∥006-19 お別れはキャンセルです
#前回のあらすじ:持ってて良かった迷路倉庫
[マル視点]
「ぐすっ、ひっく。うぅ・・・」
「ほら、いい加減泣き止みなってば。もうすぐ寮だし、皆に泣きっ面見られちゃうよ?ほら、鼻かんで、チーンって」
「ありがとうございまふ・・・チーン!」
夕刻。
空の向こうはわずかに暮れなずみ、忍び寄る夕闇が刻一刻と、その脚を伸ばしつつある。
長く伸びた影法師を足下に張り付かせ、ふたりの少年がとぼとぼと道を歩いていた。
方や、白髪に赤眼、美少女と見紛うばかりの美貌の少年。
もう一方は、小柄で小太りな体格の、黒髪の少年。
べそべそと泣きじゃくる白髪の少年―――叶くんを宥めつつ、小柄な少年―――マルが背後から支えるようにして、歩みを進める。
道中、幾度も立ち止まりながらも、二人はゆっくりとだが目的地にたどり着きつつあった。
マーケットでの一件の後。
遠巻きに周囲を取り囲んでいた群衆は、それまでの熱狂から覚めたように、正気を取り戻していた。
一人、また一人と気まずそうにその場から離れ、その場には蹲る二人だけが残される。
何も言わず泣きつづける白髪の少年、その隣で途方に暮れるぼく。
心の中は千々に乱れていたが、叶くんの狼狽ぶりを見たお陰か、かえって冷静さを保つことが出来ていた。
それでもしばし、悔しさと無力感に苛まされ、それを何とか呑み込んだ後。
ゆっくりと立ち上がると、ぼくは泣きべそをかいたままの叶くんを手を引いて立たせる。
「帰ろう」
そう、一言だけ告げると、ぼくらは帰途についたのだった。
そして現在、ようやく泣き止んだ白髪の少年が、ぽつりと心境を吐露する。
「・・・ぐす。お姉ちゃん、大丈夫でしょうか・・・」
「えっと。それは、その・・・うーん」
彼が呟いたのはやはりというか、姉の身を案じる一言であった。
叶くんらしいな、と感じる傍ら、ぼくはどう答えたものかと首を捻る。
あの男―――黄と言ったか。
躊躇いなくぼくに暴力を振るった事といい、叶くんが弟と気付くや、その身の安全と引き換えに関係を迫った事といい。
明らかに、ああいう行為に手慣れている様子だった。
国際的に有名なスターの素顔があれとは、とんだ醜聞もあったものだ。
だが、それより今は、奴に連れ去られたままの明さんの事だ。
あんなクズ男と二人きりでは、さしもの彼女でも無事で済むとは思えない。
僅かに悩んだ末―――ぼくは、答えをはぐらかす事にした。
「その、明さんの事だし・・・。大丈夫だと思う、かな?」
「・・・です、よね」
「―――そ、それより!急に話は変わるけど、双子というだけあって彼女、素顔はきみにソックリだったよね?薄々そうじゃないかとは思ってたけど、実際に見ると瓜二つでびっくりしちゃった」
「え?・・・あ、はい」
急に180度方向転換した話題に、叶くんは赤い瞳を大きく見開き小首を傾げる。
我ながら無理やり気味な話の持って行き方だと思うが、この話題を続けるよりは良いだろう。
乗ってくれるか内心ハラハラしつつ、彼の反応を待っていると、ふっ、と表情を和らげながら、少年は思い出話を始めるのだった。
「確かに小さい頃はよく、そう言われてました。鏡合わせみたいにそっくりだ、って。あの頃はもっと、身体が弱かったですから。ボクが外に出る時は決まって、お姉ちゃんに背負われてるか、手を引かれてるか、どっちかでした」
「そうだったんだ・・・」
話題転換が功を奏したのか、叶くんの表情がいくらか和らぐ。
幼少期の思い出を語るうちに、心境が落ち着いてきたのだろう。
彼の反応にほっと胸を撫でおろすと、ぼくは相槌を打ちつつ再び口を開くのだった。
「でも、途中から明さん、素顔を隠すようになっちゃったんだよね?それって、何時頃からなのかな?」
「・・・え、っと。確か、中学に上がって少しした頃から、だと思います。視力は落ちてないのに眼鏡を掛けるようになって、気になってボクが聞いたら、『ファッションだ』って。あ、でも・・・」
