タイトル未定2024/06/17 04:39
∥006-A マーケット騒動後日談
#前回のあらすじ:恥ずか死。
[マル視点]
「よ。今日は早いな」
「だ、誰・・・ですか?」
「??」
湖上のマーケットでの一騒動があった、数日後。
いつも通りに寮の管理人室を尋ねたぼくは、扉をくぐって早々、見知らぬ女性に挨拶された。
急に立ち止まったぼくにつられるように、扉をくぐった叶くんが不思議そうに顔を上げる。
見知らぬ女性―――と言うか、得体の知れない、と表現した方が正しいだろう。
慣れた様子で木製の椅子に腰かけるその女性は、京劇で見るような朱塗りの木面を身に着けていたのだ。
つるりとした面の表面には猿を象った目鼻が描き込まれており、その下の素顔が如何なる物か窺い知る事ができない。
面の両側には艶やかな亜麻色の髪が流れ、それは肩口で一つに纏められて豊かな胸元へと掛かっていた。
(・・・あれっ?)
ここで、女性についての新たな疑問が沸き上がる。
艶やかな亜麻色の髪、メリハリの利いた女性的な肢体、先程面の下から漏れ聞こえた、僅かにハスキーな声。
その一つ一つに、ぼくは強烈な既視感を覚える。
彼女はもしかすると、よく知っている人物ではないだろうか?
「ええと。つかぬことを伺いますけど、貴女はもしかして・・・?」
「私だ」
「・・・姉さん!」
おそるおそる、ぼくの予想が当たっているか直接聞いてみる。
すると、女性は答え合わせとばかりにあっさりと面を取ってみせた。
それは隣に居る友人と瓜二つな―――しかし、明確に異なる顔。
やはりというか、仮面の女性の正体は予想通りの明さんだった。
なるほど、彼女ならば、この部屋に居る事にも納得が行くというものだ。
しかし、そうなると改めて新たな疑問が湧いてくる。
何故、彼女は妙なお面なぞ身に着けているのだろうか?
「えっ、と。・・・今日はどうしたんですか?そんな恰好なんかして・・・」
「ファッション―――では、無い所が問題でな。端的に言うと、眼鏡が無いせいで、何時もの恰好が出来なくなった」
「何時もの・・・?って、ああ。そう言えば今日はジャージ、着てないんですね」
ぼくがぽつりと漏らした呟きに、明さんはゆっくりと頷く。
たったいまの発言のとおり、今日の彼女は白地に文字がプリントされたシンプルなTシャツ、ゆったりとしたジーンズといういでたちだ。
いかにも部屋着、といったリラックスした組み合わせだが、モデル並みのプロポーションを誇る彼女が着ると、ランウェイの上でも映えそうに見える。
―――が、問題はそこではない。
現在の服装と、愛用の眼鏡の間に如何なる関連性があるのか?
それについて彼女はゆっくりとかぶりを振ると、改めて語り始めるのだった。
「結局、あの男に盗まれた眼鏡は返って来なかった。その奪還については着々と進めてゆくとして―――。今、問題なのは『眼鏡を外す場面を不特定多数に見られた』事だ」
「素顔を見られた事が、問題・・・?」
「それって、そのお面と何か、関係があるんです?」
「ある」
先日のマーケットにて、突如遭遇した粗暴なアイドルによって明さんの眼鏡が奪われた。
彼女が言及したのはその時、周囲に居た人達にその場面を目撃された事だろう。
しかし、それと妙なお面との関連性とは?
