∥006-11 Missing
#前回のあらすじ:今となっては思い出の中にしかない、あの光景。
[マル視点]
「まず大前提として。ぼくとあーちゃんは、恋人とかそーいうのではありません。『好き』の先生と生徒という、一種の契約関係にあるんです」
「なんだそれ」
【揺籃寮】の一室、ぼくが借りている部屋にて。
来客者である会取姉弟の片割れ、明さんがぼくの言葉にくきりと首を捻る。
もっともな反応であるが、改めて言葉にすると、本当に『なんだそれ』な関係だ。
―――なのだが、それにはれっきとした理由があるのだ。
若干あきれ気味にぼくを見つめる彼女に向けて苦笑を返すと、ぼくはその『理由』について語り始めるのだった。
「予想通りのご反応、ありがとうございます。まあ、わけわかんない、って感想が出るのも当然ですよね。・・・実を言うと、ぼくとあーちゃんは今の関係性になる前、あんまりサシで遊んだりした事も無かったんですよ」
「それほど親しくは無かったと?今の様子からは正直、想像できないんだが・・・」
「それはまあ、あーちゃんは知っての通りのコなんで。昔からわりと誰にでも、最初から距離感バグった感じに接してましたけどね。でも、粗暴だったり、他人の悪口ばーっかり吹聴したり、そういう変なのには全然絡みに行かないあたり、人を見る目は確かなんだと思います」
「・・・なるほど。言われてみれば確かに、あいつはそういう所があるな」
―――羽生梓は見るからに危なっかしい少女であるが、不思議と人間関係で本当に危ない目に遭ったことがない。
誰にでも分け隔てなくハグしたり、友達感覚で話しかけるようでいて、それをする相手には明確な基準が存在するのだ。
例として、タチの悪い、いわゆる性格ブスと評されるような手合いは、彼女から接触する頻度が極めて低い。
逆に、そういった手合いが向こうから絡みに来た場合は、周囲のグループがそれを阻む形となる。
そんな関係性が友達ネットワークの中で既に出来上がっており、天真爛漫な少女を守る為の防壁が自然と形成されていたのだ。
そして幸いなことに、ぼくはそんな彼女にとって、気兼ねなく声を掛けられる相手というカテゴリに含まれていた。
会長を接点として、時折接することのある元気な少女。
それが当時のぼくの、あーちゃんに対する認識だった。
―――ちなみに。
今、こうして話を聞いて貰っている彼女もまた、あーちゃんが頻繁に絡みに行く相手にカテゴライズされる。
寮に遊びに来る場合、あーちゃんが行く先には決まって管理人室が含まれているのだ。
それこそあの『会長』を彷彿とさせる懐きっぷりなのだが、そんな彼女には実は色々と黒い噂が付きまとっているらしい。
アコギな商売をやっているだとか、高利で借金を押し付けた債務者を奴隷のように扱っているだとか。
他の【神候補】達からちらほらと、そういう胡乱な噂が囁かれているのだ。
だが、あーちゃんの鑑定眼はそんな彼女を、『大丈夫な人』と識別している。
あくまで噂は噂、アテにはならないという所か。
ぼく自身としても、実際に接した感想としては『色々とシビアなだけで、面倒見のいい頼れるお姉さん』というのが正直なところ。
あとブラコン。
・・・と言うか、彼女のぶっきらぼうな語り口調を聞いていると、どうにも連想するというか、脳裏に浮かんでくる人物が居る。
市場で出会ったあの老夫婦、特に火傷痕の目立つ初老の男性と、彼女のパーソナリティが被って見えるのだ。
―――彼女の本当の姿はもしかすると、ぼくが知るものとは全く異なる形をしているのかも知れない。
「・・・とと、話が逸れましたね。ともかく当時、彼女と親交があったのはぼくじゃなく、共通の友人である他の人物―――『会長』だったって事です」
「その会長、とは?」
「うちの生徒会長―――だった人です。ぼくを含む生徒達から会長、って呼ばれてて、あーちゃんもしょっちゅう、かいちょーかいちょー、って。そう呼びながらベッタリくっついてました」