「でも?・・・何か、気になる事でもあるの?」
どうやら、明さんが眼鏡っ子デビューしたのは中学時代の事だそうだ。
眼鏡と言っても伊達眼鏡なのだが、それよりも何かを言いよどむような、叶くんの様子が気になった。
そこで事情を聞くことにしたところ、彼の口から語られたのは驚きの出来事であった。
「思い過ごしかも知れないんですけど・・・。その頃、ボクが家にいる時、知らない人がベランダに這入り込んだ事がありまして。お姉ちゃんが眼鏡を掛けるようになったのも、それからのような・・・?」
「え、何それ怖い。詳しく教えて教えて」
「あ、はい。・・・その日も、ボクは体調を崩して寝込んでました。お昼過ぎ、くらいでしたでしょうか。ふと目が覚めると、ベランダのガラス戸に知らない男の人が。べったりと張り付いていて―――」
「ひえっ」
普通に恐怖体験だった。
起き抜けに部屋を覗き込む不審者と目が合うだなんて、想像するまでもなく恐ろしい。
ぼくは思わずぶるりと震え上がると、隣を歩く少年に話の続きをせがむのだった。
「・・・そ、それで?きみは大丈夫だったの?」
「すぐにお姉ちゃんが、警察の人を呼んでくれたので・・・。それで、その時侵入したのは同じ学校の人だったそうです。・・・ほとんど登校してないから、ボクは知りませんでしたけど。その人、その出来事がある少し前にお姉ちゃんに告白して、断られてから行く先々にこっそり、付いて回ってたそうなんです。家に来たのも、それで・・・」
「ストーカーじゃん!・・・よく無事だったねえ」
「あ、いえ。あまり無事じゃなかったというか・・・」
「えっ」
背筋も凍るようなエピソードに、思わずどきどきと鼓動を早めながら話に聞き入る。
最期まで聞き終えた後、結局何事も無かった事に安堵していると、叶くんはぽつりと不穏なことを口にした。
思わず聞き返すと、更に恐ろしいエピソードが彼の口から飛び出してくるのだった。
「ベランダの男の人は、それきり見てないんですが。・・・代わりにその後、警察の人が用もないのに、家まで訪ねてくるようになって。聞いた話だと、お姉ちゃんにしつこく付きまとった挙句、勝手に婚約しようとした、とか・・・」
「ひええ・・・!」
確かに大丈夫じゃなかった。
立て続けに語られる、リアリティのないリアルの経験談にもはや何も言えなくなってしまう。
先程、あの粗暴な男と対面していたシーンでも、素顔を晒しただけで周囲の視線をダ〇ソンみたく吸い寄せていた、彼女の美貌。
その破壊力は、どうやら中学生時代も健在だったようだ。
魔性の魅力は同級生のみならず、一度会っただけの警察官まで虜にしてしまったらしい。
「それで、その日のうちにモガ爺―――茂羽賀さんに相談して、お家を引き払うことになったんです。ボクもお姉ちゃんも転校して・・・。あ、やっぱりその後からですね」
「その後・・・って、伊達眼鏡のこと?」
「はい。引っ越し先ではイメチェンするから、って、知り合いからお古の眼鏡を譲って貰って。それからは、ずっとです」
「茂羽賀さん、って・・・。あの、ちょっと顔の怖いお爺さん?ひょっとして、一緒に暮らしてたの?」
「はい」
話の途中、不意に飛び出した名前にぼくは以前、マーケットで見かけた白髪交じりの初老の男性を思い浮かべた。
たしか火傷痕の印象が強い、強面の男性だった。
どうやら彼と会取姉弟の縁は、予想よりずっと強く、近しいもののようだった。
・・・叶くんの思い出話は続く。
「モガ爺とおヨネさんは同じ故郷の出で、ボク達みたいな似たような境遇の人を集めて、面倒を見てくれてたんです。ボク、お父様もお母様も小さい頃に亡くしちゃってて。薄情なんですけど、もうほとんど顔も思い出せないんです。・・・だけど、あの二人はすごく良くしてくれて―――」
「第二の家族。・・・みたいな感じ、なんだ?」
