∥006-16 震感☆フレーズ
#前回のあらすじ:ええっ!?あのアイドルスターが目の前に!?
[黄視点]
「てめぇ・・・。今、何て言いやがった?」
壇上より、怒気を孕んだ男の声が上がる。
ポマードをたっぷり付けた黒髪をばっちりリーゼントにキメた、ロカビリー風衣装の青年。
彼が睨みつける先には、暗色のフードを目深に被った男が佇んでいた。
身長170後半、やせ型ながらしなやかで猫のような身のこなし。
目深に被ったフードの下の口元が、ニヤリと不敵に吊り上がる。
「―――退屈な音、って言ったんだよ~。あはは!」
その発言に、周囲から殺気を孕んだ視線がフードの男へと集った。
現世のライブハウスであれば、運営スタッフによる『待った』がかかりそうな場面であるが、ここはあくまで【学園】。
自治が原則のこの場では、今回のような騒動が日常茶飯事であった。
時系列は、マル達がフードの男と出会うより数時間前。
湖上のマーケット奥に位置する小アリーナにて、密かに起きていた出来事である。
だしぬけに発生した騒動に、周囲の聴衆からは怒りと、不安がない交ぜになった囁きが沸き上がる。
それをBGMに、フードの男はやれやれ、といったふうに小さく肩をすくめて見せた。
「歌も、演奏も、全然なっちゃいない。こんな学芸会レベルの演奏、聞かされる方の身にもなって欲しいよね~?」
「てめぇ・・・トサカに来たぜ!!」
「キング様ー!」「やっちゃえー!!」
ボーカルの青年は怒りも露に、フード男を指差し啖呵を切る。
古臭いデザインのマイクがその声を拾い、キィン、と耳障りなノイズが響き渡った。
周囲からもブーイングが後押しし、一触即発の空気がその場に流れる。
一方。
フードの男は小さく嘆息すると、すう、と大きく息を吸い込んだ。
そして―――次の瞬間。
「LALALA―――」
「「・・・!?」」
腹を満たした気はボーイソプラノの歌声となり、たちどころに周囲を己の色へと染め上げた。
アカペラで奏でられた、清涼なる調べ。
そのメロディは天使の歌声のように聞くものの闘志を奪い、たちどころにうっとりとした表情へと塗り替えてしまった。
一瞬前まで顔を歪ませ、野次を吐いていた聴衆達が水を打ったようにしんと静まり返る。
寸前までの怒りを忘れたかのように、鳩が豆鉄砲を喰ったような表情を浮かべるボーカル。
男は満足げにくすりと笑うと、身に着けていたフードを一息に脱ぎ捨てた。
―――息を飲む音。
そこには果たして、きらびやかなステージ衣装を身に着けた、一人の青年が佇んでいた。
その姿、その声は芸事に関わる身であれば、一度くらいは目にしたことがあるであろう。
極東アジアにおける、不世出の大スター。
アイドルグループ神话のリーダー。
黄小天、その人であった。
ニュースの記事くらいでしか目にしたことのない顔が、目の前にあるという事実。
あまりに現実味のない状況に、その場の誰もが当惑し、ひそひそと不安げに囁きを交わしている。
その隙にとばかりに、黄はひらりと壇上に飛び上がるとボーカルの男からマイクを奪い取ってしまう。
あっ、と声を上げる間もなく、メインポジションに収まったステージ衣装の男は、再び大きく息を吸い込んだ。
―――この日、小アリーナにて新たな『伝説』が産まれた。
聴衆達はその瞬間の、数少ない目撃者となったのである。
・ ◆ ■ ◇ ・
[マル視点]
(何だ、コイツ・・・!?)
時は戻って、現在。
ぼくは叶くんを背後にかばうようにして、突然フードを脱ぎ捨てた男を唖然としながら見つめていた。
黄 小天―――ぼくも耳にしたことのある、隣国である大新帝国出身のいわゆるアイドルスターである。
甘いルックスと、類まれな美声。
デビュー間もない彼が一躍、時の人となるのは正しくあっという間の出来事であったという。
TVのニュース番組でその活躍を目にする度に、ぼくは無性にワクワクしたものだった。
それが、今。
目の前に居るのだという。
はたして、その目的は一体何であろうか―――?