放課後の生徒会室。
意中の人と接する機会を欲して顔を出した先で、トレードマークのポニーテールを揺らす後輩に抱きつかれ、困ったように微笑む顔。
懐かしい思い出が、記憶の奥で僅かな痛みと共にくすぶる。
―――話題はようやく、『あの人』の下へとたどり着いた。
胸の奥では今でも古傷が疼き、ずぐりずぐりと鈍い痛みを放ち血潮を流している。
彼女にまつわる記憶は未だ、ぼくの中では消えない傷跡として残り続けているようだ。
一旦言葉を切り、胸の上に掌を当ててぼくは深呼吸を繰り返した。
「・・・辛いようなら、また今度にして貰って構わないぞ?」
「いえ、話します―――話させてください」
「わかった。無理しないよう、自分のペースで続けてくれ」
「・・・ありがとうございます」
彼女の言葉が、暖かい。
忘れられない過去の傷に身じろぐぼくに掛けられたのは、予想外に穏やかな声色だった。
―――やはり、彼女は優しい人なのだろう。
過去を打ち明ける相手に、彼女を選んだことはきっと間違いではなかった。
そんな確信を強めつつ、ぼくは再びゆっくりと口を開いた。
「それで―――。ぼくとあーちゃんがあの約束をしたのは、あの時、会長が失踪したことがきっかけでした」
「失踪・・・?」
「はい。去年の冬の事です。会長の大学受験を控えて、最後の息抜きということで、一家そろってオーストラリア旅行に行った時のことでした。出かける前、ぼくは彼女とちょっとした約束をしてまして。それでどうしても気になって、空港のロビーで帰りを待ってたんです。でも、何時まで待っていても彼女は・・・」
「・・・旅客機事故、か?」
「いえ、それがその。・・・不思議な話なんですが、飛行機自体は無事に帰って来てるんです。でも、帰りの便に会長は居ませんでした。航路の途中で、旅客機同士がニアミスしたとかで。すれ違った二機の乗客には、忽然と姿を消した人が・・・」
「・・・その中に、探していた人も?」
「はい」
目を瞑れば、たった今起きた事のように思い出すことができる。
―――空港全体が騒然としていた。
不明者は七名、シドニー空港近辺にてニアミスした二機は危く衝突を免れたが、機内からは忽然と乗客が姿を消していた。
被害状況を確認する為、帰着した旅客機にて乗客を点呼した際、発覚した事実である。
マスコミの報道によれば、直前まで座席に居た筈の乗客が、ニアミスの数分間に煙のように姿を消してしまったという。
空港のロビーにて彼女の帰りを待っていたぼくは、それを報せるアナウンスに愕然とした記憶がある。
「それからのぼくは、毎日彼女のことを探しました。関係者を探して話を聞いて、休みの日には空港まで通って、会長のご家族とも協力して。自作のビラを配ったりもしました。―――毎日、必死でした。当時の事は、正直な所あまり、覚えてません。日々の細かい出来事が抜け落ちてしまうくらいに、探し求める人以外の事が何も、目に入らなかったんです」
「・・・大好き、だったんだな」
「・・・・・・はい。でも―――いくら探しても、あの人は見つかりませんでした」
絞り出すように、その一言を発する。
あの頃のことは、正直思い返したくない。
毎日が地獄だった。
ぼくはひたすら、打ち上げられた魚のように藻搔き続けた。
藻搔いて、藻搔いて、立ち止まることが怖くてずっと走り続けた。
息をするのも辛い、それは求める人が側に居ないからだ。
ぼくにとって、彼女は―――空気のようにあたりまえで、決して失ってはならない存在だったのだ。
丸海人は窒息した。
愛する人を失う者は、時として陸に居るままに溺れるのだ。
ぼくが正体を失っていた間、恐らく、沢山の人に迷惑を掛けた筈だろう。
今、ぼくが可能な限り周囲の人へ優しくあろうとしているのは、当時の事に対する贖罪の意味も含まれている。