「はい。二人とも、あったかくて大好き、です」
ぼくの言葉に小さく頷くと、彼はほう、と穏やかな笑みを浮かべる。
それはとても美しく、心からの信頼を感じさせるものだった。
思わず目を奪われ、束の間放心していたぼくは、慌てて首を振って気を取り直す。
「・・・そうだったんだ、教えてくれてありがと!あ、そろそろ寮に着くみたいだね。早いところ涙の痕は拭いちゃおう。でないと、せっかくのお顔が台無しだよ?」
「わぷっ。・・・えへへ、なんだか、お姉ちゃんみたいです」
「『全く、世話のかかる愚弟だ』―――って。どう、今の似てた?」
「くすくす・・・」
ハンカチで目の端に残った涙を拭くと、ぼくらはくだらない冗談で盛り上がる。
全然似てない明さんのモノマネに、彼はひとしきり笑うと、どこか寂しげな表情でぽつりと呟いた。
「・・・お姉ちゃん、無事でしょうか」
「・・・」
「本当は、わかってるんです。危なそうな人でしたから、怖い目に遭わされてるかも、しれません。でも、お姉ちゃんなら・・・。あのドアを開ければ何事もないように居てくれて、『今頃帰ったのか、遅かったな』って。そんなふうに普段通りに出迎えてくれたら、って・・・」
「それは―――」
彼の言いたい事はわかる。
明さんは何と言うか、手ごわい人だ。
何を考えてるか全然わからないし、何があっても泰然としていて、全く動じない。
少なくとも、ぼくの目からはそんなふうに見える。
だから―――ぼくも、大丈夫だと思いたい。
だけど、そう信じきれない自分もまた、居るのだ。
「そう願いたいのはぼくも同じ。だけど、もしかすると―――しばらく帰ってこないかもしれない。それは凄く嫌なことで、想像するだけでも悲しくなるけど。・・・せめて、覚悟だけはしておかないと」
「―――」
もしかすると、明さんはもう帰って来ないかも知れない。
一瞬、脳裏に浮かんだ胸糞の悪い想像に、猛烈な自己嫌悪を覚える。
それでも、その可能性は確かにあるのだ。
ぼくに出来る事は、何があろうと彼女の帰る場所を守る事だけ。
そんな決意を胸に秘め、叶くんの反応を見る。
「・・・わぁ!?な、泣かないで、泣かないでよ・・・。変な事言ってごめん・・・!!」
彼は、無言のままはらはらと珠の涙を零していた。
感情が抜け落ちてしまったかのようなその様子に、ぼくは慌てて謝罪を繰り返す。
「お姉ちゃん・・・お姉ちゃん・・・!」
「泣き止んでよ・・・。お願いだから、でないとぼく、ぼくだって・・・」
姉を呼びながら泣きはらす少年。
その姿に、思わずもらい泣きしてしまう。
ぼくら二人、道の真ん中で突っ立ったまま大粒の涙を零す。
そうしてわんわんと泣いていると、不意に傍らに誰かが立つ気配を感じた。
「ううっ、うわーん!!」
「ぐす、ぐすっ・・・」
「・・・お前ら、二人揃って何してんだ?」
聞き覚えのある、少しハスキーな声が響く。
いかにも呆れた調子の、耳に馴染むその声。
振り向けば、涙で霞んだ視界の中に見覚えのある長身が映っていた。
「ぐすっ。あ"き"ら"さ"ん"・・・?」
嗚咽混じりの声で、思わずその名を呼ぶ。
艶やかな亜麻色の髪、叶くんとよく似た顔立ちの、しかしより大人びた顔。
ジャージの上の代わりにスポーティな白のタンクトップと、素顔を晒している点だけは普段と違うが、間違いなく明さんだ。
彼女はぼくらを交互に見やると、呆れたように嘆息しつつ口を開くのだった。
「・・・天下の往来で、大の男が恥ずかしい。交通の邪魔だぞ、何時までもべそかいて無いでとっとと入れ」
「え?待っ・・・」
「おねえ、お姉ちゃん・・・!!」
混乱するぼくらをよそに、来た道を戻ってゆこうとする彼女。
その背に、涙と鼻水で顔をいっぱいにした弟くんがダイブする。
やれやれ、といった様子でそれを受け止めると、彼女は小さく微笑みながら嘆息した。
・・・何と言うか、あまりに普段通りの姿だった。
あれから、何もされなかったのか?