思わず疑問の声を上げたところ、彼女は一言、肯定の声を上げるのだった。
「あの眼鏡、実は『宝貝』でな。掛けている最中、周囲からの認識を薄くする効果と、興味を惹かれ辛くする効果。更に外す前後で同一人物だと判らなくする効果、着脱を目撃した者に前後の記憶を曖昧にする効果がある。この面は、その廉価版だ」
「・・・効果、多すぎない!?」
明さんが語った眼鏡の効能に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
『邪悪なモノを退ける』だとか、『雷を放つ』だとか。
今まで見聞きした『宝貝』の効果は、せいぜい一つか二つ程度のものばかりだった。
それが四つ。
しかも、条件をトリガーに常時発動。
更には対象問わず、周囲の人間全てに効果を及ぼすだなんて、規格外にも程がある。
曲がりなりにもその制作に僅かに関わっただけに、ぼくには彼女が持つ品が、とんでもない代物である事が理解できてしまった。
「・・・あれ?じゃあ、ひょっとして。いつものジャージ姿が駄目だっていうのも、その効果が関係してたりします?」
「理解が早いな。『外す前後で同一人物だと判らなくする』。これが曲者でな、例えば誰かに素顔を見られたとしても、あの眼鏡さえあれば同一人物だとバレないんだが・・・。あの日、私は迂闊にも、眼鏡を取られる場面を見られてしまった訳だ」
「周りに沢山人、居ましたもんね」
「そうだな」
あの時の出来事は目撃者にとってさぞかし、印象深かったに違いない。
一見、芋臭いジャージ姿の少女が、見る者全てが目を奪われるような美女へたちどころに化ける。
シチュエーションの特殊さも手伝い、同じ場に居合わせた人全ての記憶に焼き付けられた事は想像に難くない。
そして、たった今彼女の語って見せた内容。
そこから、先程の発言について推理してみる。
件の眼鏡が齎していたモノとは、一体何だろうか?
『外す前後で同一人物だと判らなくする』。
それは精神に作用するモノだ。
眼鏡の着脱をトリガーに、着用者に対する認識を捻じ曲げる効果。
翻せば、たとい同じ格好をしていたとしても、眼鏡のON/OFFで同じ人間だと判らなくさせられる、という事。
日常でよくある、『背格好・服装が似た人を知人と見間違える』なんて状況は起こらない訳だ。
それが今―――消えた。
「姉さんを探している人が居たとして。『亜麻色の髪』、『紫のジャージ』みたいな特徴は、目を付けられやすくなる・・・って、事でしょうか?」
「そうだ。誰しも人を探す時、一人一人顔を見比べるよりは、特徴を見るからな。お陰で今後、ジャージ姿で外をうろつくとそれだけで、いらん詮索をされる恐れがある」
「でも、『明さんを探す人が居たら』って、仮定に基づいた話ですよね?実際その点、どうなんです?」
「残念ながら、もう騒ぎになってる」
「うわぁ」
あ、やっぱり。
溜息混じりに語る彼女に、ぼくらは二人して困ったように顔を見合わせる。
続けて語られる現状は、更に混沌としたものだった。
「どうやらあの日、マーケットを訪れていた奴等を中心に、『ジャージ姿の美女』の話題が爆発的に拡散しているらしい。笑えることに、懸賞金を掛ける奴まで出る始末だ」
「笑えないですよそれ!?」
「どの道本気じゃないだろう、放っておけばいい。まあ、こいつがあれば目を付けられ難くする、位の効果はある。ほとぼりが冷めるまで外出は控えて、外せない用事はお面スタイルで切り抜けるさ」
はぁ。
素っ気ない態度とは裏腹にもう一度、彼女は深くため息を吐く。
亜麻色の髪の少女はテーブルの上に頬杖をつき、遠くへ視線を投げつつ黄昏ていた。
楽で良かったんだけどな、あれ。
そうぽつりと呟く彼女に、ぼくらはもう一度顔を見合わせる。
「・・・あら、あなた達居たの?」
「お邪魔するでござるよ~」
そこへ、がちゃりと扉を開けて来訪者がふたり。
むくつけきメスゴリラと、猫の着ぐるみの頭部だけ被った男。
寮の中でも見慣れた、おなじみの組み合わせだった。
何ともなしに挨拶を交わすぼくだが、そこへふと疑問が沸き上がる。
寮生活の長いこの二人、明さんの素顔について果たして知っているのだろうか?
