∥006-17 恋する瞳と冷えた心
#前回のあらすじ:粗暴なクズの正体がアイドルスターだって・・・!?
一言で表すのなら、その少女は『魔性』であった。
通り過ぎれば、男女問わず振り向かずにはいられぬ美貌。
均整の取れたプロポーション、卓越した身体能力、それらを扱う優れた頭脳。
その力全ての源泉は、彼女の出生にあった。
地上の楽園と呼ばれた地にて生を受け、土着の伝承にある『神子』の片割れとして育った少女。
彼女達は人でありながら、同時に名も知れぬ高位神性の血を継ぐ、半神半人の存在でもあった。
弟は既に、【神候補】として己の力に覚醒し、英雄の卵としての力を遺憾無く発揮し始めている。
その一方、対となる少女に与えられたのが、望むのであれば世界の全てを手にすることすら可能とする、『傾世の美女』としての力であった。
故に、少女は誘蛾灯の如く、周囲の人間を異性・同性に問わず引き寄せた。
しかし―――高嶺の花とは良く言ったもの。
良識ある人間であればある程、魔性の魅力を前に躊躇い、二の足を踏んでしまう。
結果として、自制も外聞も知らぬいわゆるクズ野郎ばかりが、少女を求め甘い蜜にたかる蟲のように群がった。
それを厭い、自らの姿を取り繕うようになったのもまた、仕方のない事と言えよう。
そして、現在。
件の少女は市井に交じり、あたかも一介の並人と同じであるかのように過ごしている。
それを実現せしめているのは、彼女が身に着ける秘宝―――人造の神器たる『宝貝』の力であった。
認識阻害、更に印象操作と、若干の記憶操作。
それら全ての効果を、己を視野に収める全員へ適用するという、破格の能力。
更には、レンズ自体が反射率を調整し、平時と同等の視野を確保しつつ、外からの視線をシャットアウトする特殊加工が施されていた。
これら全てを、単一の器物として創造しえるのは、かの『宝貝製作者』ただ一人。
そして、【学園】広しといえど、これ程の逸品は他に二つとして存在しなかった。
知ってか知らずか、それを少女の下より奪い去った男が居た。
その結果、果たして何が起こるのか。
正しく、神のみぞ知る―――で、ある。
・ ◆ ■ ◇ ・
[明視点]
はい、只今ご紹介に預かりました魔性の女、会取明です。
魔性の女(笑)。
はぁ。
思わずモノローグで溜息が出てしまうのも仕方のない事で、それくらい今の状況はばかばかしく、下らない事態となっていた。
端的に表すのなら、大ピンチだ。
「・・・フフ!いやぁ、君が素直になってくれて良かったよ~。それじゃあいざ行かん!愛る者同士の逃避行へ!!」
「ヲホホ、嫌ですわそんな、恥ずかしい・・・」
軽薄そうな猫撫で声。
それに続き、するりと伸びてきた手が、ジャージに包まれた肉付のよい臀部を撫でまわそうとする。
反射的にそれを引っぱたこうと右手を閃かせる―――が、逆に捕まりぐい、と引き寄せられてしまった。
右半身がぴったり密着する体勢となり、間近から生温い息を吐き掛けられる。
いわゆる恋人同士の腕汲みの体勢を取らされ、嫌悪感に一瞬身体が固まった。
思わず顔をしかめそうになるのを必死で堪えつつ、私はとぼとぼと道を進んでいく。
全く不本意ながら、身体能力においてはこいつに全く敵いそうにない。
現在進行形で、吸虫の如く右半身に張り付いているこの男。
何を隠そう、先程の場面で遭遇した、あの窃盗犯である。
―――黄小天。
神話だかヨタ話だか、そんな名のアイドルグループを率いる人物、らしい。
新聞でも芸能欄なぞ流し見すらしないが、そんな私でも耳にしたことのある程のビッグネーム。
それが何故、態々私の眼鏡なんぞを奪い取ったのか?