あの男は、どうなったのか?
それを聞く暇も無く、背中に叶くんを貼り付けたまま彼女は行ってしまう。
向かう先には、半開きになった【揺籃寮】の玄関扉があった。
・・・いつの間にやら、ぼくらは寮のすぐそこにまで来ていたらしい。
予想外の出来事の連続に放心していると、周囲に誰も居なくなったことに気付き、慌てて駆け出す。
既に扉を潜り、玄関へと消えつつある彼女の後ろ姿を追って、ぼくはわたわたと走るのだった―――
・ ◆ ■ ◇ ・
「―――で。一体全体、何があったんです?」
そして、いつもの管理人室。
あれから顔を洗って鼻をかみ、身づくろいを済ませたぼくらは木製の丸テーブルを挟んで、明さんと向かい合っていた。
ちなみに、向かい合っているのはぼくだけで、叶くんは彼女の隣にひっしりとしがみ付いている。
・・・あ、引っぺがされた。
「お前は、向こう。・・・いいな?」
「ふぁい・・・」
「ま、まあまあ・・・」
有無を言わさず身体から引きはがされ、ぺっ、と床に放り出される。
そして、半べそをかきながら蹲まる弟に向かってびしり、と指を突き付ける姉。
その有無を言わせぬ調子にとぼとぼと歩き、叶くんはぼくの隣にちょこんと腰かけた。
目に見えてしょんぼりしている彼の肩を叩きつつ、ぼくは二度目の疑問を口にする。
「それで。二度目ですけど一体、何があったんです?」
「語るまでもないが。・・・一言で説明すると、撒いてきた」
「えぇ・・・?」
ぼくが口にした疑問に返ってきた答えは、実にシンプルなものだった。
マーケットで遭遇した粗暴な屑こと、アイドルスター黄。
それを置き去りにし、彼女は一人寮に帰ってきていたらしい。
ゆっくりとながら、真っすぐ帰ってきた筈のぼくらより先回りしていたあたり、相当早い段階で男を撒くことに成功していたようだ。
そのあまりの手際の良さに、呆れ半分驚き半分といった調子の声を漏らす。
彼女はやれやれ、といったふうにかぶりを振ると、大きく嘆息した後に経緯の説明を続けた。
「・・・全く。一体何が楽しいのか知らんが、ああいう手合いからは逃げるに限る。愛用の眼鏡と、ジャージの上は手痛い損失だったが。・・・まあ、何とかなるだろう」
「よ、よく無事でしたね・・・?」
「まあな。慣れてるし、今更だ」
そう言うと、美しいおとがいに指先を当てつつ、少し考え込むような様子を見せる。
普段から見慣れた彼女の仕草だが、素顔のままそれをすると十割増しで美しい。
思わず視線が吸い寄せられるのを自覚しつつ、あまり見過ぎないよう気をつけながら、ぼくは質問を続けた。
「えーっ、と。・・・とにかく、何事も無いようで良かったです。でも・・・。無くした物は何処に行ったんでしょう?心当たりはあります?」
「ジャージはともかく。眼鏡は最悪、あの男に持ち去られたままだろうな。それに関してはまあ、手を考えてあるから大丈夫だ」
「それって・・・?」
「お前は知らんだろうが、あれは凄~く、お高いんだ。今後、奴があれを盾にとって、何かを要求してくるかも知れん。・・・が、それならそれで、出るところに出ればいい」
彼女の言によれば、普段着ているジャージが無いのは、眼鏡と同様あの男に盗られたせいらしい。
何とも腹立たしい話だが、それについて尋ねたところ、どうやら彼女には腹案があるようだった。
「蛇の道は蛇、・・・ってコト?」
「ああ。・・・一体何を私から盗んだのか、その時になってから思い知るといいさ」
そこで言葉を切ると、ニヤリと彼女は口元を吊り上げる。
実にワルそうな笑みであるが、今の彼女がやるとなんだか悪女っぽくて、ゾクゾクする。
・・・実際、悪い事を考えているのだろうが。
矛先がこちらに向かないならまあ、いいでしょ。
―――そんな感じに胸を撫でおろしていると、唐突に隣から爆弾発言がぶち上がった。