屈託のない笑顔を浮かべる黄とは対照的に、能面のように無表情のまま、未だ掌中にある眼鏡を睨む亜麻色の少女。
普段隠された素顔を晒し、彼女はその美貌を露にしている。
周囲から集まる視線は、アイドルスターと彼女で1:1で二分されていた。
月と太陽のように、稀代のスターと遜色ない美貌を持つ彼女。
衆目の集まる中、感情を押し殺したような声で明さんは男に告げるのだった。
「―――何のつもりかは知らないが。返してくれないか、それ」
「ふふん、や~だねっ。どうしても欲しいなら、さ。・・・君、僕のものになってよ」
「嫌です」
間髪入れずの回答であった。
奪取した眼鏡を指先で弄びながら、得意満面で放った言葉のレスポンスは―――まさかの拒絶。
一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた後、ステージ衣装の男は唐突に笑い声を上げた。
「あはははは!・・・ああ、ごめん。聞き間違いだったみたいだ。それとも―――知らなかったのかな?この僕が『神话』のリーダー、黄小天だよ~。僕がお願いしてるんだからさぁ、勿論、聞いてくれるよね~?ハハッ!」
「・・・いや、何度言われても嫌です。それより、眼鏡返せ。あと、顔近づけすぎ」
「ハハ、ハ・・・?」
至近距離にまで迫っていた御尊顔を、いかにも嫌そうに押しのける明さん。
路上でアイドルに求愛されるという異常事態でも、彼女はびっくりするくらい普段通りだった。
二度目の拒絶に、思わず周囲の空気が凍り付く。
―――アイドルグループ『神话』。
そのリーダーである彼に付けられた愛称は、『小天子』。
清朝皇帝の縁戚であり、旧満州全域にてコングロマリットを形成する『黄財閥』の御曹司でもある、彼をイメージしたものである。
しかし―――この名には、裏の意味が存在した。
中国大陸において『天子』とは、『皇帝』の別称である。
それになぞらえ、手の付けようがない程の我儘者を指す言葉を『小皇帝』という。
ここではない、どこかの歴史において。
一人っ子政策の弊害として産まれてしまった、長子を甘やかし放題に育てた結果の、人格破綻者。
奇しくも、その通称もまた『小皇帝』である。
『小天子』とは、『小皇帝』とのダブルニーミングとしての側面を持つ呼び名なのである。
名は体を現す、の言葉通り。
黄は輝かしい栄光とは対照的に、スキャンダルのデパートとしての側面もあった。
業界内の醜聞に収まらず、一般の女性ファンと関係を持った挙句、こっぴどく振った等の話が盛り沢山。
女性問題に限らず、その奔放さ、我儘さを現すエピソードが数限りなく存在するのが実態である。
だがしかし、この時点でのぼくはそんな事は露ほども知らなかった。
海を越え、日本の地にまでそれが届かなかったのはひとえに、プロダクションとその出資元である黄財閥が、全てを揉み消した結果であった。
何をしても許される、どんな我儘も聞いて貰える。
そんな環境において際限なく肥大化した自尊心は、今、怒りによって決壊しつつあった。
「ふぅん・・・。君、そういう事言うんだ?悪い子、だね・・・。ああ、それとも―――」
「・・・ぐあっ!?」
「こいつが悪い子なのかなぁ!?あははははは!!!」
目の端をぴくぴくと引きつらせながら、押し殺したような声を漏らすアイドルスター。
その様子を、側からはらはらしつつ見守っていると、突然ばちりと視線が合った。
―――かと思えば、次の瞬間。
突如、顔面に感じた衝撃に吹っ飛ばされ、ぼくの身体は宙を舞っていた。
「マルさんっ!?」
「おい!何を―――!?」
・・・殴られた、いや蹴られた!?
全然、見えなかった。
気付いた時には熱のような痛みと、僅かな浮遊感。
そして次の瞬間には、背中からどさりと床板の上へ叩きつけられる。
一瞬息が詰まり、続けて全身に走る痛みにぼくは身体を硬直させた。
げほ、げほ、と酸っぱいものの混じる唾を吐き出しながら、何とか立ち上がろうとする。
しかし―――そうする間もなく、男による追撃が待っていた。
「あははは!あはははははははっ!!」
愉し気な声と共に、どすんどすんと靴底が全身に打ち下ろされる。
恐怖と混乱の中、ぼくは必死に身を丸めて急所を守るしかないのだった。
「ぐっ、この・・・!」
「惨めだよねぇ、悲しいよねぇ?君みたいに、醜いデブはさぁ!ほら、ほら、言いなよ!ブサイクに産まれてきて、ごめんなさいってさぁ!!」
「ま、マルさぁーん!!?」
「・・・っ!!」
そうしてひとしきり脚を振り下ろした後、軽く上気した顔のまま髪をかき上げると、ふう、と短く息をつく。
全身くまなくストンプされ、ぼくは痛みに身動きがとれぬまま、嘲るような声が降って来るのをじっと耐えていた。
―――少し離れた場所から、叶くんの悲痛な声が聞こえる。
彼は無事だろうか?