「・・・あら、見ない人ね?私アルトリアっていうの。貴女は誰?何処かで会ったこと、あるかしら」
「私だ」
「あらっ?」
「おっと、明殿でござったか。ニョホホ、その素顔を見るのも久しぶりでござるな」
先程も見たやりとりが繰り返される。
完全に初対面の人に対するアクションを取るゴリラに対し、寅吉さんはぺしりと額を叩くと猫のような奇妙な笑いを上げた。
どうやら初見のゴリラに対し、彼は明さんの素顔を知っていたらしい。
「ビックリしちゃった・・・。もう!そうならそうと言ってくれればいいのに。でも―――そうね、何時もの恰好より似合ってると思うわよ?」
「・・・そうか」
和毛に覆われた瞼を見開き、驚いた表情を見せるゴリラ。
初めは少し怒りを見せた彼女だったが、すぐに表情を戻すとにっこりと笑って見せる。
さっぱりとして後を引かない、彼女らしい反応だった。
それに対しどこか考え込むように、言葉少なに応じる明。
何と言うか、普段と変わらないやりとりだった。
「・・・アルトリアさんは、彼女の素顔に何か、思う所とか無いんですか?」
「別に?んん・・・強いて言うなら、表情がわかりやすくなったのは良いと思うわ」
「それだけ?」
「ええ」
即答だった。
ある日突然、カフカ的変貌によってゴリラめいた姿へと変えられてしまった少女。
アルトリア=ジャーミンにとって、他者の見た目の美醜というのはあまり、気にするような要素では無いのかもしれない。
変貌の当事者たる彼女が他者の外見に拘るよりも、頓着しない方向へと向かうのが凄いというか、特異性が垣間見える場面だと思う。
「逆にあなたは気にしすぎよ?さっきから、チラチラ彼女の方を見てばかりじゃない」
「うぇっ!?」
「そいつはエロ小僧だからな。この間も、人様を相手に不埒な妄想に耽ってたし」
「ちょーっ!?」
ゴリラのゴリラっぷりを再認識していた所へ、横合いから厄介な合いの手が入る。
改めて指摘されるまでもなく、明さんの御顔に視線が吸い寄せられるのを必死に堪えるという場面が先程からずっと、何度も繰り返されていたのだった。
改めてそれを自覚してしまい、かっと顔が熱くなるのを感じる。
思わず素っ頓狂な叫びを上げたぼくの視界に、周囲からはジトッとした視線が飛び込んで来た。
・・・誤解です、違うんです。
「あのね。そういうのを主張しないのも駄目だけれど、ガツガツ行き過ぎるのもどうかと思うのよ?」
「ま、マルさん・・・。そんな、嘘ですよね!?」
眼を瞑り腕組みしたまま、諭すように語り掛けてくるゴリラ。
その隣で大きな瞳の端に涙の玉を浮かべ、叶くんが小さく叫ぶ。
あっという間に四面楚歌、壁際に追い詰められたぼくは助けを求めるように視線をさ迷わせる。
巡る視界はその果てに、発端となる一言を放った人物を捉えていた。
部屋の隅で優雅にくつろぎながら、申の面の下からその様子を眺める彼女。
お面のせいで見えないが、その瞳は意地悪な猫のように細められている筈だ。
何だかこの間からずっと、彼女にはしてやられてばっかりな気がする。
あの時耳元で囁かれた『スケベ』がリフレインし、ぼくは一瞬で耳まで真っ赤になってしまった。
くっ、誰も味方は居ないのか・・・?
その時、隣に誰かが立つ気配を感じ、ぼくは視線を上げた。
「・・・溜まっているのなら、秘蔵の色本これくしょんを貸すでござるよ?」
「そういう気遣いはいいですから・・・!!」
ぽん、と肩を優しく叩きつつ、胡乱な発言を垂れ流す猫侍。
ぼくはがっくり肩を落とすと、声にならない叫びを上げる。
・・・ああ、兵二さんが言っていたのはこういう事だったのか。
『明峰商店』で売り子を務めていた彼。
明さんの知己だという人物が事ある毎に口にする、『あいつだけは止めとけ!』という発言の意味。
今更ながらにそれを理解したぼくは、盛大に溜息をつくのだった―――
今週はここまで。