「でも、良かったです。お姉ちゃんが帰ってきてくれて・・・。マルさんがもしかすると、しばらく帰って来られないかも、って言ったから、ボクてっきり・・・!」
「・・・あぁん?」
「あっ」
ぎぎ、と壊れた人形のような仕草で横を向く。
そこには安心感でニッコニコの、叶くんの笑顔があった。
曇りのない笑顔に何も言えず、ぎぎ、とぎこちなく前を向き直る。
そこには目を『甘甘』の形にした明さんが、じとり、とこちらを睨んでいた。
待って、違うんです。
「お前は。何を。愚弟に吹き込んでくれてるんだ?」
「・・・違うんです。そういう可能性もあると、あくまで警告しただけで―――」
「ほォォ?」
ふるふるとかぶりを振りつつ、身の潔白を主張する。
だがしかし、必死の訴えは聞き入られることは無かった。
がたり、と椅子を引き、明さんが立ち上がる。
「つまり私が、あの屑野郎と一晩しっぽりしけ込んで、朝帰りどころか三日三晩、返して貰えないと考えた訳だ、お前は」
「・・・ち、違くて」
ゆっくりと歩み寄る彼女を前にして、無意識に椅子の上で後ずさる。
しかしすぐに背もたれに退路を断たれ、絶望の表情でぼくは上を見上げた。
―――笑うとは、本来攻撃的な行為である云々。
そんな言葉が脳裏に浮かぶような、恐ろしい笑みを浮かべた美女がそこにいた。
一つ一つ言葉を区切りつつ、彼女は事実確認を始める。
「・・・先に、断言しておくが、そういう事実は、無い。下品な手つきで触られはしたが、それ以上エスカレートする前に、逃げた。よって、私はクリーン。身の潔白は明白だ、オーケー?」
「お、オーケー」
「よし。互いの認識が一致した所で、罪状を詰めるとしようか」
「ヒッ」
がたん。
白い手が顔の横に伸びて、椅子の背もたれががしりと掴まれた。
両腕で身体の両サイドをホールドされ、椅子の上は頭上を除き完全に包囲されていた。
逃げ場の無くなった空間で、ぼくは明さんと向かい合う。
至近距離で。
・・・近い。
俯き気味に視線を合わせているせいか、豊かな胸が重力に引かれて下がり、しかし紡錘形の双丘は見事なバランスを以て宙に静止していた。
タンクトップの襟元から深い谷間が見えそうになり、慌てて視線を上げる。
―――少し動けば触れそうな距離に、あの御尊顔があった。
間近に見ると、もう溜息しか出ない。
染み一つない抜けるように白い肌、釣り目がちな切れ長の目、得も言われぬ色合いのねずみ色の瞳。
艶やかな亜麻色の髪はサラサラで、少し動く度に窓から差す陽光を受けて煌めている。
すっと通った鼻筋も、ほんのり桜色に色づいた唇も、その全てが目と鼻の先にあった。
群衆の視線をたちどころに奪った美貌が、視界いっぱいを満たしている。
意識しないようにしていても、見る見るうちに顔が紅潮し、鼓動が早くなるのを感じた。
「私が、あの馬鹿男の相手に苦労していた間。お前は他人様を題材に不埒な妄想に耽っていた。・・・そうだな?」
「ち、違います・・・!」
「何も、違わないだろう。一体何を想像したんだ?私が味わった苦労も知らずに。ええ?この―――」
更に距離が狭まる。
触れる、と思ったその時、反射的にぎゅっ、と両目を瞑っっていた。
しかし、彼女の口元は横へと逸れ、ぼくの耳元へと移動する。
僅かな吐息が耳朶をくすぐる感触に、思わずびくりと震える一方、亜麻色の髪の少女は捕食者の笑みを浮かべた。
「す・け・べ」
「・・・っっっ!!??」
死んだ。
丸海人は羞恥で死んだ。
甘くハスキーな囁きに恥ずかしさが極限にまで達し、ぼくは呆気なく白目を向いていた。
くっ、いっそ殺せ。
そんな女騎士めいたモノローグを残し、ぼくの意識はブラックアウトする。
「ま・・・マルさぁーん!!?」
暗転してゆく意識の中、最期に感じたのは耳朶を撫でる響きが残した、甘美な衝撃。
そして、昏倒するぼくを前に小さく叫ぶ叶くんの悲鳴と、実に楽し気な明さんの笑い声だった―――
今週はここまで。