その理由かどうかは定かではないが、この男、元々私が『要注意人物』としてマークしていた相手である。
【学園】に於いてその素行は悪名高く、絶対に関わりたくない人物として、常日頃から警戒していたのだ。
そんな相手と突発的遭遇を果たすとは、全くついてないにも程がある。
それだけならばまだしも、私の生命線と言える眼鏡を真っ先に奪われるとは、青天の霹靂とは正にこの事。
奪い返そうと重ねた努力も空しく、未だ愛用の変装道具は犯人の手中にある。
何とか奪還したい所だが、経験上、この手合いは取り返そうと必死になればなるほど、歪んだ自己肯定感を増大させる傾向にあった。
中学校時代のあの野郎とか、女子高時代にしつこく下らないイヤガラセを仕掛けてきたグループのあの女とか。
嗚呼、思い返すだけでも胸がムカムカしてくる。
(―――あの糞虫どもめ)
そんな回想はともかく、こういう手合いの対処は一切構わず、無視を徹底するのが正解である。
・・・なのだが、それをするとこいつは多分、躊躇なく眼鏡を破壊するだろう。(身に覚えがある)
それは困る。
あれは先生に特注で作って貰った一点品、つまりお高いのである。
凄く。
―――そんな訳で。
現在、私達は先程の場所から、いくらか離れた地点にまで来ていた。
大小無数のイカダを連結して作られた湖上のマーケット、その岸側にほど近い一角である。
道行く人々が誰しも、こちらのことをちらちらと気にしながら通過していく。
最初は私の顔にじっと目を留め、次に傍らに引っ付いた男の存在にぎょっとし、最期には気まずそうに視線を逸らしてしまう。
誰もこんな、厄介事の塊のような二人組には関わりたくないのだろう、わかる。
そんな視線が次々と突き刺さるのを感じつつ、道を進んでいると再び、隣から軽薄な声が立ち上がった。
「・・・ほら!見てごらん?皆が、僕らの事を祝福しているよ!愉しいねぇ・・・アハハハハ!」
「あらやだ、ホァン様ったら・・・ウフフフフ」
何がウフフだ。
このやり取りももう、何度目になるかわからない。
自己肯定して欲しいのか知らないが、こんな虚無感溢れる時間をこれ以上、無為に過ごすのは勘弁願いたいのだ。
しかし幸いなのが、初手で弟を引き離す事に成功した点だ。
あのまま同行していたら、この粗暴な屑に何をされていたか判らないし、何より教育に悪い。
ちなみにマルは置いてきた。
その時の光景が、束の間、脳裏にフラッシュバックする。
あどけない顔を蒼白にして固まる弟と、信じられない、といった表情を浮かべるその友人。
(せっかくの息抜きがこんな結果とはな。あいつ等には、後で何か埋め合わせしてやらないと・・・)
心の中で二人に謝罪しつつ、男に気取られないよう周囲に視線を巡らせる。
何時までも、こうしてはいられない。
出来る限り早く、この窃盗犯を撒いてしまわないと。
(そして、出来れば眼鏡を奪還しないと)
―――通行人、露店、急ごしらえのテント。
あれでもない、これでもないと品定めしつつ、視線を素早く滑らせて行く。
その中の一点、遠く見える湖岸に霞んで見える、立ち並ぶ倉庫群に目を留めると、私は密かに口元を吊り上げた。
「ねぇ・・・ホァン様。突然こんな事を言うと、驚かれるかも知れないのだけれど・・・」
「何だいハニー?何でも言ってよ!僕は、大海原のように何でも受け入れるからさ!アハハ!!」
「ありがとう・・・素敵な方」
囁くように、溜息をつくように。
その声は甘い蜜となって、男の耳朶へ忍び込んだ。
表情、視線の動き、呼吸の頻度、体温、脈拍。
恋する乙女のような仕草の裏で、それら全てを冷徹に観察しつつ、言葉を紡いてゆく。
本当に久しぶりに―――私は、自分の『力』を自覚的に行使していた。
他者が望むものを、言語化されないあらゆる情報を対象から抜き出し、己の行動へと反映させる。
理想の中にしか存在しえない幻像。
それが現実のものとなり、それと触れ合ううちにいつしか妄想と現実の境すら曖昧となってゆく。
故郷で過ごした最後の年、あの駐在に対し行ったように。
男の望む姿へと『化け』、普段の私とは口調も表情も、別物へと変貌していた。
―――金毛九尾。
国を傾け、あらゆる男を手玉に取る魔性の力。
産まれた時より付き合い、同時に忌避してきた、この能力。
それを、今。
私はほぼ全開にしていた。
周囲の時が静止したかのように、通行人の列が止まる。
視線の先は、一人の男と一人の少女の姿をした『何か』へ吸い寄せられていた。
最も望む言葉を、望む声色、望むタイミングで聞かせる。
その甘美な空間に、耐えられる男など存在しない。
多分に漏れず、男はたちどころに表情が蕩け、だらしのない笑顔のまま快諾の声を上げた。
「あの、私・・・折角憧れの大スターとデートしてるのに、こんな恰好なのが、恥ずかしくて・・・」
「そうかい?僕と一緒に居てくれるのなら、そんなもの気にはしないけどね!」
「まぁ・・・ウフフ。心の広いお方」
「でも、まぁ・・・。もう少し素敵な衣装だと、もっと幸せになれたかな?アハハハハ!」
もじもじと、恥じらうように両手で身体をかき抱く仕草をして見せる。
途端に男は鼻息を荒くして、舐めるような視線をあちこちに這わせてきた。
狙い通り。
だがまぁ、想定よりも随分と温い。
相手の様子に内心で嘆息しつつ、私は本命となる『お願い』を口にした。
「それじゃあ、申し訳ないのだけれど。少しだけお付き合いして頂いても・・・?」
「いいよ!何たって僕は、王子様だからね!」
「ありがとう・・・。では、あそこへ。普段から、着替えを置いてある場所がありますので・・・」
意味不明な快諾の言葉ににっこりと笑顔を見せつつ、私は湖岸へ向かう一本の桟橋を指し示す。
その先にある一軒の倉庫を目指し、二人はぎしぎしと床板を軋ませながら、桟橋を進み始めるのであった―――
今週はここまで。




