事に?」
「知らな~い。『あの子と違う』って言ったらさ、急に泣き出しちゃって。わけがわからないよ」
「あの子・・・って、マーケットで会ったっていう?」
「そう!あの子!」
碧は既に、マーケットであったという騒動の事を聞き及んでいた。
数日前、いつも通りに黄が女性絡みのトラブルを起こしたとか。
その中心となった人物に、眼前の青年とは別の『亜麻色の髪の少女』が居た、とか。
際限なく付けられた尾ひれを含め、そんな話題を彼は認識していた。
そして、市場から帰って以来、黄はかの少女を探し続けている。
今も。
しかし―――手掛かりとなる物も乏しく、捜索は難航していた。
そのうち諦めるだとうと思っていた所へ、今回の出来事である。
「髪は似てたけどさ。目も香りも性格も、全~っ然。・・・ああ、ハニー。もう一度逢いたいよ・・・Fu―――」
ホームをラブホテル代わりにした事なぞ悪びれもせず、若きスターは鼻歌を口ずさみ始める。
碧は呆れ果てながらも、聞こえてくるメロディに耳をそば立てずにはいられなかった。
芸事に関する絶対的な感性、ルックス、そして家柄。
二物どころか三物をも天から与えられた男は、今日も気まぐれに騒動を引き起こす。
つまり―――まあ、何時もの事だ。
色々と合点が行ったところで、碧は小さく嘆息した。
阿玲と笑笑―――黄と碧は、幼馴染同士だ。
財閥の御曹司であり、幼少から歌唱に非凡な才を示した黄。
そのすぐ側から、それを見続けた自分。
ふたりは兄弟同然に育ち、互いに自然と芸事に関わるようになり、まず先に黄がアイドルとして、芸能界入りを果たした。
彼がグループを結成した時も、いの一番にメンバーとして誘われたのは自分である。
気分の向くまま気まぐれに、芸能界をひた走る彼と、それに付いてゆっくり進む自分。
懐かしく、きらびやかで、目まぐるしい日々。
その過程で、幾度となく今のような場面を目にして来た。
惚れっぽく移り気で、飽き性。
幼馴染は服を着替えるように無数の女を侍らせ、それを脱ぎ捨てる度に周囲と衝突を繰り返す。
そんな彼の最近のお気に入りは、件の亜麻色の髪の少女だ。
「・・・また同じように、消費されるんだろうな」
「何か言ったー?」
ぽつり。
誰に聞かせるでもなく、漏れ出た呟き。
それに、幼馴染は首だけをこちらに向け声を上げる。
碧は貼り付けた笑顔のまま、なんでもないとかぶりを振った。
「そんな事よりも。ユゥ充てにこんなものが届いてるんですが・・・」
「賠償金~?」
「そうです。請求元は明峰商店、幅広い価格帯で展開している中堅どころの商家ですね。名目は、所有する倉庫の備品を損壊した事。・・・心当たりは?」
「知らな~い」
回想を打ち切ると、ようやくこの場へ来た本来の目的を切り出す。
封蝋された便箋から数枚の紙を取り出すと、碧はその文面を読み上げた。
それに対し予想通り、間延びした返答を返す黄。
「何時もみたいに、そっちで払っといてよ」
「・・・本当に、いいんですね?」
重ねて確認すると、ソファに寝転んだまま幼馴染はひらひらと手を振り返す。
それを了承と取ると、碧は小さく嘆息しながら再び手元の書面に視線を落とした。
備品の賠償金その他―――しめて1,000,000G。
とんでもない額である。
現世に黄財閥というバックボーンを持ち、潤沢な資金を誇る神话であっても、予算の大半を持っていかれかねない規模だ。
遠征先で【彼方よりのもの】の襲撃に巻き込まれ、それ以来【神候補】として共に活動してきた碧たち。
幼馴染のでたらめな金銭感覚に当惑するのは毎度の事だが、今回のこれはいくらなんでも度が過ぎていた。
ぺらり。
紙面を手繰りつつ、請求内容をつぶさに目を通してゆく。
破損した窓と窓枠の修理、木箱の修繕。
様々な項目が並ぶが、中でもとりわけ目を引くのが、盗難された『宝貝』の賠償として計上された額だ。
900,000Gと、賠償全体の実に9割を占めている。
人造の神器たる、『宝貝』の重要性は碧も認識している。
クランでも幾つか所有しているが、ここまでの高値が付くものは寡聞ながらに耳にしたことが無い。
(詐欺の類、でしょうか・・・?)
脳裏にふと浮かんだ疑問を晴らすべく、更に書面をつぶさに確認する。
―――が、怪しい点は見当たらない。
訴え自体も、【学園】の運営部を通した正式なものだ。
現実の役所ならいざ知らず、生ける神たるヘレンが目を光らせる運営部には、大規模な不正は許されない。
そして何より、件の『宝貝』に碧自身、心当たりがあった。
市場から戻って以来、黄が持ち歩いていた品の一つ。
野暮ったいデザインの眼鏡が、それだ。
聞けば、話題の『亜麻色の髪の少女』の所持品だという。
つまるところ、盗品だ。
当時はクランメンバーと一緒になって、持ち主に返すよう必死に説得を試みた。
・・・が、ああだこうだと押し問答を続けた末、ある日を境にふっつりと見かける事が無くなったのだ。
黄に聞けば、『無くした』としか言わず、それきりクラン内でもその事は触れられぬままである。
眼鏡を渡したくないが為についた嘘かも知れぬが、彼の事だけに本当に紛失した恐れもある。
つまり、現物を返して賠償を取り消させる事も出来ない。
八方塞がりだった。
「どちらにせよ、頭の痛い話ですね・・・」
果たしてこの一件、如何に対処するべきか。
軽く頭痛を覚えつつ、若きアイドルは今日もため息をつく。
奔放な幼馴染の気まぐれに振り回され、碧の日常は今日も騒々しく幕を開けるのだった―――
今週はここまで。