「あーちゃんと『約束』したのは、その頃でした。男女のスキというのがよくわからないから、詳しい人に教えて欲しい、それがどんなものかわかるまで一緒に居させて欲しい。そんな事を何度も頼みこまれて、しぶしぶ承諾したんです。なんだこいつ、って。あの時はそう思ってましたよ」
「それは。―――お前のことを、助けたかったんじゃないのか?」
「ぼくも、そう思います」
あーちゃんの真意は、恐らく今、彼女が指摘した通りなのだろう。
あの頃のぼくは本当に、ひどい状態だったみたいだから。
心優しい少女にとって、当時のぼくはとても看過できない惨状だったという訳だ。
かくして、ぼくとあーちゃんは『好き』の先生と生徒の関係となった。
約束の内容は、実の所ただの思いつきだったのかも知れない。
ただ、ぼくが窒息してしまわないよう、失ったものを埋めるように、彼女が側に寄り添ったのだ。
その恩を、ぼくは一生掛けてでも彼女に返そうと思っている。
「そういう訳でして。ぼくとあーちゃんは特に期限を設けなかったあの約束を、今でも律義に守り続けてるんです。・・・だから、彼女が自分で決めて、選択した結果ならそれが何であろうと、ぼくは受け入れます。あの男性のことを『好き』になって、これから先ずっと一緒に居たいと、そう言い出したのなら。ぼくは―――それを祝福してあげないと」
「・・・そうか」
まあ、大分混乱するとは思いますけど。
そう付け加えて苦笑するぼくに、明さんはなんだか困ったように、ぽつりと返した。
―――長々と回想を挟んだお陰か、幾分気分が落ち着いてきた。
あの後輩が年の差恋愛を始めたかも、なんて事態にすっかり混乱していたが、やることはシンプルでよかったのだ。
【学園】から戻ったら明日にでも、あーちゃんへ連絡して事情を直接聞いてみよう。
まずは行動。
細かいことは、後から考えればいい。
行動方針が決まり、スッキリした心持ちとなったところへ、亜麻色の髪の少女はぽつりと呟きを漏らした。
「まあ、お前達の事情はわかった。何にせよ一度よく話し合ってから、二人でどうするかを決めるといい」
「ですね」
「・・・ところで、一つ聞いておきたいんだが。行方不明になった少女―――『会長』の名前は、『櫛灘 今日子』で合っているか?」
「・・・なぜ、それを!?」
「やっぱりか。当時は連日ニュースで流されてたからな、嫌でも覚えるさ」
唐突に、思いがけない名前が思いがけない人物の口から飛び出し、ぼくは素っ頓狂な声を上げる。
それに対し、彼女は実にあっさりと、その名を知るきっかけとなった事情を語ってくれた。
言われてみれば、ニアミス事故からしばらくはミステリアスな人体消失の謎に、各種マスコミが騒然としていた記憶がある。
少しでも行方の手掛かりが無いか、その手の番組は虱潰しにしたから間違いない。
しかしそうなると、あの頃―――場合によっては今年の初春あたりまで、明さんは現世に居た事になる。
彼女は『召喚組』―――ヘレンちゃんによって【学園】へと喚ばれた死者だ。
もしかすると、彼女が死去したのは案外、最近の事なのかも知れない。
「さて、私はもう行くよ。お前の様子も見れたしな」
「もうですか?随分早い・・・と言うには、色々と話し込んじゃった気がしますけど」
「そうだな。・・・次に来た時は、また学校での事を聞かせてくれ」
「あ、はい。それは勿論」
「じゃあ、またな」
そう言い残すと、来た時同様あっさりと彼女は帰ってしまった。
ぱたん、と閉じられた扉を前に、ぼくはしばしの間ぼうっと視線をさ迷わせる。
・・・今、さらっと次の来訪を約束してったような?
平素の不干渉ぶりが嘘のような彼女の行動に、戸惑うと同時になんだか落ち着かない気分になる。
この感情は一体、どういう種類のものだろうか?
胸を騒がせるものの正体に首を傾げると、ぼくは浮足立った様子のままあたふたと来客セットの点検を始めるのだった―――