側に明さんが付いているんだ、そこは安心していい筈だ。
そして流石に、異常な事態の連続にそろそろ周囲からも、不安気な声が上がり始めていた。
それを察知するかのように、男が声を上げる。
「・・・ねぇ!皆もそう思わない?僕みたいに、イケメンに産んでもらえないと不幸だよね~。ねぇ?」
「そ、そうよね・・・」「う、うん・・・」「よく見ると所々黒ずんでるし、不潔よね。チビだし」
「ほら、ね?君みたいなブサイクは、蟲みたいに踏んづけられて当然なのさ。それとも、勘違いしちゃった?人並みに、お天道様の下に出ていても大丈夫だってさ」
「だよね、だよね!」「ホァンさま、やっちゃってー!!」
「・・・ぐぇっ!」
「アハハハハ!皆もそう思うってさ!!僕みたいな王子様にしか、美女の側に立つのは許されないのさ~」
最後に背中の上に勢いよく足を乗せると、黄は上機嫌といった様子で笑い声を上げる。
アイドルの天性として、彼は集団を煽り、意のままに操る術を身に着けていた。
いわゆる集団心理によって、平素であれば眉を顰めるような行為が正当化されてゆく。
ファンを味方に付け、得意絶頂となった男は高らかに笑い声を上げた。
うっぷん晴らしついでに目障りな輩を排除し、次はとばかりに、ちらりと亜麻色の少女へ視線を投げかける。
ぼく達から距離を取るようにして、少女は表情を強張らせたまま事態の推移を見守っていた。
その背後には、怯えるように地面に這いつくばる少年を見つめる、白髪の少年の姿があった。
一瞬、男は叶くんに目を留める。
訝しむような表情を浮かべた後、すぐに意地悪な猫のようにニヤニヤと笑みを浮かべると、男は再び口を開いた。
「・・・ああ、スッキリした!でも、残念~。僕を邪魔するお邪魔虫は、君じゃあ無かったみたい。それじゃあ―――」
「ひっ!?」
「君が、そうなのかなぁ!?」
「・・・叶っ!!」
言葉を途中で切り、黄は拳を振りかぶると標的―――叶くんに向けて振り下ろそうとした。
両者は数Mは離れていた筈だが、【神候補】としての身体能力に物を言わせ、瞬時にそれを詰めている。
真っ赤な瞳を大きく見開き、息を飲む白髪の少年。
その顔に拳が叩き込まれる寸前―――身体ごと、その前に割り込ませたのは明さんであった。
目と鼻の先で、ぴたりと静止した握りこぶし。
それを睨みながら、瞬き一つせず少女は軽く息を荒げている。
切れ長の目、深い色を湛えたねずみ色の瞳。
僅かに浮かんだ汗の玉が、つう、と整った顎の先に流れて、落ちた。
その妖しい美しさに、見る者からほう、とため息が漏れる。
床の上に転がったまま、ぼくもまた時を忘れていると、亜麻色の髪の少女は僅かに震える声で、ぽつりと小さく呟くのだった。
「弟、に。・・・何か、御用でしょうか」
「おねぇ、ちゃん・・・」
「弟。・・・なぁんだ、弟かぁ~。あははははは!ごめんねぇ?僕、勘違いしちゃったよ~」
それまで浮かべていたサディスティックな笑みを引っ込め、男は突然、無邪気に笑い始める。
―――彼は、己の誘いが断られた理由を、周囲の人物へと求めていたのである。
問題の根をあくまで他に求める、他責思考の為せる業であった。
最初にぼくが狙われ、徹底的に痛めつけて反応を見る。
結果は、ハズレ。
では、とばかりに叶くんへ矛先を向けたところ、肉親であることが判明。
これでもう、目の前の美女を手に入れる障害は何も無くなった。
―――そもそも、邪魔者も何も無関係に、最初の要求は断られているのだが。
そんな事を察せられる程、男の頭は利口に出来てはいなかった。
やり直しとばかりに、男は煌びやかなスマイルと共に手を差し出す。
そして白い歯を輝かせながら、芝居がかった仕草でこう告げるのだった。
「君を一目見た時からさ、何か隠してる、って思ったんだよね~。そしたら大正解!見たこと無いくらいの美人さんじゃない?これはもう、僕の物になるしかないよねぇ?」
「・・・・・・」
「さっきは、不幸な行き違いがあったみたいだけどさぁ。そちらの弟くんも、歓迎、してくれるよね~?」
「・・・ヒッ!?」
「そういう訳だからさぁ。今度こそ僕の誘い、受けてくれるよね・・・?」
一瞬、向けられた鋭い視線に弟くんが短く悲鳴を上げる。
それを背に庇いつつ、明さんはぎり、と歯がみするのだった―――
今週はここまで。




